公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

今日は暖かい 文治の礎

2013-04-16 10:35:18 | マキャヴェッリ
今日は夏のように暖かくなる。

「15日のニューヨーク金先物相場は大幅続落し、33年ぶりの下げ幅を記録した。中国の国内総生産(GDP)統計が予想を下回り、世界第2位の金購入国の景気鈍化が嫌気され、売りが加速。金取引のための証拠金がさらに必要になるとの観測も売りに拍車をかけた。」

塩野七生、「ヨーロッパ三千年の歴史に想いをめぐらせてほしい。そうすれば、日本の将来は、彼らが三千年を費やしてつちかってきた西欧の論理、つまり力とはイコール軍事力という論理以外のところにしかないことを痛感するだろう。」(「再び男たちへ」より)

歴史の教科書も次々と現代の検証によって書き換えられている。江戸時代が文明の分かれ目であったということ、特に面白いのは徳川綱吉政権の再評価だろう。特に柳沢吉保の描き方に注目だ。

教科書のお陰で非常に有名になった、側用人という役職は、なんと柳沢吉保の時代にはなかった。

幕府行政は基本的に将軍の私=公生活を中心として回っており、「表向」「奥」『大奥』という三重構造の関係から将軍の行動と意思伝達を捉えねば江戸時代の政治権力が理解できない。柳沢吉保はスピード出世したことは間違いないが、成り上がりに対する差別感は厳しく、その働きはあくまでも「奥」の範囲であるらしい。
それとともに忘れてはならないのは綱吉の時代の大名政策は名門復活と親藩改易という両面で政策を繰り出していることだ。あくまでも徳川宗家を中心とした権威体系の再構築の時期であったということだろう。家康恩顧の関が原大名たちの連立型から宗家中央集権型に強く推し進めていった。綱吉の政策も名君として伝わる吉宗と対比して極端な将軍に描かれているが、武家諸法度の変遷を見れば、新井白石が前政権を批判して作りなおした武家諸法度(1710年正徳令)は吉宗の代に変わって綱吉版(1683年天和令:殉死の禁止の明文化、末期養子の禁緩和の明文化)にもどされている。(1717年享保令:以後変更されていない)

つまり徳川家の治世の基準、武家諸法度の編纂を基準として考えれば、綱吉は後世が見習うべき名君であったということになる。綱吉版の基礎を作ったのは保科正之の治世である。家光までの時代の負の遺産、武断による改易、断絶から大量に放出された浪人、没落名家、知行地もち家人による藩政の混乱を治めたのは保科正之(家光の異母兄弟)だった。文治政治は保科正之に始まる。

また武力政治から文治政治に変わりつつあり、文化の根拠たる権威が巧妙に政治に取り入れられていった。その手足となったのが柳沢吉保である。吉保が北村季吟から古今伝授を受けていることは政治の方向性が大きく文化による統治に変わることを意味していた。


歴史に残る過去の政策の良し悪しをを初学者に教えるということは非常に難しい。ほとんどのこれまでの歴史教育は浄瑠璃、歌舞伎、講談や読み物の類によって善悪の色分けをされてきた、足利尊氏、織田信長、明智光秀、小早川秀秋、豊臣秀吉、徳川綱吉、田沼意次、柳沢吉保、いずれも物語上の悪役を担ってきた。多くの場合はその前後の政権を善として描くための脚色が濃厚なのだが、本当の政治歴史はそのようなオセロゲームではなく、如何にして安定した社会を構築するべきかという問を真摯に持つべきである。大昔の政治のような芝居がかった誤りばかりでなく、現代においても白黒の交代を描きたがる学者が多い。いまここに生きている学者の生活のためにはそのほうが糧に困らずおもしろかろうが、後世に教訓を残すには、もっと歴史に学ぶ姿勢があるべき。

黒を白に変えたことを面白がるのではなく、真の意味で歴史に学ぶことを初学者に伝えるには、柳沢吉保の再評価はその意味で興味深い。評価が変わった理由も含めて教えるべきである。





「軍隊の指揮官でさえ、話す能力に長じたものがよい指揮官になれる。」

   マキャヴェッリ
「君主がその使用人について評価を下すことができるためには、絶対失敗しない見分け方があるのです。使用人が君主の利害より自分の利害のことを考え、内心ではなにをさておき自分の利益を追い求めていることがわかれば、そうした人間は良き使用人には決してならないし、また信頼するわけにはいきません。なぜなら、別の人から国家の支配責任を任されている人は、自分のことなど決して考えず、ひたすら君主のことを考えるべきであり、君主が関わりをもたないことに注意を払ってはならないからです。

一方、使用人を正直者にしておくには、君主は彼のことを観察し、褒め、裕福にし、彼にたいして親切に振る舞い、彼と名誉と苦労を分かち合わなければなりません。それと同時に、彼が一人ではやっていけないことを分からせ、そうして大きな名誉を与えて、それ以上の名誉を求めないようにし、多くの富を与えてそれ以上の富裕を望まないようにし、多くの苦労を与えて変化を恐れるようにすべきです。ですから、使用人と使用人にたいする君主の態度がこのようなものであれば、お互いに信頼できるでしょう。しかし、そうでなければ、最後は必ずやどちらか一方が悲惨な目にあうのです。」

   「君主」 第22章 君主の秘書官について
http://ebooks.adelaide.edu.au/m/machiavelli/niccolo/m149p/chapter22.html http://freett.com/rionag/machiavelli/prince.html#ch24
   マキャヴェッリ

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