宮城県の小さく綺麗で穏やかな海辺に住む、はげたま(禿頭)おっさんの~ごまめの歯軋り~

子供や高齢者は国の宝、且つ障害者等社会的弱者の人権を尊重し守ってこその先進国。年々逆行する現実に抗し当り前の国にしよう!

★映画『沈まぬ太陽』を観た、おらの心の中!

2009年11月05日 14時42分39秒 | 社会
   【写真=大阪→沖縄を飛ぶJAL機。http://shinr.up.seesaa.net/friends/jal_b777.jpgより】



かみさんのホームページ  『阿部りつ子の女川町(おながわちょう)便り』

映画『沈まぬ太陽』を観て、おらの胸ん中はぐちゃぐちゃだ!
 三日前にかみさんの介助を受けながら、久し振りに石巻市の街に出た。
目的は尊敬してやまない「山崎豊子」さん(いいのかな?さん付けで)原作の映画『沈まぬ太陽』を観るためだった。
 平日の月曜日にも関わらず、観客がいっぱいで、その関心の高さに驚いた。
若い女性の姿が目立ち、おらみたいな中高年も結構居たのである。

おらは昔から「山崎豊子」ファンで、彼女の社会の暗部に切り込むその取材力や構成力、そして読者をぐいぐい引き込む文章力の凄さにまいっていた。
 それは同じような感覚をもたらしてくれた、文学的に『清張以前・清張以後』と讃えられている「松本清張」氏に通じる。

「山崎作品」に出会ったのが、今から40年以上も前の青春時代だった(おらにも若い頃があった)。
彼女の印象深い作品は、そのほとんどが映画化やドラマ化されているから、皆さんも良くご存知のはず。
 例えば、大学病院の醜い内実を描いた『白い巨塔』、エリート銀行家一家の歪んだ人間模様の『華麗なる一族』、先の戦争の瑕後が今(現在)に何を残したかの『二つの祖国』そして『大地の子』、今テレビで放送中の『不毛地帯』等々、凄いもんですね。
その話題性と、時代を超える普遍性とを備えていて、つまり時が経っても映像化される理由がそこにあり、「松本清張」氏に全く劣らないと独善的かも知れないが、そう思う。

 『沈まぬ太陽』の原作は、新潮文庫から発売されると同時に買い、全5巻貪るように読んだ。
一度ならず2回、3回と読み返して、『ナショナル・フラッグ』『フラッグ・キャリア』と呼ばれた日本航空(JAL)とは?と真剣に考えた記憶がある。
 労働組合を極端に敵視し、その執行委員長らをアカ(日本共産党員)呼ばわりし、会社べったりの御用組合を作らせて、正当な組合の分裂・消滅を図る。
 「空の乗客の安全を守る」が最優先のはずなのに、運航先にホテルを作ったりして、収益第一(自己保身)主義でなければ出世も見込めず、「安全第一]が皮肉な表現になるが、どこかに飛んで行ってしまった。
 しかし体質的には当時と今も、さほど変化がないのだろうか、国策(多くは自民党議員の空路就航のごり押し)が招いた要因があるにしても、経営危機が連日のように報道されている体たらくであるのは、皆さんご承知の事と思う。
 むろん、ご承知の向きの方も多いと思うが、現在の社長個人は国際的な評価が高いと聞くが、個人の力では如何ともし難い状況であるのは、論を待たない。

 『沈まぬ太陽』はテーマ(人権・命)が重い上に、スケールが生半可ではなく、しかも【御巣鷹山墜落事故】≪羽田発大阪行き123便が、機体のコントロールが全く不可能なダッチロール飛行後、群馬県御巣鷹山への凄絶な墜落事故になり、520人という航空史上最大の多くの尊い命が犠牲になった。しかし生存が不可能と思われた地獄図絵のような現場で4人の方が生存していて、正に奇跡の生還を果たした。全国民・・いや世界中の人々が、テレビという媒体で地獄と奇跡を同時に目撃したのである≫を避けて通る訳には行かず、映画化は〝立ち上がっては消え〞が、繰り返されたそうである。

 事故で亡くなった方の中には、国民的スターの九ちゃん(坂元九)がいて、当時どうにも信じられなかったが、1985年8月12日の夜のテレビニュースが忘れられない。
 民放各社が現場の状況等をヘリコプターを飛ばして必死で探していたが、NHKの木村太郎アナウンサー(現フジテレビ・キャスター)が、プロデューサー達の進行に異議をとなえ、「国民の誰が123便に乗っているのか判らない、国民に多くの関係者がいる以上、搭乗者名を最優先で放送するべき」と、その心の中の動揺が解るほどの表情で、日航の搭乗者名簿を読み続けた。 
その英断に感心し、20年以上経った今でも、当夜の映像が甦る。

 また、4人の奇跡的生存者の中に、当時四国で日本共産党の町議会議員をしていたKさんの娘、慶子さんがいるが、彼女がヘリコプターで吊り上げ救出されるテレビの映像に、食い入るように見入った記憶が生々しい。
 悲しい事に父を失った彼女は、お兄ちゃんと健気に生き抜き、四国で暮らしていると云うが、この映画をどのような心境で迎えているのだろうか?
どうか悲しみを乗り越えて、と願うのみである。

 JALにはこの事故を過去のものにしないで欲しいが、その後の経過をみると、どうも反省が足りなく、同時に相変わらず労務対策が上手いとは思えないように見えて仕方がない。
 例にして妥当かどうか意見が別れるところだと思うが、JR西日本が引き起こした『尼崎列車大脱線事故』の「事故調査委員会」から、かつての上下関係(先輩後輩)かなんか知らないが、それを利用して情報を得ていた不祥事が発覚したが、個人的な所業ではなく、会社ぐるみ(もちろん経営陣)だと言うから全く空いた口が塞がらず誠に恐れ入る。
 JALもJR西日本も元を糺せば国営である。
やはり昔日の『親方日の丸』的体質が、どうしても拭えないのだろうか?(誰も責任を取らない官僚的体質)。
 おらは決して、小泉元首相・竹中路線を肯定してはいないし、郵政民営化によるユニバーサル・サービスの劣化を憂い、公的色彩の強いものは、やはり官が運営し但し責任の所在を明確にすべし、と言う考えだが。

 本題の『沈まぬ太陽』に戻ろう。
主役の渡辺謙だが、遺族感情をどう捉えるかで苦労したそうで、その気持ちに想いを馳せ、時折涙ながらにインタビューを受けていた。
 ある意味、当然と言えば当然なのだと思うが、役者(俳優)という人達(特殊技能保持者)は、他者の心に寄り添う事が出来た上、尚且つ他者の人生を想像できる才能が必須なのだと知り、渡辺謙その人、その心情や見事と思えたのである。
 三浦友和ら、他の全出演者もただ単に映画に出るといった事ではなく、渡辺謙と紛れもなく同じであったに違いないと感じた。

 映画『沈まぬ太陽』は前評判に違わず、3時間半の上映時間が正に「あっと言う間」だった。

 主役、渡辺謙が演じた恩地さんは、実在の人物(もちろん名前は変えているが)だ。
恩地さんは日航に幾つかある労働組合の、その内の一つの組合の委員長で、空の安全を保つには働く者の待遇改善が欠かせないと奮闘。
しかしその期間はわずか2年だった。
もちろん後輩連中の心の中では、指導者として委員長退任後も敬われ続け、それ故会社の上層部に、「あいつは、いつまでもアカだ]と、想われつづけた。
 しかし彼は、過ぎた事とは言え組合活動を共にして、彼を慕う後進の人達の心情を裏切る訳には行かなかった。
暖かい血の流れる人間として、それが出来なかった。
恩地さんの心の中は、決して己の過去を否定するような事を、己自身が許さない矜持があったのだと思う。
 相棒だった元労働組合副委員長、行天さん(三浦友和が好演)は、架空の人物らしいがJALの体質を表す役どころで、労働運動からさっと身を引いて恩地さんと袂を分かち、その豹変ぶりには唖然とするが、こういった手合いが多いのは、日本の大企業や保守政治家の世界では当たり前なのだろう。

 恩地さんの強力な指導力と、人望類まれな人間像に恐れをなしたJAL幹部達。
その結果、企業体質(親方日の丸、自己保身、前例踏襲主義、組合敵視)が生んだ歪んだ企業倫理が発揮され、道理も人情のかけらもない恩地さんへの、長い(約10年)海外左遷に発展。
同時に何の保障も無い社長の「2年経ったら呼び戻す]との空手形が発行された。
 犠牲になったのは、彼及び彼の将来であるのは当然だが、彼の家族、なかんずく子供達は傷つき翻弄されながら、母国を夢見て成長する。

しかし、しかしだ、やがて長じて父親を想う、息子と娘の父との会話や姿が清々しく、心が洗われた。
 無い物ねだりかも知れないが、我が子供達もこうであって欲しい、と。

 圧巻で、正視する事さえ・・・映画と判っていても息が詰まった体育館の、500余の棺の列。
言葉が出ない、とはこういう事を言うのだろう。
 『御巣鷹の事故』の最中での醜い経営陣は、まともに(人間的に、と言い換えても良い)遺族に正対できない。
 印象的だったのは、遺族宅で社長に遺族が花を投げつけたシーン。
同行した行天氏は、すぐさま社長のズボンの汚れをハンカチで拭い、遺族の激しい怒りを買う。
「人の家に来て、家のカーペットの汚れよりも社長はんのズボンが先でっか?帰れ!」と。

 それとは対照的に恩地さんは、真摯に遺族に接し、加害企業の社員であるにも関わらず、遺族たちの信頼を得て行く。
こんな風に、おらだったら出来るか?と、その人間性のありように、おらは自信を喪失した。
映画の主人公に嫉妬したのは、初めてだ。
 実際には恩地さんのモデルになった人は、『遺族係』を担当されていないと云うが、恩地さんの人柄なら、有り得て当然だと思うし、映画の進行上も全く違和感が無かった。

 先のJR西日本を持ち出すまでもなく、日本の交通行政に警告を発し続けるであろう映画『沈まぬ太陽』。

 恩地さんこそが、空の安全(乗客の安全)と、そこで働く者たちの人間らしい待遇が両立すると確信しているが故に、経営陣の一角に入っていれば、また違ったJALが今日見られていたかも知れない。
 恩地さんは、学歴を見ても経営に携わる力量があると思え、更に先に書いたように後輩たちからの人望も厚いからだ。
因みに恩地さんの最終学歴は、東大法学部と記憶しているが間違いだろうか?自信は無い。

 映画のエンドロールの最後まで観て余韻に浸っていたが、後ろを振り返ると多くの人たちが同様に最後まで居たのには、正直驚いた。
それだけ皆さんの心に沁み入った作品の証しだろう。

 かみさんとの帰路、お互いに無口でそれぞれの感慨に浸った。
こんな事は、絶えて久しかった。

 おらは心の中で、最後まで何とか機体をコントロールして、絶望の淵から生還しようとしたパイロットたちや、乗客のために自らの恐怖を乗り越えて奮闘した客室乗務員(多くは若い女性)の心に想いを馳せ、涙した。
 また500人余の乗客それぞれが覚悟を決めるまで、恐らくあったであろう阿鼻叫喚のさまが、頭をよぎって離れない・・・・・合掌。

 もちろん恩地さんの人間性を、虫けらの如く扱った〝会社〞と云う化け物に対して、止めどもない怒りが込み上げてきた。
 しかし〝会社〞と一括りで言ってしまえばそれだけだが、実際は人間の集団(経営陣)である。
問われているのは、その一人ひとりの人間性である、と思う。
 その一人ひとりの体質が航空史上未曽有の、大事故を生み出したとしか考えられないからだ。
そして、考えるだけでも恐ろしいが、再発しないと云う保障など、どこにもないのだ。
【機体整備士の削減や外注化、労働組合敵視政策等による乗客離れ、或いは他の航空会社に比しての高すぎる企業年金等、JALの抱える問題は多岐に渡る】

 前評判通りの秀作(傑作・大作)で、まだの方は是非、劇場へ足を運んで頂き、考えて欲しい、ある意味問題作でもある。

※なお、この文章中で頻繁に実在の日本航空(日航・JAL)の表現を使っているが、あくまで小説・映画ともに『沈まぬ太陽』はフィクションとなっている・・・・従ってこの文章もそれを準ったものであるよ・・・
フィクションとノン・フィクションの境目は難しいのぉ・・・念の為!

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2 コメント

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嘘のような ()
2009-11-13 22:38:55
本当のこと。福知山線の脱線も、人間とは思えない所業での殺人・・・。なんか世の中全体が病んでいるような。だから、真理ってなんだろう?っていう気持ちでみんな恩地さんのような人の背中を見たがっているのかも知れないですね。そういう人を見て安心したいというか、確かめたいというか。
難しい。
タコ忠さんの解説は非常に面白いので、今度僕の好きな「金融腐食列島」という映画についてもコメントしてみて下さい。お時間があれば(焦)
あれも、企業相手に孤軍奮闘する物語だった記憶があります。
すばらしい解説ありがとう~。
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涙が出たよー。 (アンネのバラ)
2009-12-03 12:07:09
解説を読んで涙が出ました。
まだえいがやっているかなー。
行ってみなくちゃ。
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