宮城県の小さく綺麗で穏やかな海辺に住む、はげたま(禿頭)おっさんの~ごまめの歯軋り~

子供や高齢者は国の宝、且つ障害者等社会的弱者の人権を尊重し守ってこその先進国。年々逆行する現実に抗し当り前の国にしよう!

★『プルサーマルを考える対話フォーラム』二回目を聴講して!

2009年11月16日 20時54分13秒 | 女川原発 & 関連
【写真=かみさんが出島・寺間という地区がある離島から、女川町内側に戻る船上から写した女川原発の遠景】




かみさんのホームページ 『阿部りつ子の女川町(おながわちょう)便り』
 
【第二回『プルサーマルを考える対話フォーラム』開会】
 11月11日(水)夜の『プルサーマルを考える対話フォーラム』《以降は『フォーラム』と表記》当日は雨で、おらは参加を逡巡していた。
 開場時間の5時頃に小雨になったので、おらは家内に「参加するぞ」と言ったが、雨脚が強いと車椅子のおらはずぶ濡れになり、躰調を崩す懸念があったからだ。
 外出するのは映画『沈まぬ太陽』を観た時以来で久し振りだが、原発関係の集会には殆ど参加していて、顔見知りの東北電力社員なども居て、挨拶を交わす事もあり当夜もそうだった。
『プルサーマル計画』を憂慮している、おら達夫婦みたいな連中は必ずと言って良いほど参加しているようだ。

 午後6時ちょうど、『フォーラム』が女性総合司会によって開会され、若干の注意等があり、ファシリテータ(しかし何で司会者とか進行役とかの日本語にしないのか不思議だ)の北村正晴・東北大学教授にマイクが渡された。
 当夜のパネリスト(講師)は〝推進派〞の立場で奈良林直・北海道大学教授、〝慎重派〞の立場から小山英之『美浜の会代表』のお二人だった。
 マイクを握られた北村教授は前回(10月31日)にもファシリテータを努められていて、次のような言葉を述べられた。(おらの記憶だから100%の表現ではなく、概略だと認識して下され)
 北村教授は「前回みたいに、『フォーラム』の進行に有害と認められる言動や行いをした人は退場していただきます」と、普通に挨拶した後に付け加えられ、場内参加者の注意を喚起したのだ。
【北村教授が注意した、ある事情】
 この教授の言葉の意味を判ってもらうには前回の事件?に触れねばならない。
10月31日、第一回『フォーラム』は順調に進められ、休憩を挟んで第3部の、場内参加者から質問を募り、檀上のパネリスト(講師)が答える形式に移った。
 因みに当日のパネリスト(講師)は〝推進派〞から山名 元・京都大学原子炉実験所教授、〝慎重派〞からは舘野 淳・元中央大学教授だった。
 ある質問にパネリストが答えている最中に、場内前方から比較的大きい声で「うそつき」の雑言が飛んだ。
 北村教授は直ぐ反応して、厳しい声で咎めた、「繰り返せば退場してもらいます」と。
だがこれは伏線でしかなかった感があった。

 その後は比較的順調に質疑が進んだと思った頃、どこの誰かは知らないが初老の男性が立ち上がり発言を始めた。
 その男性は長年原発問題に関わって来たらしく「我こそが原発問題やプルサーマル計画のオーソリティー【authority=その道の権威者・大家など】である」みたいな横柄な態度で自論を長く展開し、檀上のファシリテータ北村教授は彼の話しに割り込み「簡潔な質問を!」と促し注意したが効果なく、その男性はまだ続けた。
 北村教授は我慢している心理がはっきり解る表情で公益を優先し、質問の趣旨を要約してパネリストに伝え、答えてもらったのである。

 しかし居るんだよな、こういった困った輩が。
人間的には「唯我独尊・自論実現の際には実力行使も辞さない傾向が・・・」と、ここまで書いたら頭の中にふっと《グリーンピース》とやらの名前が湧いて来た、と言うか浮かんで来た。
 ほらあれですよ、ほら・・・日本の捕鯨に反対して、南氷洋上で日本の調査捕鯨船に体当たりをして、業務妨害どころか、まるで交戦状態みたいな状況にするあの得たいの知れない神出鬼没の団体、日本にも支部があると聞くが・。
 もちろん、この質問者がそれに関係しているとは思わない、が体質的には似ているような気がするのですよ、おらには。
 多分、当人は主催者側に一撃を与えたと考え、また会場の参加者が同感していると勝手に解釈して気分が高揚していたに違いないが、現実は真逆で大方の参加者は反発を覚えたに違いないが、おらも当然そうだった。
 もし発言の内容や態度を参加者が相当と判断すれば、拍手の一つも起こるはずだが、白けてしまったのが現実だ。
【良識派のオーソリティー登場】
 こういった事態を嫌悪した北村教授が、先の発言をしたものと想われる。
まっ、至極当然の対応対処だと思ったから、おらには異存なんかは無かった。
 第二回『フォーラム』は順調に進み、今回も第3部の場内と檀上の質疑応答が始まった。
北村教授に冒頭「先制パンチ」を浴びた、いや「釘を刺された」形の質問者諸氏はいずれも要点をまとめた簡潔な表現で質問して、内容はともかく順調に時計の針が進み、ある初老の男性が質問に立った。
「私はプルサーマルに賛成だが、ウラン資源の節約効果は何%位ですか?」と訊いたのには、おらは半ば呆れて苦笑した。
 ちゃんと話しを聴いていれば出ない質問なのに、「賛成の人もいるんだよ」と会場の人達に知らせるために敢えて行ったのかな?、とおらは思った。

 少し間を置いて高野 博女川町議会議員が質問に立ったが、この人こそ知る人ぞ知る【原発問題やプサーマル計画のオーソリティー】だと、長年近くで見て来たおらの実感だ。
高野さんのネットワークは強固で、いわゆる間口も広く、その人脈は全国に広がる。
 振り返ってみれば若干27歳の若さで教職を辞し、日本共産党の女川町議会議員となり、当時女川町が分裂状態にあった『原発問題』の渦中に飛び込んだのだ。
 高野議員は声色は静かでその口調は穏やかだったが鋭い質問を連発して、檀上のパネリストの先生達が答えに窮する場面もあって、「さすがは高野さん、お見事!」とおらは心の中で正に感服したのである。

 しかし皆さん、おらだって質問の用意をしていたし、隣に座るかみさんも質問する気満々で、北村教授から指名されるのを二人して何度も手を挙げて待っていた。
確かにおらは素人だが、素人だからこそ出来る素朴な質問を用意していたのだが。
 しかし、おらとかみさんは残念ながら北村教授から指名されなかった・・・いや指名されなかったのは幸運だった、とも言えるのかも知れない。
「満座の中で、赤っ恥をかかずにすんだな」と、悔しい事にもう1人のおらがこっそりつぶやく。
【奈良林 直・北海道大学教授の立場を推察】
 さて、おらのお粗末な話しではなく『フォーラム』の議論へ戻ろう。
〝推進派〞の奈良林 直・北大教授は、今まで≪9月5日の基調講演会『プルサーマルを考える』や、10月31日の第一回『プルサーマルを考える対話フォーラム』≫あまり正面から議論されて来なかった『地球温暖化対策=Co2削減』を切り口に、話しを進めた。
この地球温暖化は何らかの対策対応を取らなくてはならない喫緊の案件として、〝慎重派〞の小山英之先生も異論は無かった。

 温暖化の話しは民主党が政権を奪取して、『鳩山総理大臣が国連でのデビュー演説で、高らかにCo2の1990年比28%削減を国際公約』した事により、『プルサーマル計画』導入を目指す国や保守政治家・電気事業連合会及び〝推進派〞の先生方にとっては、極めて大きな追い風と感じている事は否めないと思う。

 しかしそれ以外の何故『プルサーマル』を推進するかについては今までの〝推進派〞諸先生方達と基本的な部分に於いては同様なので、ここでは失礼ながら、先生の発言の中でおらの心に残った部分についてのみ書く事にする。

 さておらの記憶に残った奈良林直・北大教授の話しだが、「プルサーマルを導入すればウラン資源は2100年くらいまでもつ」と言う事、と「現在問題になっているものは将来科学が解決する』だが、もっとあったような気がするが残念な事に忘れてしまった。

 余談になるが、この人間の忘れる機能は非常に大事なんだそうで、これが無いと心理的に壊れてしまう人間が続出するそうだ・・・?!
 『時が解決する』なる言葉は良く聞くが、正に人間の忘れる機能『忘却ツール』は、普通の人に標準装備されているようだ。
 しかし、これを意図的に使う事が出来れば大変便利だそうだが、残念ながら、おらはそういった経験がないから、どの程度効果的かは知らない。

 ついでに脱線するが、昔『ロッキード事件』で田中元総理が追い詰められる中、国会に証人喚問された田中の〝刎頚の友〞小佐野賢治氏が『記憶にありません!』を連発して国会(国民)を愚弄したが、流行語にもなった記憶がある。 
 以後も東大出などの頭脳明晰な実業家や政治家が、自己に不都合が生じると連発するから、それこそ、おらは〝むかつく〞のだ。

 つい最近の例を言えば、政令指定都市・仙台市の前市長である梅原氏がいる。
彼は自分の女房にタクシーチケットを使わせて県立美術館に行かせた。
 しかし彼はしっかりした傍証(タクシー会社の領収書や美術館責任者の証言)があるにも関わらず、「記憶にない」(2,3か月前の記憶がない人が市政を遂行できるのか?)「第三者に迷惑をかける」(女房が第三者?)を連発して市民の大批判を浴び、禊(みそぎ)のつもりか坊主頭で再選出馬を表明したが、直後に立候補を断念して世間の顰蹙を買い、人間的にも『?の烙印』を押されたのだが、彼の前身は中央省庁の『官僚 様』だったのですよ。

 ほい、話しを戻す。
奈良林先生の「プルサーマルを導入すれば、ウラン資源は2100年くらいまでもつ」だが、現在のウラン採掘可能埋蔵量はあと約80年分位と言われているが、ここでちょっと計算をしてみるが、なに難しい計算では無い。
 計算の前提は「ウラン資源が2100年までもつ」「ウランの採掘可能年数80年」「プルサーマル導入で節約できる量は約12%」の三つだ。
【80年×12%=9,6年+80年=89,6年+2009年(今年)=2098,6年≒2100年
 ほら、どんぴしゃり!
『プルサーマル』を導入すれば、ウラン資源は2100年まで大丈夫と言った奈良林先生の話しは正しい!・・・のだよ?

 だから、問題・課題山積の高速増殖炉をその間に本格稼働させれば良い訳なので、時間(期間)はたっぷりあるから余裕のよっちゃんで十分可能であるし、もちろんその間にプルトニウムをせっせと貯めこめば(国際世論を無視して、既存原発サイトにどんどんプールを作れば見事に解決する)必ず出来るだろうが・・・はて?そう上手く行くものなのだろうか?
 再処理工場が稼働して使用済みウラン燃料をきちんと処理して、均質なMOX燃料が出来るのか?
もちろん高レベル放射性廃棄物のガラス固化体も問題無く連鎖的に出来るのか?
 そしてそれを何処の地域に地中処分するのか?
第二再処理工場を作ると言うが、いつどこに建設するのか?
肝心の高速増殖炉は実験炉を脱却して実用炉(商業炉)に出来るのか?(世界各国は高速増殖炉から撤退している)。

▼201X年、『プルサーマル』を導入した女川原発3号機だが、使用済みMOX燃料は原発サイト(敷地内)のプールに取り敢えず保管するが、30年分の容量があるので心配ない(東北電力の説明)と言われたが、はて?その後はどうなる?使用済みMOX燃料の処理(処分)方法は再処理?地中処分?何処に?
▼204X年、3年運転したMOX燃料を取り出す時期になったが、使用済みMOX燃料保管プールはとっくの昔に満杯で、原発運転員や技術員陣はもちろん経営陣も頭を抱えていて、どう対処して良いか解らず無常にも時計だけが時を刻み続けていた。
▼廃炉になった1号機は核のゴミ、高レベル放射性廃棄物の行方が決まらず厳重に保管しているだけで、コストが嵩み経営を圧迫。

 さっき書いた簡単な計算式など、おらのお遊びに過ぎないが、いわゆる〝推進派〞の学者先生達に官立大学の先生(教授)が目立つのは、おらみたいなド素人が想うに、やはりその置かれた立場をたもつためには、国が立案した政策(国策)には疑問が少々(多少?大いに?)あっても、推進するための理論作りに持てる知識と能力を全て注ぎ込み、辻褄を合せる事が至上命題なのだろうな、きっと?
 以前このブログに書いたが、京都大学原子炉実験所に40年もいた小林圭二先生が超の付く〝断固反対派〞で、同所現職教授の山名 元先生が明確な〝推進派〞だという事実は、180度つまり正反対の立場に同じ研究機関の学者が立つという素人には解りにくい疑問は、やはり『プルサーマル』の危うさを顕著にしているとしか思えないのだが・・・おらには解らん。
 
 奈良林先生の言う「今、問題になっているものは将来科学が解決する」って、科学は未知な分野においても走りながら(実用化=商業化しながら)問題を考えて、そして解決する学問なのだろうか?
『プルサーマル』についての諸懸念や疑問・問題は運転しながら解決するのが科学(学問)なのだろうか?
 例えば医学の分野では動物実験や臨床試験もしないで、新薬が認可されるのだろうか?
 例えば「That's one small step for man, one giant leap for mankind.」で有名な、今から40年以上前のアメリカのNASAによる『アポロ有人月面着陸』のアポロ11は、ロケット発射台からロケットが発射されてから、軌道やら何やら計算して月に向かい、そしてその間にスーパーコンピューターをフル回転させ計算しながら月面着陸を決行したのだろうか?地上訓練もシュミレーションも無く?
やっぱり、さっぱり素人のおらには理解の範疇外だ。
 
 そして、おらは前回(10月31日)の舘野 淳先生の短いフレーズを強く憶い出すのだが、その言葉が内包する意味を何度も考えたものである。
     『科学には・・・未知の領域がある』
 皆さんにも是非、記憶に留めて置いていて欲しい言葉なのだが実に暗示的て、ある種『黙示録』的言葉に想えるが、どうだろう?
 人類はある意味既に『God』の領域を犯していて、自然界に存在しない物質を生成し、また生命の営みの部分でも同様であり、おらは神なるものには懐疑的だが人智の及ばぬ物、例えば『宇宙の始まりはビッグバン』が定説になっているが、ではそれ以前は・・・?
これには誰も答えを持てず、ある者は気がふれ、ある者は『God』と答えるしかなかったやに、聞いた事があるのだが。
               
【写真(かみさん撮影)=女川原発で重大事故が発生した場合、最初に負傷者を受け入れる町立女川病院(奥の建物)。ある意味、命の砦だ。もちろんトリアージ【(仏)triage=負傷者の治療順番や、患者の救急搬送など優先順位を決める事】を行わなければならない場合も。解りにくいが、手前の岸壁に係留しているのは海上保安庁の船舶】

【美浜の会 小山英之代表の説得力のある話し】
 今回の〝慎重派〞は、冒頭に書いた通り『美浜の会』の小山英之代表だ。
こう書いてもピンと来ない人がほとんどだろうし、かく言うおらもそうだった。
『美浜の会』の正式名称は 『美浜・大飯・高岡原発に反対する大阪の会』だから、『会』の名称を見ただけで小山先生の立場は一目瞭然だろう。
 しかもその立場・考え方からすれば、〝慎重派〞ではなく、明確な〝断固反対派〞の中のコア(中心的)な役割を担うに十分な見識・迫力を持っているように見えるし、事実そうなのだろう、と想う。
 小山先生達がどういう活動を行って来たか、あるいはどう考えているかは、上記の『美浜・大飯・高岡原発に反対する会』をクリックして、同会のホームページにアクセスすれば、そこに詳しく書いてあるから、興味のある人は是非アクセスを。

 小山英之先生は主に関西電力を相手に長年戦っているが、その知識・識見は全国の原発動向に及び、当然おら達宮城の女川原発にも詳しいようだ。
 そして当たり前とは想えるが、全国のプルサーマル問題や、六ヶ所村再処理にも関わっているという。
誠にその知識・識見・行動力には恐れ入るばかりで、おらなど赤子に等しいのだ、と自覚せざるを得ない。

 おらはそこでこう思うのだ。
関西電力などは小山先生みたいな人物と敵対するばかりでは無く、その識見に学ぶべきなのだと。
 そしてそれを契機に、社内のコンプライアンス能力を高め、自社に不利な情報をも積極的に開示すれば、一時の損失よりも長い目でみれば企業評価は高まるに違いないと思うが、おらの甘い考え方にしか過ぎないのだろうか?
 
 小山先生は今からちょうど10年前の1999年秋に、関西電力相手に高浜原発4号機のMOX燃料のデータ不正を暴き、大阪地裁に提訴した経歴を持つ人だ。
イギリスで製造されたMOX燃料ペレットの、膨大なデータから不正を見抜いた。
 先生は、「知識が乏しく、関西電力に利害を持たない一市井の市民だからこそ出来た」と、謙遜しているらしいが先生の履歴を知れば全く違う事に気付く。
 先生は大阪大学大学院理学研究科博士課程(素粒子論専攻)終了であり、大阪府立大学工学部理数工学科で脳神経システムの数理科学的研究を行い、学生を指導してきた大変優秀で、精力的にダイナミックな行動をするインテリだと言えると想う。

 先の関西電力MOX燃料データ不正事件は、その後関西電力が全面的に認め、該当する全てのMOX燃料を廃棄処分にして決着したそうである。
 巨大な消費市場を持ち『プルサーマル計画』のトップランナーを自任していた関西電力と東京電力のどちらも、データの不正やトラブル隠し等で『プルサーマルの実施』を、後発の九州・四国・中部各電力会社に先を越されたのは皮肉としか言いようがない。
 関西電力という大企業と長年戦って来た人と言えば大変な猛者であり、失礼ながら容貌も見方によるのだろうが『厳しく闘う闘士』に見えなくもないが、相手が巨大な権力を持っていようが怯まない、公益を守ろうとする誠実な人物と言えよう。

 小山先生の活動の広さを物語るエピソードも紹介されている。
それは東京電力が柏崎・刈羽原発に『プルサーマルを導入』する計画を持っていた頃の話し。

 2001年5月、新潟県刈羽村で『プルサーマル住民投票』が予定されていたが、推進側が不利な状況になった時に、当時の自民党経済産業大臣の平沼赳夫(現在は自民党離党=平沼グループ)が焦って東京からビラ撒き部隊を動員し、まだ村の人々が起き出す前の早朝に戸別に配ったビラが、本音をモロに出していたという。

       ≪実際のビラの表題≫  
 プルサーマル実施は日本と地域の未来のために必要です
        刈羽村の皆様へ
               経済産業大臣 平沼赳夫

 このビラの文面を小山先生が以下の通り解り易くしている。
≪プルサーマルにノーなら→プルトニウムの使い道がなくなる→再処理が止まる→原発の使用済みウラン燃料の搬出先が無くなる→原発の使用済み燃料プールが満杯に→使用済み燃料を原発から取り出せない→原発が止まるしかない≫

 つまり『プルサーマル』に反対すると原発が止まり電気が無くなるが、どう責任を取るのだ、との恫喝以外の何物でもないようだね。
 しかし刈羽村の人々はこのような脅しに屈せず明確にノーを突き付けたが、『プルサーマルを拒否』した事で、刈羽村には困った事は何も起きていないという。
  この事実は、今後女川原発への『プルサーマル導入を考える』つまり住民投票に当たって住民に是非〝お知らせ〞すべき、大いに役立つエピソードだと、おらは小山先生の顔を見ながら思った。
 小山先生の話しは、ほとんど「す~っ」と、おらとかみさんの胸に落ちたが、いつも二人で話し合っている事が多く、帰りの車中でも話しが弾んだ。
 特におらは、女川原発が出来る前(町内が二分されていた当時)から使っていた言葉、『トイレ無きマンション』が今でも健在で、(11月13日付け河北新報でも使われた)小山先生の「使用済みMOX燃料の行き先が無ければ子孫にそのツケを回すや、蓄積する人口放射能や核のゴミ問題が最大の課題との指摘には、正に「我が意を得たり」であり、思わず膝を叩き大きくうなずいた。

 再処理工場は問題だらけだから、九州電力玄海原発のプルサーマル起動を「前のめり」「見切り発車」「誰のための国策?」と新聞は報道している。

 小山先生は「いずれ女川原発も寿命が尽きて解体される、その廃棄物はどこに運ぶのか?と問い、その上、長期に発熱し続ける非常にやっかいな使用済みMOX燃料を加えていいのか?と問いかけている。
 しかも資源エネルギー庁は「使用済みMOX燃料は40年なり50年なり、原発か中間貯蔵庫に置く」と、あけすけに語っている。
 おら達、女川原発地元住民はやはり新潟の刈羽村の人達同様、『プルサーマルはノー』と言わなければならないし、それが子孫に対する現在を生きる我々の最低限の仕事だろう、と心底思う。
小山先生は言っている、使用済み燃料が核のリサイクル燃料とは〝まやかし〞と!
 

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