公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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昔の家

2010-11-29 11:01:07 | 日記
水戸市元吉田町の吉田古墳のあたりに親の家があった。

吉田古墳:38年ぶり、内部公開 あす市民に現地説明会 /茨城
 石室内に線刻壁画を持つ多角形墳としては全国に例のない水戸市元吉田町の吉田古墳(国指定史跡)の内部が26日、1972年の発掘調査以来38年ぶりに公開された。石室の整備活用方法を検討するための市教委による調査に伴うもので、奥壁に描かれた大刀や鉾など武具8点の絵が、埋め戻し前とほぼ同様に残っていた。28日、市民向けの現地説明会を行う。

 吉田古墳は1914年に発見され、石室は長い間、露出していた。これまでの調査から、7世紀中ごろの多角形墳(東西26メートル、南北推定30メートル)と判明。石室内の玄室の高さと幅は約1・8メートル、長さは約3・5メートル。「水戸層」と呼ばれる凝灰岩の奥壁には深さ1~2ミリの線で武具が描かれていた。

 墓の形はいびつだが、八角形の可能性もある。関西では正八角形墓は天皇陵の場合が多いため、埋葬されたのは地元の有力者か中央とつながりのある位の高い人物だったという見方もある。

 今回の調査は、38年前に川砂を使って埋め戻した後の劣化状況や彩色の有無、今後の保存に必要な環境のデータを得るためのもので、今年いっぱい必要な計測を行った後は温度や湿度などを計るセンサーとともに、埋め戻す。

 担当する渥美賢吾文化財主事は「壁画の保存状態は予想以上に良かった」と驚く。現場を視察した加藤浩一市長も「水戸を代表する重要な歴史資料。市民の誇りにしていきたい」と話した。
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