名古屋城二之丸庭園発掘と復元権現山を見に行ってきました。暑い日となりました。34℃
二之丸庭園広場にて説明とレジメを受け取り・・・
栄螺山(さざえやま)から・・・
栄螺山(さざえやま)東から・・・昭和8年陸軍により忠霊碑が設置され園路が変わったらしい。
権現山の北側にて(御城御庭絵図)十代藩主徳川斉朝による庭園改修の時期絵図
二之丸御殿は初代当主1610年本丸御殿から移り、歴代当主の居館となり、、御城
と称され庭園が造成され、十代当主斉朝の大改修があり、桜・松・梅・椿・杉・等
植えられたらしい。
権現山の北側 ・三和土と石で゛作られた園路・砂岩と花崗岩
権現山の復元階段が右上・手前が北園池の東部分で学芸員の左ら中島が見える。。橋台と飛び石等
権現山・・・高さを聞きましたが10mぐらい。
御城御庭絵図に見られる鳥居の跡
34階段…2段多いかな・・・復元石段
権現山の上・・・・愛宕社・秋葉社らしい・・・・
権現山上から・・・現在の二之丸茶亭を見る。
茶亭側から権現山を見る。冬の方がはっきりみえそうです。夏は草木で見えにくい。
資料によると明治6年陸軍省管轄となり庭園に兵舎が建設され遺構もレンガなども前回説明会と同様みられたが、発掘調査も困難なさが感じました。