愛知県小阪井町の伊奈城址公園へ行って来た。ここは「葵の紋」発祥ゆかりの地と言われており、ひさしぶりの城址巡りとなった。
葵の紋は代々と違っていたはず---
城跡公園、写真の右側は新幹線。
模擬櫓
現地説明板
十五世紀の中頃本多定忠、定助の築城で上嶋城と言われていた。
模擬櫓は中へは入れなかった。他に見に来ていた人も残念の声があった。
模擬櫓の後ろに葵の紋の説明があった。
伊奈本多の家紋は立葵の紋で二葉葵という植物を紋章にした。フタバアオイは京都の賀茂神社の神紋とされていた。これを本多家の家紋とした。その後岡崎城主、家康の祖父清康ともに吉田城を攻め落とした本多正忠は参戦後、城下の花ヶ池にあった水葵の葉を敷いて酒の席で清康が喜びこの為、本多家から松平家へと葵紋が移りかわった。---
徳川家康の代に三つ葉葵の紋となった。
模擬櫓の右手の池には二葉水葵があったが綺麗な葉は見つからなかった。
城址碑
葵の紋は、いろいろ見る事がありますが時代とともに変化している。以前に徳川美術館で聞いたところはっきり説明はされなかった。水戸黄門の葵の紋は違うしNHKで放送に使う葵の紋は徳川家から許可を得たといわれているが何がなんだか最近はわからなくなってしまった。