公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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切り取りスクラップ2022/03/06 真実と保守の妥協

2022-03-06 19:13:51 | 知識を消費するということ

狂った君主がロシアで暴走している。タレーラン=ペリゴールの手腕が参考になるだろう。ペリゴールはその老獪な政治手法でフランスの国益をボナパルトの暴走から守った。

今、プーチンの考えるロシアの国益は軍事的な旧ソ連版図の確定である。しかしそれは無理だろう。ロシアの採用するランドシステム戦略が常に求めるのはヒンターランド後背地=緩衝地帯である。ウクライナを失い黒海アクセスと緩衝地帯を失うことによってロシアは国家死も同然となる。

ロシア国内にもプーチンが失敗すると見込んで準備している勢力があるだろう。もしプーチンがゼレンスキーをウクライナから追い出せなければ、そう予想するロシア内部勢力は何をするだろうか?何もしなければプーチンを処刑するまで経済は封鎖されるだろう。大義が揃えばなすべきことは第二ロシア革命である。

歴史に学び、ペリゴールを見習えば真実を隠してやることで外交上の妥協点と戦略的停戦平和を導き出すだろう。そもそもの争いの表面上の元凶は必要のないNATOの存続と当方拡大である。真実は違う。しかし真実ほど誹謗的なものはない。外交はできる限り真実の暴露を避けること=大義で決着を見出す。

保守とは真実の守護ではない。保守が守護すべきは、國體。簡単に言えば国民感覚の維持、次に大義である。言語を変えては国民感覚は維持されない。日本人は今も言語を変え歴史の現認を変更し続けている不思議な民族だ。

真実はさておき一般に国史上の言語が使えない社会に国民国家の保守は成立しない。さらに言えばハイエクの言う保守の基礎、自生的秩序は言語的でありかつ非言語的である。非言語的国民感覚、帰属意識が与える安定感こそが国民国家の基礎である。そのような意味でウクライナは国民国家失格の国(失敗国家)である。これら失敗国家は国際金融資本が作り出した支配の理想であり、カナダもアメリカもそこへ向かって国民統合の感覚を捨て、国民国家を逸脱しようとしている。

国際金融資本の受益者にとって未来の市民はどこにも帰属しないゴイムである。ただデジタル情報の記号を縁(よすが)に生きる家畜のような大衆、デジタル消費奴隷だけが国際金融の理想と親和性があるが故に、持続する収奪の基礎に国民感覚、自生的秩序というもはない。

 


狂った君主が国を乗っ取ったときに唯一の抵抗手段が外交手腕である。貴族であり司教であり革命派でもあったタレーラン=ペリゴールがナポレオン・ボナパルトの追放と王政復古の企てに成功したのも、タレーラン=ペリゴールの一貫した国家観があったからだろうと思う。1805年の段階でタレーラン=ペリゴールはナポレオンはいずれ大失敗をすると予見していた。その根底動機は、この言葉にあるように、真実こそ誹謗中傷であり政治にあってはならないことだという保守の意識だ。それゆえ彼自身は多くの女性とのスキャンダルを隠すことなく、生涯を終えた。真実とは何か19世紀の時代では殆どの真実の暴露は権力批判である。完全な真実の露見の放逐こそタレーラン=ペリゴールの政治の理想状態であった。間違った設問に「正しい」答えという社会のバグがここにもある。政敵を攻撃するときに誹謗中傷はしてはいけないことだが、もっともいけないのは真実の暴露などと笑いとばせるバグが社会にあることは権力に寛容である保守政治がある限り永遠に残るバグである。笑えるバグが多い政治ほど成熟した国の政治と言えるだろう。政治という滑稽な問題に真実という正しい答えをあてはめてはいけない。これを知っていたタレーラン=ペリゴールは賢者である。大衆食堂のナポリタンにアルデンテを出してはいけないのと同じように。


 

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