~The Night Shadow Allows You~

月の水面に 映りし君の 愛でき姿は 己が命の 容なるかな

戯劇

2005年11月15日 | sub-culture

”世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ。”

『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』 第一話~公安9課~より

※『攻殻機動隊』・・・原作:士郎正宗
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『バカの壁』(養老孟司著)が話題になってから、しばらく経った。この本は読んだ人、読まなかった人にとっても、何ともインパクトを感じたタイトルではなかっただろうか?

因みに、私の読んだ感想としては、大体の筋において、少なくとも、あらゆる読者のレベルを超えた著書であると思った。勿論、読む人を想定し、分かりやすく書いてある事は間違いないが、はっきり言って、誰も理解し得ないのではないだろうか。

というのも、それは人が鏡無しには自分の顔を見れないからである。そしてその鏡とは、ある意味、自分を取り巻く、他人を含めたあらゆる事態であり、又は”世の中”である。

○他人を含めたあらゆる事態とは、人が認識者である限り、人によって演じられるものであろう。そしてその事態とは、人の相克によって演じられる戯劇とも捉えられる。

そうなると、自己以外の他人等は、ある意味、自己と同じくバカの壁を築いており、そのために鏡としての輝きも曇っていると考える事も出来る。言うなれば、バカの壁を築いている人がバカの壁を読んでいるわけである。

勿論、養老孟司はそのような人々に対する啓蒙として、この本を捧げたつもりかもしれない。いや寧ろ、そういう事態にバカの壁という名前をつけ、自分のバカの壁を皆に見せる事によって、多くの人にその事態を伝えたと言った方が適当であろう。

○では人はバカの壁を超えられるか、という本質的な問題が残る。これは思うに、人がそれぞれ世の中という戯劇の中の役者である限り”No”である。因みに、この役柄は政治家、医者、弁護士、芸術家からニート、果ては浮浪者まで多岐に渡る。

またこれらの役者は、各々の役柄に従って己を演じようとする。更に、「各々人が主張する事は全て正しい」(知人の談)のである。だとすれば、やはり人がバカの壁を超える事は不可能であろう。

○しかしながら、逆にバカの壁を超える方法があるとしたらどうであろうか?

人は人である限りバカの壁を越える事が出来ない。だが人でなければバカの壁を超える事が出来る。

このロジックは、ある種のカタルシスを含んでいるとも云えよう。また太古より、涅槃を求めて精進した求道者は、全てこの領域を目指していたに違いない。

ときに、冒頭の作品の主人公は、結果的に冒頭文の考え方を捨て、上部構造へ自分をシフトする事で、己のカタルシスを得る事になる。言い換えれば、広い世界と自分を同一視する事で、世界とは距離をおいた存在として、涅槃の領域に自分を高め、新たな感覚を得たといった方が良いか。

○最後に、現代は自分を機械のように、世界の一部と限定したり、また逆に世界を自分のものにせしめようとして事態を悪化させ、それを見てあきらめようとしている。

これはまた「あきらめが人を殺す」(~HELLSING~より)のでは無く、人があきらめを生みだしているとも云える。そしてこれは不思議なくらい、多くの人に伝染している。だがら自ずと、世界は狭くなってゆく。

このような事態に逸早く気がつき、行動できる人はどれほどいるだろうか。そしてもし、これが出来るようになれば、人はもっと寄りよく自分を、または他人を活かす事になるかもしれない。


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