宮城県の小さく綺麗で穏やかな海辺に住む、はげたま(禿頭)おっさんの~ごまめの歯軋り~

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★平和を奏でるコカリナの魅力(平和のつどいにて)

2010年10月31日 19時12分26秒 | 社会
かみさんのホームページ『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』
反戦平和を声高に言わずとも歌で伝える方法がある
平和のつどい20周年記念コカリナ・コンサート
 今日は『石巻・平和のつどい20周年記念 黒坂黒太郎 コカリナ・コンサート』が、地方百貨店から譲られ改造された、石巻市役所大ホールで開かれたじゃがや。
 主催は『第20回平和のつどい実行委員会(代表・庄司捷彦弁護士)』で、2001年に事情で開催されなかった以外、21年間も『平和のつどい』を続けて来たその平和に対する深い思いを考えると、本当に頭下がる思いじゃ。

 おらは「コカリナ」とは何ぞや、と思い、「黒坂黒太郎氏」とは何者じゃと思いながら会場に向かったがじゃ。
 つまりおらは解からない事だらけで、家内の運転する車中の人になったがじゃ。
会場に着いたのは、開演5分前という際どさじゃった。
 車椅子を適当な場所に移し、開演を待ったがじゃ。
そして落ち着く間もなく、コンサートが始まったんじゃ。
【初めて聴く本格的な「コカリナ」の音色はあくまで柔らかった】

『平和のつどい20周年記念 黒坂黒太郎コカリナコンサート』は、黒坂さんのコカリナ演奏も見事じゃったが、ご夫人の矢口周美さんのオートハープも、とても良かったがや。

 黒坂さんはフォークシンガーで、15年前にハンガリーの楽器『コカリナ』に出会い、その音色の優しさの魅力にとりつかれて、自分で制作研究したり楽曲を作るなどして、日本への普及に努め、現在では国内外で活躍しているコカリナ奏者の第一人者だそうなんじゃ。

 長野オリンピックで伐採されなけばならなかった木からコカリナを制作し、オリンピックの表彰式で子どもたちと演奏したそうじゃが、どんなスポーツでも観るおらは、全く知らなかったじゃがや。

 黒坂黒太郎氏の石巻での演奏は3年連続だそうで、”スクールコンサートを含めると6回目だそうだそうじゃ。
それを知らんかったおらは、己の不明を恥じるがじゃ。
 そんでん黒坂氏は、石巻の地にしっかり「コカリナ」の種を蒔いていたんだそうじゃ。
その花が咲き、今回のコンサートでは子どもたちが特別出演して見事なハーモニーを奏でちょった。
【子どもたちはあがる事なく、演奏を続けた】

時空を超えた物語~被爆樹コカリナ物語
 今日、黒坂黒太郎氏から、知られざる秘話を聴いたがや。

1945年8月6日、あの忌まわしい原爆に襲われた樹木があったそうで、真っ黒に焦げたその樹は大切に保管されていたそうじゃ。
 そしてある時、広島の高校生から黒坂さんに、真っ黒に焦げたその樹でコカリナを創って欲しいとの依頼があったそうじゃがや。

 そん樹の状態を一見した黒坂さんは、「いくら何でも状態が悪過ぎる。創れないかも」と思ったそうじゃが、高校生の純粋な思いに想いを致し、制作する事を決意したそうじゃ。

 焦げた部分を丁寧に削ぎ落し、長い時間をかけて創ってはみたものの、音が出るかどうか不安で仕方なかったそうじゃ。

 いざ吹く段になった時には、恐るおそる吹いたそうじゃ。
果たして音が出るじゃろか。
ところが吹いてみたらそれらが全て杞憂に終わったそうで、清らかな音が出て本当に安心したというじゃがや。

そん時黒坂さんは、この「コカリナ」には、何かの魂が入っているような気がしたと、言っていたがじゃ。

 そんでそん話しが広島の秋葉市長の耳に届き、広島でのコンサートに招待されたところ、黒坂さんの演奏を聴いたアメリカの方が、是非訪米して演奏して欲しいと願い、黒坂さんのアメリカ公演が実現したそうじゃから、人生何が起きるか解からないものじゃのぉ。

 音楽に国境はないと巷間言われているんが、正にこん話しはそれを地で行ったような話しじゃったわい。
 つまり、ハンガリーの民族楽器?が日本人の手に渡り、創意工夫の研究を重ねてより高度なコカリナに変身し、それを聴いたアメリカ人がその音色に魅了され、母国に招待・紹介したという話しは、聞いただけで心が暖まる気がしたがじゃ。

 そんで黒坂さんはそん話しが終わると、その「被爆樹コカリナ」で、『鳥の歌』という演奏が難しいと言われているらしいスペイン民謡を奏でてくれたがじゃ。
目を閉じて聴いていたら、野山や鳥たちの姿が目に浮かぶ、そんな素晴らしい演奏じゃったぞえ。
 最後に黒坂さんが『被爆樹コカリナ』を奏で、奥さまの矢口さんがオートハープを弾きながら歌った心に染み入る「アメージンググレース」を、私たちに贈ってくれじゃがや。

こころに染み入る素晴らしい演奏じゃったがや。

【手話を使いながら熱唱する矢口周美さんの歌声は心地良かったがや】

おらが黒坂黒太郎氏夫妻に好意を持った一つの歌
 団塊の世代以上だったら知っている人がいるかと思うが、『死んだ男の残したものは』を歌ったのには、正直びっくらこいたがじゃ。
何せ、黒坂さん世代から見りゃ、古過ぎる歌じゃ思ったからのぉ。
 それに決してメジャーな曲ではなかったからない。
ところが、彼等は歌ったじゃが、かなり歌い込んだ感じがしたんは、贔屓目じゃあらへんで。

 おらが若い頃よく歌った、日本の反戦歌の代表みたいなもんじゃ。
1965年、ベトナム戦争に日本の沖縄基地が出撃拠点になっていて、国内の『反ベトナム戦争運動』が、大変高揚していたがじゃ。
有名な詩人であった谷川俊太郎氏が作詞して、これまた著名な作曲家、武満徹氏が曲を付けたもんじゃが、それでも田舎にゃ関係ない歌じゃった。

 ベトナム戦争さなかの、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のために創られたんじゃが
おらは小室等しか覚えとらんが多くの歌手が歌った記憶はあるじゃがや。
 あの頃の世情は混乱状態にも見える状態じゃったが、市民は今より数段政治的に目覚めていたっけなぁ。

 おらは早熟な少年じゃったのかいのぉ、同級生など友人たちの中にこの歌を知っていたのは、ほとんどいなかったわい。
 もっともあん頃、ラジオの深夜放送を聴くなどしていた中高生は、田舎じゃ極めて少数派じゃったもんなぁ。
我ながら驚くんじゃが、現在でも歌詞を覚えていて歌えるでぇ。

 いずれにしても、意外な空間で意外な歌に出会い、妙な気分になったわい。
そんでんよう考えたら『平和のつどい』じゃから、もっとも相応しい歌じゃったと言えなくもないのぉ。
 んだが聴衆の多くは、おらより年下の婦人が圧倒的に多かったけん、何か今一歌が聴衆の中に浸透しなかったように感じたんじゃが、おらは一緒にちいさな声で口ずさむ事ができ、満足じゃった。

 この記事を読んで興味を持った人は、『黒坂黒太郎』にアクセスしてみてごらん、じゃ。

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3 コメント

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2回目ではないんじゃが。 (あべかよこ)
2010-12-02 13:37:02
黒坂さんを気に入ってくださってありがとう。黒坂事務所のまわし者ではないのよ。
黒坂さんのコカリナの石巻のステージは3年連続です。スクールコンサートも含め6回演奏…すべて私めが参加しています。
10年ほど前にも演奏…その前まだ歌だけの黒坂さんのきっかけは私が事務局長をしていた「子ども劇場」です。ステージは女川を含めると10回ぐらいになるにではないでしょうか。こんなに何回も演奏を聴いた私でも「死んだ男・・・」ははじめて聞きます。本当によかったですね。
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赤面ずら (たこチュー)
2010-12-03 21:21:08
お久しぶりです。”こころ”に半年ぶりに復帰しました。この記事を書いて2カ月もして反響があるとは、予想もしていませんでした。間違いを訂正してくれてありがとう。早速当該個所を訂正します。
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引っ越しました。 (アンネのばら)
2010-12-12 08:28:00
私の古いブログにアクセスしたところchuさんのコメントを見つけました。
まえのPC 壊れてしまって…消すにも消せないというところです。変なコメントが入っているので嫌なのですが…更新がないと1年?で消されるのでそれを待つのみです。
新しいブログにどうぞおいでください。
あ、“こころ”に復帰したのですね。
じゃ、そのうちのお会いできますね。
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