丁度50年前を振り返るシリーズ、大半は既に公開した写真ですが、例によってPhotolab7で再現像し綺麗になっています。
社会人になって三回目の夏休みは北海道遠征でした。
国鉄無煙化の二年前でしたが、北海道には未だ沢山の蒸気機関車が走っていました。
7月28日(日)の朝7時半はつかり1号で上野発、青森には16時01分着。青森17時発の青函連絡船25便で函館着は20時50分、日付が変わって函館1時55分発の北斗51号で深川が7時55分着。ここまで丸一日以上掛かって到着でした。
深川からは8時49分発のるもい1号で石狩沼田へ、9時6分着。
最初の獲物は留萌本線の貨物列車、運良くD51の4号機でしたが、荷が軽いためか煙は無し。
石狩沼田~秩父別 7770レ、D514
石狩沼田へ戻り、10時19分発の733Dで留萌へ行って羽幌線の貨物列車を撮影。
羽幌線 留萌(~三泊) 1893レ、49603
雨が降っていてあまりやる気も起きず、また、留萌本線では海水浴列車が運転されていた関係で貨物列車のウヤや時刻変更が多く、予定通りに撮影出来ずほとんど収穫無し。
この日の最期に撮影したD61も突然やって来て、咄嗟にカメラを構えたが1枚撮れただけでした。
留萌本線 藤山~幌糠 1792レ、D614
(原板はカラーネガですが、退色が激しいためモノクロ変換)
翌日も留萌本線を撮る事にして深川泊。
何れも1974年7月29日撮影
そういえば、房総方面への海水浴列車が両国から何本か出ていたのを思い出しました。
羽幌線は未踏というか、蒸気時代は一度しか渡道しませんでしたので回り切れませんでした。
続編楽しみです。
深川から留萌、羽幌は、ここ50年ですっかり様変わりしてしまいました。
留萌本線とは名ばかりで、今や深川ー石狩沼田14.4kmを7往復/日と無残な状態。
昔は夏の北海道へ行くと必ず海水浴臨時列車が運転されていましたね。当時は未舗装の道路も多く、自家用車で行く人は一部の人だけだったのでしょうね。
羽幌線と言っても留萌駅のすぐ傍での撮影だけでした。海の見えるところで撮りたかったですが、効率悪くて諦めました。
当時は50年後の事など考えたことはありませんが、蒸気機関車は無くなっても線路まで無くなることは無いと思っていました。
当時の北海道の路線図から消えた線区の多いこと...(/_;)