私は偏に、烈し易い性格である。
これは父親譲り、いや恐らく、先祖から引き継いだ資質なのであろう。
しかしながら思うに、それは多く、尊大なる自尊心故の未熟な資質であるのだろう。
事実、私の父親は、今は退職したが、重責なる役職に就いていたし、また一々カリカリしていたのでは、私の先祖も何かやらかして、この世の中に数多ある系譜の一つから外れていたであろう。
思うに、やはり私は未熟なのだ。
風が吹けば、心の水面は直ちに揺らぎたち、また、しかもその揺らぎはいつまでも続く。
それまで折角、偉大なる月姿(※太陽の反映としての)を浮かべていたというのに、これでは全く修行の意味がない。
世の中というのは、つまり、心の水面を揺らがせようとする、作為にしろ無作為にしろ、そういった作用に満ち溢れている。
それだから、この心の水面に映る月姿を失ってしまうのだ。
だからこそ、その心の波を沈めるために修養というものは存在するが、性善なる在り方はかくも得がたしものなりかと。
女神よ、御身姿を、我が心の水面に、どうか留まり給え。
これは父親譲り、いや恐らく、先祖から引き継いだ資質なのであろう。
しかしながら思うに、それは多く、尊大なる自尊心故の未熟な資質であるのだろう。
事実、私の父親は、今は退職したが、重責なる役職に就いていたし、また一々カリカリしていたのでは、私の先祖も何かやらかして、この世の中に数多ある系譜の一つから外れていたであろう。
思うに、やはり私は未熟なのだ。
風が吹けば、心の水面は直ちに揺らぎたち、また、しかもその揺らぎはいつまでも続く。
それまで折角、偉大なる月姿(※太陽の反映としての)を浮かべていたというのに、これでは全く修行の意味がない。
世の中というのは、つまり、心の水面を揺らがせようとする、作為にしろ無作為にしろ、そういった作用に満ち溢れている。
それだから、この心の水面に映る月姿を失ってしまうのだ。
だからこそ、その心の波を沈めるために修養というものは存在するが、性善なる在り方はかくも得がたしものなりかと。
女神よ、御身姿を、我が心の水面に、どうか留まり給え。
どこにいようとアニキはアニキですけど
“月の水面に~”の詠、しっとりしててセンスいいなと昔から思ってたのですよ
アニキのオリジナルでしょ?
ええ、確かに、この詠は私の創作です。
大学の頃見た月の夢が元になっています。
ときに、今現在は静岡に戻りましたが、この少女に関する出来事はつい最近、町田であった事です。
また私も少年時代、知らぬ間にこのような影響力を用いていたのかもと思うところがあります。
因果ですかねぇ?w