~The Night Shadow Allows You~

月の水面に 映りし君の 愛でき姿は 己が命の 容なるかな

本物のコメが食いたい

2005年11月10日 | society

「コメが食いたい」

この台詞は、太古より日本人が抱いてきた憧れそのままであろう。

だが何が今の私を不満にさせるのか。それは白米と玄米の値段を比較したとき、5kgあたりその差約1000円近く玄米が高い事についてである。そしてそれは、私のように五穀菜食の食生活を始めた者にとって死活問題である。

思うに、この玄米の値段の高さは何であろうか?玄米は、完全栄養食として知られているが、健康食品ではない。何故なら、玄米とは白米として精米される、云わば原料だからだ。そうなると、この値段の差はあまりにも奇妙なものである。それは、自作パソコンを作るのに、メーカーパソコンの値段以上コストがかかるというのと殆ど変わらない。というか、そんな事はあり得ない!!!

勿論、この現象を、無理をして、市場原理を用いて説明してみる事も出来る。それはまず、玄米の店頭価格を本来コメの価格とする。そして現在、白米は玄米よりも需要が多い(寧ろ溢れかえっている)。従って、白米の値段は玄米よりも安くなりうる。

だがここで奇妙なのは、白米の精製技術、すなわちその手間に関する価値が付加されないこと。そしてまた、白米は元はあくまでも玄米であるため、白米が溢れる事は精製における玄米の消費も多いと云うことである。だから少なくとも、玄米は店頭に並ぶ時点で白米よりも値段が割れる事は、至極普通なのではないだろうか。

また仮に、直にコメを精製、販売する店舗を想定してみると、例えば玄米を白米に精製する手間は、現在のコメの販売事情では殆ど賦課されないから、店舗の売り上げを考えると、非常に非経済的であるともいえよう。

つまり店にとっては、コメは玄米で売った方が儲けが多いのだ。またこれが買い手側の立場になると、需要が多くなる事によって、玄米の価格が適正になり、その恩恵を受けれるようになりはしないか?

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ちょっと話はズレるが、コメは現在に至るまで本当に不遇の扱いを受けてきた。
その経緯としては明治時代にまで遡ることが出来る。またそれは「和食か?それとも洋食か?」論争の中、コメを棄て肉を求める風潮に対するメッセージソングにも見ることが出来る。

船津伝次平 『稲作小言』

ヤレヤレ皆様 しばらくお耳を 拝借しますよ
私と申すは ずうつと昔の そのまた昔の そのまた昔の
神代の時代に 豊葦原より 現れ出でまして
それより日本に 広まりましたる お米であります

飯にはもちろん 酒でも寿司でも 菓子でも味噌でも
お米で作れば 味はいよろしく 
紙すく糊にも 布はる糊にも 調法致して無類のものなり


とげる時分に 出たる粉糖は 牛馬の食料 肥料に要用
沢庵漬けには 最も必要 糠味噌漬けにもこれまた同様

そのまた茎わら 飢饉の食料 製紙の材料
わら・みの・むしろに 俵にカマスに 草鞋に脚半に
乞食の寝所 農家のふき草 垣・壁なんどに 添へるはもちろん
貯蓄の種もの 包んでおくなら 温気は通さず 湿気も犯さず

焚きてはその灰 種種に必要
腐敗しますりゃ 肥料に適当
その他の効用 枚挙につきせず

然るにこのころ お米を廃して 肉食世界に改良しなさる
お話も聞いたが 肉食世界を 拒むぢやなけれど
獣類なにほど 繁殖なすとも 値段が高くちや
下等の人民 食ふことかなはず

牛馬を一頭 育ててみなさい
一町二町の 草では足るまい

ある人申すに 数年原野に放牧するには
一頭飼育に 六、七町の地面を要すと

ヤレヤレ皆様 よく聞きなされよ
六、七町余に 一頭ぐらゐを 飼うよなことでは
三千八百余万の人民 匂ひがぐには 足りるであらうが
食ふには足るまい 足らざるときには

肉類輸入し つまりは必ず お国の損耗
近年お米が 豊作続きで 安値であれども
安値であるとて 捨ててはいけない


十分はげんで 智力つくして
光沢味わひ 最もよろしき 上等種類を
多分に作り手 どしどし輸出し

外国一般 その良き味はひ 十分知らしめ
肉食世界を 米食世界に 変ずるやうにと
尽力するこそ 農家の職分

皆様はげんで 勉強しなされ
勉強なされば お金はどつさり
日本に充満 充満々々


~引用元『天皇家の食卓』秋場龍一著(角川ソフィア文庫)~p152,l7~p153,l13


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