11月3日は成田市民憲章制定40周年 記念の集いが市役所6階大会議室にて開催されました。
吉岡直前、小泉委員長、小椋副委員長、私の4人で参加しました。
昭和46年11月3日に当時の長谷川録太郎市長が市民の幸せを願い未来へ理想像を掲げるために制定したのです。
成田青年会議所は成田市民憲章推進協議会のメンバーとして名を連ねております。
成田市民憲章推進協議会は市民憲章の普及・公用及び市民憲章に基づく市民活動を積極的に推進するため組織されていて、50名の委員で構成されています。
任期が2年であるため、吉岡直前が2年目の任期を務めていて、40周年記念の集いの実行委員でもあり、運営や募集などもやられておりました。
私はどちらかと言うと唯の参加者です(笑)
今回参加して知った事ですが、市民憲章と言うのは実はとても大きな意義のある物なのです。
成田市内で行われている色々な活動は市民憲章と深く関わっていて、市民憲章にのっとって行政も協力しているのだそうです。
市民憲章にある
「親切な心で平和な成田をつくりましょう」に基づき「折り鶴平和プロジェクト」が行われたり。
「自然と文化を大切にし美しい成田を作りましょう」に基づき成田環境ネットワークが組織され
と大きな関連性を持っているようです。
我々成田JCでは市民憲章と深く関係するものとして「少年の翼」があります。
記念誌にも載っておりました。
また、我々の先輩方が提案して「街路8路線の愛称」が決まったそうです。
現在でもそれが市内に根付いていて現在では22路線まで愛称がつけられているとの事。
http://www.city.narita.chiba.jp/sisei/sosiki/shoko/std0006.html
市のHPに書いてあります。
色々な活動が有る中で我々の先輩方の足跡が残っていると言うのは我々もやらなければいけない気にさせて頂けました。
その後の行列ができる法律相談所でおなじみの菊地弁護士が記念講演をしていました。
講演の中で、日本の国語教育は読み書きに重きを置いているが、話すと言う事があまりない。
人前で話をすると言う事が日本人があまり得意でないのはそれも理由にあるのではないかと言っておりました。
我々としても他人に想いを伝えると言うのが重要であるとは認識していますが、中々上手でないので億劫になっているような気がします。
自分自身も挨拶を求められることが有りますが、出来る事ならやりたくないなと思う事が多くありました。
しかし、慣れと言うのは恐ろしいものであまりそういう事も思わなくなっている自分がいる事に気づいたりしてます。
メンバーの皆も折角の機会を大事にして欲しいなと思います。
「嫌だ」と思うか、それとも「折角のチャンスだから」と思うか、この差は大きいと思います。
そうやって頑張ってると
このようにムカつくくらい物怖じしない男になります。
皆さん、お疲れ様でした。