じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

ソンキは三本白といって

2005-12-10 | 論評(comment)
 「ふぶきの夜に、子馬は生まれた。」「家の前を、きれいな小川がながれており、その流れの中に馬を立たせて、自分もぬれながら馬を洗ってやっている、ひとりの青年。私のたったひとりの兄、カツトシだ。」▼「このソンキなあ。おれがいなかったら、いまごろは、土になって、リンゴの木の肥料になっているところだったんだ。」▼「どうして、この馬、ソンキなんて、へんな名前ついてるの。」▼ソンキは三本白といって、三本の足首だけが白い馬でした。それはとても不吉な馬で、主人を殺すとか、その家が火事になるといい伝えられていました。カツトシの父親は、この三本白が生まれたときに殺そうとしたのです。カツトシの妹が小さいときに馬にけられて死んだのでしたが、その馬も三本白だったからです。父はこの馬に腹ばかり立てていたので、母親は「短気は損気」といったことから、このあだなが名前になったのだそうです。▼「戦争がだんだんはげしくなった。わたしの家の近所でも、青年たちが、つぎつぎと兵隊にとられていった。」からだが弱かったカツトシも出征した。そのすぐ後で父はソンキを売ろうとしたが、母が必死で父にたのんだ。「ソンキがいなくなったら、カツトシが帰ってきて、どんなにかなしむかわからないんだもの」▼それからひと月もしないうちに、カツトシは帰ってきた。やせ細って、顔が黄色っぽくなっていました。「つらいんだろうなあ。なぐられるのか」母が心配してきいても、ほんの少し笑うばかりでした。その翌日、学校にいたわたしは、すぐ家に帰るように先生からいわれました。▼「帰ってみると―兄が死んでいた。ソンキに胸をけられたのだという。」生まれてすぐに殺されかけたソンキを丹精こめてそだてあげ、ふかく愛していた兄が、そのソンキにけられて死んだのだ。近所の人たちも「やっぱり三本白だ」といいあった。▼「冬になるまえの、泥のように重そうな空の下で、兄の死体は焼かれた。ちょうど、わたしの背くらいの若い松の林のそばで、わたしは兄を焼く煙が空にのぼってゆくのを見つめていた。その翌日、松林の反対側から<デーン。デーン。>と銃声がきこえてきました。ソンキが銃殺されたのです。かわいがってくれた人を殺すような馬は、殺されるのがあたりまえなんだと、先生や友だちになにかいわれるさきに、わたしは口にして歩いた。▼父親は武士のような勇猛な人でした。それにたいして、兄のカツトシはひ弱でからだもやせていた。父はそんな兄をにくんでいた。「めめしいやつだ。おくびょうなやつだ。」それを知ってか、ソンキをいっそうかわいがるカツトシをさらに認めることができなかったのです。兄もまた父をにくんでいたと思う。▼兄が死んでから二十年がたちました。老いた母から手紙がとどいた。家にいた最後の馬を売って、小さなトラクターが三台になったことなどが書かれていました。父は三年前になくなり、妹とその夫が家を継いでいる。母の手紙を読みながら、わたしはふと考える、もしもふぶきの夜に三本白の馬が生まれなかったら、もしあの戦争がおこらなかったなら、…。か弱かった兄のカツトシと、呪われながら生まれてきたソンキ、このりょうほうを殺したのはだれだったのだろうか。▼母の手紙の最後にこう書かれていました。もう母と馬とのつながりがなくなる。いままでこらえて、だれにもいわなかった。ほんとうのことを書きます。このままではカツトシがかわいそうだし、ソンキもかわいそうです、いいや「おとうさんこそいちばんかわいそうなひとです」▼「じつは、おまえの兄は馬にけられて死んだのではありません。かわいがっていたソンキの目の前で、首をつったのです。あとでカツトシの服をぬがして見ると、あちこち、なぐられたあとがありました。ソンキにけられた方がよかったのに…。」「遠いところ。/空と地面とがとけあうところ。/ひとりの青年が、いつまでも、馬を洗いつづけている。」(加藤多一文・池田良二版画『馬を洗って…』童心社刊)