雪が見えてきて、だいじようぶかなーの思いとなった。
瑞巌寺へ
瑞巌寺の説明図を見ると右上に小島城がある。
拡大図
瑞巌寺参道はまだ梅が咲いていた。
寺門を通り本堂の左に大きな石があり、説明板を読んだ。
紫雲石(しうんせき)、行基菩薩が霞間(かま)ケ谷を歩いて空を見上げたら紫の雲がなびいていた。その出所を探すと大きな石の割れ目からであった。霊感を感じ御堂を建てられ仏さまをまったとの説明。・・・
現地説明
瑞巌寺には岡部長盛の墓があった。(1568-1632)武将。
1585年信州上田城真田昌幸との戦いに参戦、1600年関ヶ原の戦いには黒野城を守備。
瑞巌寺から粕川を渡り北へと白樫地区へ。現地説明
後光嚴天皇(ごこうごん)御きゅう跡碑
近くの道を走ると元禄の猪垣の案内と石垣が見えてきた。300年前に農作物への被害を猪や鹿から防ぐ為に作られた。・・・・
さらに北へ行くと、猪垣碑の説明と碑がある。1820年9月18日に猪追いが行われたと思われる。左下の石に大明神と刻まれている。
さらに北へと、白樫城一族の墓が見える。1582年斉藤利三公没後、村人は一族の墓を建て毎年8月14日に法要をつとめとる。・・・
ここから、小島城へと北側から見る山の向こうがわですと、地元の人に確認してから・・・・県道32号へを西へ走り旧春日村に入る。
山道を登り案内板が見えた。さらに上に駐車場があるので進む。
駐車場からは歩いて・・・曲輪の表示が見えてきた。
小島城の縄張り図と説明があり、さらに進む。標高270mくらいのところである。
二の丸付近になるのか宗教施設があり城跡の表示があった。
岐阜県の中世城跡館報告書に載っている⑥の場所であるらしい。
さらに南下に石碑が見えたので下って見ると昭和2年岐阜県、史蹟 小島城址の石碑があった。何故こんなところなんだろう・・・本丸にはなにもないかも・・・
昨日は四月としては珍しく10センチくらいの雪が降っており、ここで迷ったが本丸登ることにした。曲輪A24の表示
その下に石積みが見える・・・現代のものだろう。
ここで、雪で足元がすべり進まない。残念ながらあきらめた。
雪の道を滑りながら戻る。
小島城の来る途中に寄った池田町の平安寺門。
住職に話を聞いたら、小島城での門であるが何門か不明とのこと。
今回は季節外れの雪で残念な結果となってしまった。