かみさんのホームページ『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』
『冤罪事件』に立ち向かう『日本国民救援会』
【昔も今も続く冤罪事件】
10月4日、石巻市役所の会議場に、仙台のK弁護士をお迎えして、『日本国民救援会石巻支部』の総会が開かれた。
現在、受刑者として千葉刑務所に収監されている、『仙台・北稜クリニック筋弛緩剤事件』の犯人に仕立て上げられた、守 大介さんを救うための勉強会だ。
今、国内を冷静に見ると、日本の法治国家観が大きく揺らいでいるように思える。
それは『大阪地検特捜部の事件でっち上げ』ばかりか、証拠の改ざんまでも明らかになった事や、『尖閣諸島事件』への政府の無責任な対応と法務大臣の失言では許されない言動などで、今や政府・司法の権威は地に堕ちた感がしてなりません。
大阪地検特捜部の不正発覚のきっかけともなった当の村木厚子厚労省元局長の裁判については、事件当時「郵便不正事件、厚労省局長逮捕」で、証拠とされたフロッピーディスクを、特捜部のエリート検事、前田恒彦が自ら描いた事件の構図に従って改ざんしたものだった。
かねてから『冤罪事件』が頻発するこの国の法の運用上の問題が、大きく指摘されてから久しいものがある。
しかしあなたは、日本の捜査当局(警察・検察)や裁判所を、無条件に信用してはいまいか。
ところが現代にあっても江戸時代の”火付盗賊改=ひつけとうぞくあらため”まがいの捜査が行われているとしたら・・・?
『冤罪』。
それはそんな体質から生まれる。
そんな権力の横暴から国民を守る民間組織があるのを、あなたはご存知だろうか。
その名は『日本国民救援会』。
意外と力があるのだよ。
さて話しは古く、戦後間もない時期に発生した「大冤罪事件」『松川事件』は、国中を巻き込んだ大事件である。
その前後に不可解な大事件が頻発した。
1948年1月26日には、12人が殺害された『帝銀事件』が発生し、8月にテンペラ画家の平沢貞通が逮捕され、死刑が確定した。
しかし、歴代の法務大臣は誰一人処刑の命令書に署名せず、平沢死刑囚は獄中で生き続けたのである。
新聞記者の前で一度に23人の死刑執行を署名した豪の者、田中伊三次でさえ、「これは冤罪だろ」と言って死刑執行を命じなかったという。
死刑執行されることなく、40年近く死刑囚として生きた平沢は、1987年5月10日、肺炎を患い八王子医療刑務所で病死した、享年95であった。
そして翌1949年は、戦後史の暗黒の年だった。
7月5日に『下山事件』が発生した。
1949年(昭和24年)6月1日に発足した日本国有鉄道(国鉄)の初代総裁に就任したばかりの下山定則は、7月5日朝、午前8時20分頃に大田区上池台の自宅を公用車で出たが、午前9時37分頃、三越デパートに入りそのまま消息を絶ち、翌7月6日午前0時30分過ぎに国鉄常磐線・北千住駅~綾瀬駅間で汽車に轢断された下山の遺体が発見されたのである。
自殺か他殺かの判別もつかず、事件は迷宮入りしたのである。
それから10日後の7月15日には『三鷹事件』が発生し、世は騒然となった。
当時の国鉄三鷹電車区の引き込み線から7両編成の無人電車が暴走し、道路を越え民家へ突っ込み、6名が死亡、20名近くが重軽傷を負ったのである。
この事件で10名が起訴されたが、一審では非共産党員の竹内景助被告の単独犯行とされて無期懲役、他9名を無罪となった。
時は移り、再審のための予審が始まり再審開始まであと1ヶ月程の67年1月18日、竹内被告は46歳で獄死したが、さぞかし無念であったろう。
『松川事件』に戻ろう。
敗戦から4年たった1949年8月17日、福島県松川町を通過中だった東北本線上り列車が、突如脱線転覆する事件が発生し、捜査当局は、当時解雇反対および工場閉鎖反対等の闘争中であった国労福島支部幹部および東芝松川労組幹部ら(いずれもほとんどが共産党員)に目をつけ、合計20人が列車妨害の「謀議」をなし、あるいはその「実行犯」であるとして起訴された。
長い裁判闘争は「無実の者を殺すな」と多くくの人々の支援に支えられ、1961年8月に差し戻し仙台高裁判決で、被告人全員の無罪が確定したのであり、国鉄に関係した3事件には、占領軍GHQの影が付いて回っていたと言われているが、その真相は今、全世界の話題を独占しているWikiLeaks
あたりに、米軍の極秘文章が出て来ない限り闇に葬り去られるのだろうか。
また近年で有名な『でっち上げ事件』には、『志布志事件』がある。
2003年の鹿児島県議選曽於郡区に立候補した中山信一さん(62)の選挙運動をめぐり、4回の買収会合で現金を授受したとして、中山さんや志布志市の戸数わずかな小集落の住民たちの計13人が公選法違反罪で起訴されたのである。
捜査段階で6人が自白するも、公判では全員が否認に転じた。
検察側の証拠は自白調書のみで物証はなく、『踏み字事件』などで虚偽自白を招いたとして争い、弁護側は違法な取り調べがなされたとして、取調官の尋問などに長期審理が費やされたのである。
鹿児島地裁は07年2月23日、中山さんのアリバイ成立を認定し、「買収会合はなかった」として、公判中に亡くなった1人を除く12人全員に無罪を言い渡し確定した。
『足利事件』も忘れてはならない事件で、いかに自白に頼った捜査がずさんであったかを証明していて、犯人とされた菅谷さんは、17年もの長期に渡り、無罪であるにも関わらず獄中に繋がれ続けたのであり、国家権力による大変な人権侵害事件とも言えるもの。
そして何より、真犯人がのうのうと社会を歩いている事を考えれば、遺族にとっては、受け入れ難いたまらない現実でしょう。
であるから、国民の間には取り調べの可視化が大きなうねりになってきており、近い将来実現するでしょう
そしておらのかみさんにとって、人ごとでない事件がいろいろあります。
そんな事件(でっち上げ)の中でも、国家公務員法違反に問われた『堀越事件』は重大なのであると認識している。
社会保険庁職員の堀越明男さんは、2003年総選挙の時期に、「しんぶん赤旗」号外などを休日、居住地で郵便ポストに配布したことをもって、国家公務員法に違反するとして、起訴されたのである。
公安警察は、長い時間をかけて堀越さんをマークして多額の費用と人員をかけて、堀越さんのプライバシーまで盗撮していたのであるから、その異常さにはぞっとする。
おらのかみさんみたいに日常的に、『フレッシュ便』や『女川民報』、あるいは『赤旗号外』を町内に配布している身は、いつ『住居侵入罪』などで、逮捕されないとも限りません。
【仙台・北稜クリニック筋弛緩剤点滴事件】
皆さんの中には【仙台・北稜クリニック筋弛緩剤点滴事件】を、記憶している人も多いと思います。
2001年年1月、患者の点滴に筋弛緩剤を混入したとして逮捕され、5件の殺人・殺人未遂の罪で起訴された仙台・北陵クリニック元・准看護師の守大助さんは、一審で無期懲役の判決を受け、控訴審もこれを支持した。
2008年5月28日、仙台地裁は守さんの不作為を認め、被害者家族へ5000万円の支払いを命じ、2009年9月18日に最高裁判決として確定し、守さんは現在、千葉刑務所に収監されていますが、守さんは無実を訴え続けており、守さんのご両親は息子の無実を信じ、支援活動を活発に行っていて、支援者も増えている=【無実の守大介さんを支援する首都圏の会】 。
また当時のマスコミも、守さん犯人説に多くの疑問を呈し、テレビ(ANN=ザ・スクープ)は何回か取り上げ、「週刊朝日」や「週刊ポスト4月」、「週間ポスト5月」、月刊「現代」などが相次いで「冤罪」説を唱え、そんな報道が相次いだのであるが、「週間ポスト」はこれ以外の週にも特集記事を何度か掲載している。
この日のK弁護士は、守さんの弁護をしているA弁護士が北稜クリニック (2002年閉鎖)の実質的オーナーの東北大教授の半田氏により、名誉棄損で訴えられており『謝罪広告等請求事件』の被告A弁護士の弁護人になったものであり、その内容を詳しく話してくれ、おらにも良く理解できた。
A弁護士は『事件』そのものが、もともと存在していなく、それぞれが何らかの病気によるものであるとの主旨の本を出版したのですが、その内容について元・オーナーの半田教授が名誉棄損にあたるとして、A弁護士を訴えたもの。
A弁護士たちは、”何らかの脳内の病気”とあいまいに表現しているが、想定される病名を例えば”ミトコンドリア脳症”と断定するには、不確定要素が多くて断定するのは早過ぎる、との説明だった。
K弁護士による裁判の係争点の説明によると、O少女の容態急変については、筋弛緩剤の点滴による筋弛緩が生じて呼吸不全になり、脳の障害に至ったとされる事件を、そもそも筋弛緩剤は使われていない事を証明する医学的に極めて専門性の高い裁判だそうで、そのご苦労が偲ばれるというものである。
ここに守弁護団の苦労があり、医学的な見地から弁護側の証人を引き受けてくれる医師がいない事が、大きな壁になっているそうだ。
宮城県はもとより、東北・北海道で守側証人になる医師がいないのは、東北大学の学閥が大きく、証人に立つ医師は、その事により現在の職はおろか未来も閉ざされてしまう事が大きいのだそうである。
この話しを聞いたおらは、作家・山崎豊子女史の書いた『白い巨塔』を想い出していた(日韓でドラマ化や映画化された)。
貧しい庶民が大学病院を相手に医療裁判を起こしたものの、大学側は医局医師の証人に偽証までさせたっけ。
しかし里見という内科の助教が、医師の良心のため職を賭して原告側の証人に立ち、大学を追われた物語だった。
それが、おらの知る範囲で現代でも起こっているのが、不思議な感じがしたのである。
しかし深刻な問題はまだあり、『事件』の立証に不可欠な証拠である点滴剤の鑑定が、もう2度と出来ない事がある。
捜査当局は、『事件』立証のための最初の鑑定に試料を全量使ってしまったと主張し、再鑑定ができないという現代の科学捜査ではあり得ない事をやったというのである。
おらは信じ難い気持ちで、K弁護士の話しを聞いていた。
とは言ってもおらには、捜査当局の言う『試料の全量消費』の言葉の真偽のほどは判らないと思った。
試料を隠しているか、わざと廃棄した可能性も否定できないからであり、彼等は都合が悪いと組織ぐるみで嘘をつく連中じゃもの。
また、『事件』で実際に使用されたという点滴のボトルや注射針や三方活栓などを証拠として採用しないなど、守受刑者側が主張している証拠や有利な主張を一切認めないなど、裁判所の訴訟指揮には大きな義憤を感じる。
先にも少し書いたが、今まで正義の味方と国民が信じていた検察が、事件をでっち上げ、証拠を改ざんする実態を国民が知り、大問題になっている。
事件がなくても事件を”でっち上げ”、自分たちの創った事件のストーリーに合うように証拠を集め、あるいは改ざんして、得々としている検察や、その検察の出す証拠とやらを、全面的に採用する裁判所の訴訟指揮の実態には、恐怖すら感じるのだ。
守大介さんの『事件』にも大きな疑問が数多くあり、曇りのない医学的知見と法の平等の下に、真実が明らかになる事を心から願っている。
おらたち『日本国民救援会』は、日本から違法な捜査をなくし、『冤罪』の被害者を救うのが大きな目的であるし、それを実践している。
と同時に『冤罪』があるという事は、真犯人を野放しにしている事である。
警察や検察が見込み捜査や、でっち上げたり、証拠改ざんや自白強要を無くさなければ、真の悪はのうのうと、白日の下、堂々と社会を歩いているのだ。
犯罪被害者やその家族(遺族)にとっても、真犯人がすぐ傍にいるのかも知れない。
その意味においても、おらたち『日本国民救援会』の存在意義・活動意義は深いものと自負しているのである。
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