じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

私は人生の観照者だ

2007-04-21 | 随想(essay)
 昭和五年九月十六日
 けふもよく辛抱した。行乞相は悪くなかったけれど、それでも時々ひっかかった。腹は立てないけれど、不快な事実に出くわした。(中略)
 鰯の新しいのを宿のおかみさんに、酢漬けにして貰って一本いただく。鰯が五銭、酢醤油が二銭焼酎が十銭。
 二三句出来た。多少今までのそれらとは異色があるやうに思ふ、自惚れかもしれないが。

  かなかなないてひとりである
  一すじの水をひき一つ家の秋
  焼捨てて日記の灰のこれだけか

 それまでに書いていた日記を焼き捨てた、その灰がこればかりだとはというやるせない感慨をいだきながら、山頭火は旅をつづける。行乞とは、文字どおりの「貰い行脚」だ。