お城につきものなのはお濠。敵の侵入を防ぐために日本の各城の大半は周囲をお濠でめぐら
せていました。
その堀の中を「城内」と呼びますが、この「城内」の面積がトップなのは小田原城だと言わ
れています。
何しろ相模小田原藩1町80村の1町とはこのお濠の中の事を言っており、それは
1940年(昭和15年)に合併するまで小田原市(当時は街)はこの城内のことを言って
いたほどです。
平等な合併と言いながらも、やはり後から入った村集落は発言権も弱く、久野にはいわゆる
迷惑施設もたくさん作られました。
そんな一つに「斎場」があります。
人は誰もがいつかは天に召されるので迷惑と言うのは語弊があるかもしれませんが、家の前の
バス停に「斎場前」と掲げられ、毎日何台もの霊柩車が通る集落は明るいイメージが無く、
そんな負のイメージを何とか払拭しようと一人の女性が立ち上がりました。
地域の婦人会のリーダーとして、また地域づくりを考え、ざる菊を育てるようになりました。
いつしかそんなざる菊は話題を呼び、このざる菊で町おこしをしたいと近隣の父界からもお声
がかかるようになりました。
バスの運行会社は「斎場前」のバス停の名前を「ざる菊園前」に変更し、ますます人気が出て
きました。
そんな10年ほど経った昨年、隣接の総世寺のご住職が変わられました。新しい住職さんは、
このざる菊による町おこしにとても興味を持たれ、寺内を整備し駐車場を増設し、また寺内に
ざる菊を植え始めました。
日本各地、いろいろな植物で町おこしがなされています。特に桜は行政や観光協会などが中心
ですが、ヒマワリ、コスモスなどは本当に数軒の農家さんがコツコツと熱心に丹精を込めた結果
一大イヴェントになっています。
ざる菊も1件のお宅が自宅開放し歓んでもらおうと心配りをしたところに近隣のお寺さんが協力
しました。
もっと多くの方が協力をし、もっと楽しいイヴェントをし、もっとたくさんの観光客の方が来て
くれれば、もっと素敵な町おこしになるような気がします。
11月3日はざる菊祭りも開催されます。
2つのざる菊園は100mほど。そして近隣には小田原フラワーセンターや弊社の「植木植物園
諏訪の原圃場」もあります。
ぜひお越しください。
弊社も「緑とともに地域の発展を!!」をキャッチフレーズとしています。出来る事は協力をし
ていきたいです。
せていました。
その堀の中を「城内」と呼びますが、この「城内」の面積がトップなのは小田原城だと言わ
れています。
何しろ相模小田原藩1町80村の1町とはこのお濠の中の事を言っており、それは
1940年(昭和15年)に合併するまで小田原市(当時は街)はこの城内のことを言って
いたほどです。
平等な合併と言いながらも、やはり後から入った村集落は発言権も弱く、久野にはいわゆる
迷惑施設もたくさん作られました。
そんな一つに「斎場」があります。
人は誰もがいつかは天に召されるので迷惑と言うのは語弊があるかもしれませんが、家の前の
バス停に「斎場前」と掲げられ、毎日何台もの霊柩車が通る集落は明るいイメージが無く、
そんな負のイメージを何とか払拭しようと一人の女性が立ち上がりました。
地域の婦人会のリーダーとして、また地域づくりを考え、ざる菊を育てるようになりました。
いつしかそんなざる菊は話題を呼び、このざる菊で町おこしをしたいと近隣の父界からもお声
がかかるようになりました。
バスの運行会社は「斎場前」のバス停の名前を「ざる菊園前」に変更し、ますます人気が出て
きました。
そんな10年ほど経った昨年、隣接の総世寺のご住職が変わられました。新しい住職さんは、
このざる菊による町おこしにとても興味を持たれ、寺内を整備し駐車場を増設し、また寺内に
ざる菊を植え始めました。
日本各地、いろいろな植物で町おこしがなされています。特に桜は行政や観光協会などが中心
ですが、ヒマワリ、コスモスなどは本当に数軒の農家さんがコツコツと熱心に丹精を込めた結果
一大イヴェントになっています。
ざる菊も1件のお宅が自宅開放し歓んでもらおうと心配りをしたところに近隣のお寺さんが協力
しました。
もっと多くの方が協力をし、もっと楽しいイヴェントをし、もっとたくさんの観光客の方が来て
くれれば、もっと素敵な町おこしになるような気がします。
11月3日はざる菊祭りも開催されます。
2つのざる菊園は100mほど。そして近隣には小田原フラワーセンターや弊社の「植木植物園
諏訪の原圃場」もあります。
ぜひお越しください。
弊社も「緑とともに地域の発展を!!」をキャッチフレーズとしています。出来る事は協力をし
ていきたいです。