被災地支援事業「100gの思いやり」IN南三陸町

2011年04月26日 | 日記

4月24日は成田市・富里市内の小中学校に協力を仰ぎ行った被災地支援事業「100gの思いやり」で我々に託された2.7tのお米を持って宮城県本吉郡南三陸町へ行ってきました。

今回の東日本大震災で最も被害を受けた地域の一つで、1000名を超える死者、行方不明のほか、現在でも6000人を超える人々が避難生活を余儀なくされています。

南三陸町の人口は17,666人に対してこれだけ多くの被災者がいると言う事は町のほとんどが甚大な被害にあった場所です。

 

鉄骨の骨組みだけになった防災庁舎などの被災後の南三陸町の映像は目にした人々が多いと思います。

 

午前6時に赤海先輩の会社に集合した今回のメンバー達

一番右の赤海先輩はまだ卒業して4か月しかたっていなく、久しぶりのJC活動に心が躍っているようです。

あまりの嬉しさに前日の寝つきが悪かったとのこと(笑)

さすが成田JCを代表するJCマンだった方です。

 

 

梁本委員長が撮影者なので、

徹夜明けの全くさわやかでない梁本委員長(笑)

 

いざ南三陸町に向けて出発です。

 

圏央道の「稲敷IC」から高速道路を使用しました。

続いて常磐道~磐越道~東北道~一般道~三陸道と一路南三陸町を目指すことになりました。

 

流れはとても順調ですが、かなり道が傷んでいます。

夜中のうちに走ってしまおうと考えましたが、路面状況を考えると日中に通った方が安全です。

 

途中、食事休憩などを挟みながら順調に進んでいきました。

 

一般道に降りてから「ロストボーイズ」の一人、原副理事長が運転をしていた為、ナビの指示があるにも関わらず、道を間違えるという大失態を演じます(笑)

方向音痴もここまで来ると怖いものなしです(笑)

赤海先輩の華麗なるUターンも披露され(笑)、目的地を目指します。

 

しかし、南三陸町はとても遠いです。

仙台から1時間くらいで行けるのかな?なんておもってましたが、仙台から約3時間くらいかかります。

南三陸町に近づくにつれ、自衛隊の車両が増えてきていますが、周りを見渡しても、震災の被害をあんまり感じる事が出来ません。

普通の生活が行われているようで、どうも不思議な感覚でした。

 

イオンもやっているし、ガソリンスタンドも並んでいるわけでなく、日常が普通に流れている感じでした。

 

そんな状態なので、参加者も和気あいあいと話しながら旅路は進みます。

 

残り10kmを切ったあたりから、何故かみんな口数が少なくなっていきました。

別に周辺に変化があったわけではありません、しかしみんなの空気が変わったような気がしました。

 

山道をずっと進んでいきますが、行けども行けどものどかな風景が我々の目に飛び込んできます。

 

そして、ベイサイドアリーナまで6km手前位のカーブに曲がり切った時に

 

「なんだこれ?」

 

状況が一変します。

 

気持ちのどこかに心の準備をしていたつもりですが、そんなものなど全く役に立ちませんでした。

 

有るはずの所にあるべきものが何もありません。

道だけが確保されているだけで、ここが本当に日本であるかと目を疑うばかりです。

 

言葉など、全く出てこない自分がいました。

 

あまりの惨状に言葉を失ってしまいました。

 

ここから本当に前に進める事が出来るのだろうか?

 

自分がいかに無力なのか、今回のこの事業は本当に意味がるのか?

 

目の前の現状を見ていると自分の中に不安だけが広がっていきました。

 

 沿岸へ進むともっと状況がひどくなっていきます。

立ち上る煙

 

志津川病院

 

 

 

海の目の前のホテルです。

 

 

この町の人々の人生が流されてしまったような気がしました。

 

 

そこからベイサイドアリーへと向かっていきました。

 

自衛隊のベースキャンプが見えてきて、なぜか安心してしまいました。

 

およそ10時間かけて到着しました。

 

国連世界食糧計画(WFP)のテントも見受けられ、ここがどれだけ非常事態であるかを物語っていました。

 

そして、搬入口に着いて担当者と話をしましたが、担当者もこれだけ多くのお米が来るとは思っていなかったらしく、見た瞬間に

「オーッ!」と驚いていました。

 

そして物資を運び出します。

どら焼き1000個も一緒に

 

 

 

 

自衛隊の方々にもどら焼きを食べて頂く為にお渡ししました。

大変喜んでくれていました。

まだまだ水道もガスの復旧も目処が立たず、まだまだ先が見えないとの事。

 

担当者の方と話をさせてもらいましたが、なにを話していいか自分でも全く言葉が見つかりませんでした。

 

子ども達の思いとメッセージは伝えられたと思います。

 

担当者の方も「お米は日々消費されていくので、助かります」

「今朝にあった量より、増えたので嬉しい」と言ってもらえました。

 

成田や富里の子ども達の助け合いの気持ちが、南三陸町の人々に本当に届いたのだなと思えた瞬間です。

 

本当に、この地域の人々は前を向いて歩いています。

 

我々が同じ気持ちになる事は出来ないかもしれませんが、思ってい続けなければいけないのだと本当に思いました。

 

自分の微力ですら必要なんだなと感じた瞬間です。

 

この地域にはまだまだ希望の光が必要です。

 

成田の子ども達が照らしてくれたような希望の光がこの地域に照らされ続ける事を願ってやみません。

 

 

道路に迷っても人生の道には迷わない原副理事長も心の底から願っています。

 

俺は眠っていない!と言っていたので祈っていたのだと思います(笑)

 

 

成田市、富里市の児童生徒の皆さん、本当にありがとうございました。

 

 


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