おが の 冗談本気

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第1031話 「プロレスを振り返る・・・その3」

2017年04月16日 10時40分43秒 | Weblog
えっとプロレスの事を振り返るブログも書いていたんでその続きを書きます。

私が小学6年生の頃にプロレスに目覚めてアントニオ猪木が率いる新日本プロレス、
そしてジャイアント馬場が率いる全日本プロレスを知った。

そしてこの当時はもう一つのプロレス団体があった。
それが国際プロレスである。

この当時の国際プロレスはラッシャー木村をエースとして他には
マイティ井上、アニマル浜口、阿修羅原、寺西勇、の日本人プロレスラーが所属していた。

新日本プロレスはテレビ朝日がテレビ放送、全日本プロレスは日本テレビが放送していた。
しかしこの頃の国際プロレスはテレビ放送が無くいつ潰れてもおかしくない状況だった。
外国人選手もアレックス・スミノルフとかジプシージョーとかB級な選手しかいなかった。

この頃は私は小学6年生でまだまだプロレスの情報は少ない時期だった。
なのでなおさら国際プロレスの情報は乏しかった。

私はこの頃は北海道の釧路市に住んでいたのだがその釧路市に
国際プロレスが来たことがあった。

私は一回、生でプロレスというものが観たいなーと思い始めてた頃だった。
プロレスが地方に来ると町中にそのポスターが貼られるのだがそのポスターがなんとも哀愁が漂っていた(笑)

当時のラッシャー木村は金網の鬼というニックネームがあり
金網デスマッチという金網に囲まれたリングで試合をするという形式を得意としていた。
しかし新日本プロレスや全日本プロレスからするとそんな戦いは邪道という空気があった。

そしてその肝心のポスターなんだが・・・金網に囲まれたリングにラッシャー木村がファイティングポーズ
をとっていてそれがモノクロ画像だという・・・それだけのポスターでした(笑)

私は子供心に「何か・・悲しいポスターだなぁ」と思ってしまった。
国際プロレスを観にいってみようかな・・と思ってたときにそのポスターを見て
なんだか行く気が失せてしまったんですね(笑)

そして案の定・・・数年後に国際プロレスは活動停止・・・倒産してしまう訳です。
国際プロレスの選手は新日本プロレスに行く者、全日本プロレスに行く者、海外に行く者、引退する者・・・。
色んな道に分かれました。

そしてその数十年後に国際プロレスは色んな実験的な事をした団体として再評価される訳です。
プロレス団体が生き残ろうとして色んな事をするんですよね。

今はプロレス団体が多すぎて私はさっぱり分かりません。
しかし当時は3団体の時代で国際プロレスが無くなり2団体の時代に突入した訳ですね。


つづく


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