おが の 冗談本気

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第1024話 「プロレスを振り返る・・・その2」

2017年01月15日 15時09分54秒 | Weblog
手術の日程も近づいてきましたが「プロレスを振り返る」の続きを書いてみます。


私が小学6年生のときに新日本プロレス中継をTVで見て衝撃を
受けて以来は少しづつプロレスの魅力に取り付かれてきました。

そしてクラスメイトとプロレスの話になった時、その人が
「俺はジャンボ鶴田が好きなんだよね~」と言いました。

ん?ジャンボ鶴田?
そーいや私が観始めた新日本プロレスにはジャンボ鶴田は登場しない。
それどころかジャイアント馬場すらもいない。

よくよく聞いたら全日本プロレスというもう一つのプロレス団体があるという。
そして全日本プロレス中継は平日の深夜に放送してるとの事。
曜日は忘れたんだけど平日の深夜に放送と言っても
小学6年生の頃はまだ深夜テレビを見るという習慣が無かったんですよ。

なので眠くならないように何とか我慢して全日本プロレス中継を
初めて観てみました。
そこには新日本プロレスとは違う世界が繰り広げておりました。
それでは当時の全日本プロレスの状況を書いてみます。


●PWFヘビー級チャンピオン  ジャイアント馬場

●UNヘビー級チャンピオン  ジャンボ鶴田

●インターナショナルタッグチャンピオン  ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田

●アジアタッグチャンピオン    グレート小鹿、大熊元司


●チャンピオンカーニバル(春に行われるシングルのリーグ戦)

●世界最強タッグ決定リーグ戦(年末に行われるタッグのリーグ戦)


次に当時の各レスラーについて書いてみます。


●ジャイアント馬場

この頃のジャイアント馬場は引退ムードが漂ってまして雑誌の記事にも引退の記事が
書かれていたし当時全盛期の猪木に滅茶苦茶挑発されまくってまして
弱いだの引退しろだの言われてました。
実際、当時の私が初めてTVでジャイアント馬場を見たときは全然強そうじゃなかったです。
手は細いしあばら骨はういてるし。そして技も十六文キックしかださないし。
当時の私は何でジャイアント馬場が有名でチャンピオンだったのかはまったく分かりませんでした。

●ジャンボ鶴田

この頃の鶴田は赤と青に星の付いた派手なトランクスを履いておりました。
フイニッシュホールドはフロントスープレックスやジャーマンスープレックスでした。
テクニックもあって今後を期待させるレスラーでしたが
この頃の鶴田はテクニシャン同士だといい試合をするんですがブッチャーのような
ラフファイターには弱かったですね。
善戦マンとも言われており世界チャンピオンに挑戦するときは
いい試合するんだけど結果的にはタイトルを取れないというレスラーでした。

●天龍源一郎

この頃の天龍は第3の男と呼ばれてましたが何か不器用なレスラーでした。
パワーボムはまだ使う前で猪木の真似で卍固めや延髄蹴りを使ってたんですが
いまいち形がカッコ悪かったですね。猪木ファンから失笑を買ってました。
天龍が大ブレイクするのはまだまだこれから先のことです。

●グレート小鹿

●大熊元司

この二人は一応アジアタッグチャンピオンだったのですが何でこの二人が
タッグチャンピオンだったのか当時の私は分かりませんでした。
二人とも地味なレスラーだったんですよね。
極道コンビというあだ名はありましたが。


●アブドーラ・ザ・ブッチャー

この当時の全日本プロレスの外国人エース。
凶器攻撃や反則攻撃をする一方で地獄突きやエルボードロップや山嵐といわれた
ブロックバスターなど技も多彩でこの頃のブッチャーは敵無しでした。
TVメディア等でも人気で悪役人気が凄いあった頃ですね。

●ドリー・ファンクJr

元NWA世界ヘビー級チャンピオンでブッチャーとの抗争で弟のテリーとともに
日本で人気のあったレスラーです。
でもこの頃から実力的には下降ぎみだったような気がします。
得意技はスピニング・トーホールド。
ファンク道場がテキサスのアマリロにありまして
全日本プロレスの若手が海外修行する際はそこでドリーやテリーの指導を受けます。

●テリー・ファンク

元NWA世界ヘビー級チャンピオンでドリーの弟。
ブッチャーとの抗争で兄のドリー以上に日本での人気が爆発。
日本でファンによるチアリーダーもあったほどでした。
得意技はファンクス伝統の技、スピニング・トーホールド。

●ハーリー・レイス

当時世界最高峰と言われてた当時のNWA世界ヘビー級チャンピオン。
パワーファイトにもラフファイトにも強くテクニックもあるんだけど
動きがスローでいまいち世界チャンピオンって感じはしなかったです。
アメリカでもスケジュールが過密でたまに来日する感じでした。
得意技はダイビング・ヘッドバット。

●ミル・マスカラス

千の顔を持つ男と呼ばれ色んなマスクをかぶる覆面レスラー。
試合で入場すると覆面を二枚かぶって入場し上の一枚は客席に投げてプレゼントする。
入場曲のスカイハイにのって登場する姿はかっこいいんだけど試合は意外と地味。
得意技はフライング・クロス・アタック。
この頃のマスカラスは全盛時より飛べなくなったと言われていた頃で
実力的には下降気味だったかもしれない。
でも人気は絶大で夏の季節になると来日してました。

●ビル・ロビンソン

ダブルアームスープレックスの考案者で実力者のヨーロッパのレスラー。
日本では人気も実力あったんだけどこの頃はもう
実力的には下降気味だったと思います。それでも鶴田といい試合をしていました。

●ニック・ボック・ウィンクル

当時のAWA世界ヘビー級チャンピオン。テクニックはあるんだけどずるがしこい試合展開で
タイトル防衛するので人気はそんなになかったですね。
こちらもスケジュールが過密でたまに来日する程度でした。
得意技は足四の字固め。

●ブルーザー・ブロディ

この頃のブロディは初来日したばかりでまだ日本での実績はこれからって感じでした。
しかしこの後ブロディは実力と人気で外国人エースへとのし上がっていきます。
得意技はキングコング・ニードロップ。


まぁこんな感じでしょうか。
新日本プロレスと比べるとあきらかに外国人レスラーの質が違います。
アメリカの一流どころが大量に来日していました。
そしてNWAとAWAと提携していたので世界チャンピオンも来日していました。

しかし新日本とは違ってとび抜けた日本人レスラーは当時はいませんでした。
この当時の私は全日本プロレスを初めて見て
新日本とは違いとても華やかな印象をうけました。


つづく






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