無謀としか言いようのない小型ヨットでの太平洋横断は、読売テレビ(日本テレビ系列)が中継などで事前に煽りに煽り、後日のテレビ中継を睨んだものだとも言われているし、付いたスポンサーが敷いた絶対遭難死しない完全サポート体制の果ての国費投入でもある、と思う。
過酷な訓練に裏打ちされた強者である海上自衛隊海難救助隊員諸氏が躊躇するような危険な水域で、救難隊員からかけられた『大丈夫ですか?』との声を耳にし、辛坊氏は「日本国民で良かった」と思ったと。
随分、おべんちゃら精神が身に染みついた彼らしい言葉であるなぁ。
彼くらい頭が良く常に国民世論をリードしている(おらは好かんが)と自覚しているのであれば、「日本国民で良かった」うんぬんよりも、自らの身分や置かれた状況を考えたら、命からがら助かった脱力感にも似た感覚に襲われながらも、自らの行動や判断にエラーやミスがなかったかなど、少なくとも己の言動に比しての落差を恥じ、全ての行動を後悔とともに洗い出すのに全精力を傾けるのが、立派な人であろうに・・・・・・?
そして仮に、他局のテレビマンが同じ状況になった時、彼はテレビスタジオで、船の不調の事など知られていた事に対して、どんな言葉を発するのか、想像するだけでおかしくなる。
だからこそおらには今回の騒動が、予測されていた遭難劇と救出劇に見えるほど、どうしても強い不自然さを感じざるを得ないんだよな。
救助要請を発信し遭難を報じられてから、折からの悪天候の中、まず法律に則って海上保安庁が出動し、その要請に基づいて海上自衛隊厚木基地所属の救難飛行艇US-2の第二波に及ぶ救難作戦が決行され、救助要請発信10時間後の日没前に、稀にみる迅速で高度な救出劇でもってその任務を達成したのである。
彼らは運もよく、あの日は一年で一番日の長い日であったのである。
ところが、自分たちがそんな状況にあったにも関わらず、スポンサー隠しに大わらわにしか見えなかったブログ削除を急速に進めたのは何故なのか、納得する人はいないであろう。
上の二枚の写真内、下のが6月21日のブログに掲載されていたもので、ものの見事にスポンサー名を消しているが、当然これは故意であるが、何故に?
従って当然、辛坊氏への批判もネット上では数多い。
曰く「太平洋横断をする船の浸水をわかっていたにかかわらずの特段の修理もしなかったということは無謀」
「恥ずかしすぎる偽善番組24時間テレビはいい加減やめてくれ」
「こりゃ酷いすでに浸水しているのに、応急処置で外洋にでるとは」
「整備不良と知りながら出発したんだ」
「プロの登山家でさえ少しでも危ないと思ったら登りはしないというのに」
「海自出動して莫大な国民の税金が使われたそうだけどこれって国民負担なの?」
「24時間TVの為に自衛隊を使うなよ」
明白になりつつあるのは、事故の如何に関わらず、彼らの船に重大な問題を孕んだまま出航したのは事実らしい事である。
しかしさ、日本って国は、誰がどこでどんな原因で遭難をしても、基本的には迅速に全力を挙げて巨額の国費でもって遭難者を助ける体制とスキルを持っていたんだ(っけ?)。
う~む、うかつにも、おらは普段そんな事など考えもしとらんかった。
それとも辛坊氏はテレビで顔と名前を売った有名人であるから、テレビ局の力(権力に擦り寄った)をバックにしたネームバリューと話題性でスポンサーをかき集め、いざという時の手当を抜かりなく準備していかたから、今回のような救出劇が可能だったのだろうか。
そう言えば、80歳でエベレスト登頂を成功させた三浦氏の偉業は凄いとは思うけど、全体を見つめたら、本当にそう言い切れるか疑問が残るもんなぁ。
金に飽かせた部分が無かったとは絶対言えないし(下山にヘリを使用)、単なる肉体だけのチャレンジであれば、不可能だった可能性が残る。
だからといっても、もちろん三浦氏のアンチエージングへの挑戦の結果の金字塔が色褪せる事はないのだが。
しかし辛坊治郎氏の場合は、成功すれば今以上のテレビを含むメディアへの露出が増え、出版や引きも切らぬ講演でがっぽりやし、日本維新の会当たりからの選挙出馬・・・・・いや今では自民党への先祖返りも視野にあるのだろうが、今回みたいな失敗に終わったにしても、これまた都合の悪い部分は隠蔽した本を出版するもよし、税金で救助して頂いた事をタネに、殊勝にも体制をべた褒めする道をひたすら歩む事で、食いつなぐ事はさして困難な事ではなかろう。
つまり、どっちにころんでも出費ゼロどころか、がっぽがっぽの美味しい辛坊(オイシンボ)・・・・・
やはり、どっちを見ているか解りづらい目での生き方がエグいぞ。
それにしても、ヨットでの再チャレンジを、現段階では簡単に口にできないと言っとるが、そんなん当たり前やんけ、どこまで国民に迷惑かければ気が済むんかいな。
そして過去に一際大きな声で、テレビの中で自己責任論を繰り広げ続けてきた彼は、今回の己の不始末(事故であったのせよ)を、どう総括(反省)してみせるのだろうか、それとも開き直るのか。
彼自身が、口を極めて非難していた人々と同じ状況に陥って、お国の世話になったのだから、言論人として言ってきた事と矛盾する立場に陥ったのであり、国民の誰にも理解できるよう説明する責任があるのは論を待たない、と言っているのである。
そして、彼がそれを避けるのであれば、彼は言論人としての資格を喪失するし、多くの人々の耳を借りる事は再びできないであろう。
それだけの事をしてしまったのだよ、慢心と自信でいっぱいだった辛坊さんよ。
もちろんおらは、彼が救出された事を駄目だと言っているわけではないし、当然命が助かって良かったと思っている。
しかし、どうにも気にかかる彼の発言があった。
相棒の岩本氏と共に救出されたが、彼の上から目線的発言に、彼の本音がちらついていたように思ったのは、独りおらだけであろうか。
つまり辛坊氏は、「私には、岩本氏を家族の元に返してあげる義務があった」みたいな発言をしている。
そして、その発言をさも美談風に報じたメディアもあるが、おらから見れば、なんやねんそれ、である。
辛坊氏にとって岩本氏は、命を懸けた冒険をともにする相棒なんぞではなく、「盲人のセーラー(ブラインドセーラー)であるから、私が面倒をみてあげる、つまり世話をする対象の人だったよ」、と言っているようにおらには聞こえた。
さて二人は、翌日までの命の危険は自らの心で感じていたと言っているが、少なくとも絶望的な肉体的ピンチを迎えていたわけではなく、サポートが充分な有名人の救助依頼が、海上自衛隊をして救助隊員の二重遭難を覚悟の命をかけた救助活動になったのだろうな。
もちろん、隊員達の相応の自信に裏打ちされたものではあったにしても。
金華山沖1200キロ前後といえば、今まで幾多の漁船が遭難し、多くの命が失われた海域である。
波浪も4乃至5mあった荒れていたというから、辛坊治郎氏らはよほど幸運だったと言える。
今回の事態に陥った原因を物語る船は海底深くにあるとしても、辛坊治郎氏ら二人から、徹底的に事情を聴取し、原因を究明すべきであろう。
岩本氏によれば、どん・どん・どんと3回位つき上げられる音と振動がしてから、足のくるぶしまで直ぐ浸水し寝ていた辛坊氏に声をかけ、そして数分後脱出するまで膝下まで浸水して、辛坊氏によれば沈没まで10分もかからないと判断されたという。
船体に衝突したものが、くじらとも、東日本大震災の漂流がれきではとも言われているらしいが、さて・・・
ところで下の写真の、助けられたお二人の姿から皆さんは、何を見るか・・・・・・
さぁ、おらの言いたいのは、このような偉大?な人物に右へ右へと発言させて世論をミスリードさせ、そして重用してきたマスコミ、特に読売テレビ系列の責任は小さくないと想うから、他のメディアも含めてこの際再び起用をして脚光を浴びせてはいけないと思う、と言う事である。
とは危惧しても、今後、今回のヨットでの太平洋横断失敗をネタに、どこのメディアでも出そうとする厭な予感がする。
何しろ彼は軽妙な話芸も得意とする分野であり、意外とケロっとした顔で、自らの失敗を軽く語る可能性も否定できない。
今のマスコミの発想力の貧困さは、目に余るものがあるから心配である。
体制(権力)におべっかを使う人物はもう日本のマスコミには要らないのであり、求められているのは国家よりも国民の生活の立場を優先する人であり、辛坊治郎氏とか橋本五郎氏とか、いわゆる権力べったりの読売系の人間と対局にある人物である。
彼の過去の思考言動を考慮すれば、当然そういった仕訳にならざるを得ないのであり、日本の進むべき道と思う。
繰り返すよ。
ふざけるな辛坊氏よ、海上自衛隊の救難飛行艇US-2乗組隊員の命駆けの救命活動に、「日本国民で良かった」だなんて。
彼らにも家族がいて、万が一があってもらっては困るのだ。
あなたの命は、彼らのより重いとでも言うつもりか。
そして、おらたちの貴重な税金がん千万円も使われたのだよ。
おらの持論は、冬山を目指す人間は死を覚悟して山に分け入るのであろうから、遭難したからといって捜索要請を簡単に発して欲しくないし、山岳救助隊員には間違っても二重遭難に陥る愚だけは絶対避けて欲しい、というものである。
それは、海のレジャーでも同様であり、よく台風接近時にビッグウェーブを求めて海岸に出て遭難する馬鹿がいるが、辛坊氏が今回の件を用意周到な冒険だと強弁しようとも、軽く見えるそのノリは、ビッグウェーブを求めるレジャーの延長にしか見えなかった。
そういう意味において、辛坊氏らは死も視野に入れて出航したのではなく、困ったら国が(誰かが)何とかしてくれるだろう、という甘い考えが心の奥底にあり(おそらく否定できないであろう)、常に彼が言っていた自己責任論と対局にある行動だったと断じざるを得ないのである。
彼はテレビ局を退職してからニュースキャスターとして右翼的な言動を弄し得意気になってきたが、その本質はフリーランスの骨のあるジャーナリストなんぞではなく、単なる弁の立つ権力の代弁テレビタレントである。
橋本徹・日本維新の会共同代表とウマが合うのも、道理であるのぉ。
彼の判断力は思想信条に裏打ちされたものではなく、その時々の風の吹く方向を見極め常に風上に位置する事を旨とする能力であり、彼の化けの皮が剥がれたという意味においては、今回のテレビ局主導の似非冒険コンテンツの破綻も、何の益なしとは言えなかったのであり、繰り返すが妙な同情論から彼をテレビで重用する愚は避けたいものである。
そしてその選択権こそ視聴者である我々にこそある事を、しかと自覚しておきたいものである。
彼は、生き方から変えなければ人前で偉そうな事を言ってはいけないし、まかり間違っても、オピニオンリーダーなぞと思わぬ事じゃ、と思うがいかがじゃろう。
きつい意見じゃろかいな。
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