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気ままな散策に出かけた寺神社、風景、人、城跡、歴史建物、花などです。写真は他に転載禁止

飯田街道附近へ

2009年04月18日 | 風景と散策

名古屋市内の飯田街道を堀川文化探索隊に参加し見て歩きに行って来た。・・・今日は10分送れたのでどこに行ったかな・・・道を歩いている人に集団をみかけませんでしたかと聞きながら・・・・・・昭和区山中交差点から・・・どっちかな

やっと追いつく事ができた。中京大高校前にて・・・早速資料頂き。

多分ここへ寄ると思い・・・・香積院へ

以前シダレ桜見に来たところである。

香積院・龍門

1687年久屋町に住む豪商、味岡次郎九朗が一人娘の菩提寺。

資料に寄ると香積寺の最初は岐阜県恵那郡加子母村に多聞寺があり当初は源頼朝が建立した多聞寺の山門を移築した関係で同じ寺号を用いたと・・・多聞寺から香積院と改めた。・・・・

香積院の裏にある墓地に小塚鉞助の墓がある・・・

これは香積院の門にある釈迦三尊かな・・・・

小塚鉞助の墓・地租改定運動と官憲と戦ったが明治14年11月19日朝

今池にて・・・・浮かびあがっていた。そのご農民にて香積院へ・・・

 

 

瓦があったが読めないなー

名古屋テレビ住宅展示場からマンション群の中へ・・・

八事球場跡・大正11年・昭和11年7月15日に巨人・阪神戦の第1回の試合がおこなわれた場所。名前は聞いた事があったがこことは

国鉄の球団が昭和21年から使用した。国鉄スワローズ金田正一選手・亨栄商業高校出身の活躍した球場。

最近の2008年選抜80回優勝高校・沖縄尚学の名もある。

77回は愛工大名電・・・・毎年追加されていくのか・・・子供がここをすべり台代わりにして遊んでいたが・・・

光真寺・清須越の寺・大正11年に八事へ移る。ここは以前探しにきたが見つからず、結果裏道を歩いていた。

きらず薬師・薬師如来のお札を持った農民が山中で切られたが、お札が血まみれにぬれて、助かった話であり薬師如来が身代わりとなった。

ここから八事興正寺へ向かい解散。

興正寺は久しぶりであり、個人的に寄ってみた。

年々境内は整備されている感じでした。・・・

飯田街道・八事はマンションが建ち・・・坂道も多く散策には体力と方向感覚が求められるな・・・どこを歩いているのか・・・これも面白い散策でした。 

 次回は5月16日(土)14時・納屋橋加藤商会ビル前集合・四間道と円頓寺まで・・・

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