公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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「吉本隆明と共同幻想」高橋順一

2017-04-12 06:52:40 | 今読んでる本
流れで読んでるだけで、この著作に今日の意義は何もないが、絶対的に拘束されている関係があるということを安易な革命手順に突きつけた功績以外に吉本隆明を評価できる要素はないと思っている。

近代の捉え方も、生産手段(富を生み出す社会装置)の再配置が可能になった社会のタガが外れた時期(伝統権威移動=変質段階)を近代と考えるべき【日本の近代は下克上元年である1491年延徳五年10月、伊勢新九郎が堀越公方の茶々丸を滅ぼす惣領破却】で、富を生み出す社会装置【湊、海運、街道といった交通基盤。運河、製粉所といった製造基盤、余剰労働の集積や徴用という使役基盤、金貸や利息回収といった契約履行の社会習慣、言語と単位の共通化、通信方法の安定化、何よりもこれらに参入する伝統障壁の撤去、関所、仲間の再編】の再配置は権力の移動なしには実現しない。これが新しい権力者によって再再配置、再再再配置と歴史は続くわけである。

この権力移動に並行して、近代の個人主義や功利的個人主義という、啓蒙で代替された(財産権裁量の)独立主義を合理化する普遍思想が次々と世界史に現れたとしても、既存権威を破壊する思想自身は財産を生み出すことはなく、ただ財産権の流動化を生み出すことに目を配れば良い。

そういう意味で吉本隆明は60年安保の左の挫折(高橋の言う「観念の絶対性の解体」)だけでなく、右の挫折をも視野に入れた見通しの良い幻想論を武器とすることができた。

1950年代後半から1970年代前半にかけての騒乱(「観念の絶対性」を捨てられない若者たちの社会紊乱、第一次ブントは自壊しただけ負けに潔かったと私も思う。)が、世俗の絶対的に拘束する関係を一つも変更しなかったのは、生き残った者たちも既存財産権裁量を変更する図式(富を生み出す社会装置のN番目の配置)を持っていなかったか、その武器の具体性が貧弱だったからだ。さもなければ関係の絶対性に負けて、活動家学生が”そこ日本”にある会社や役所に就職することなどあり得ないはずだ。争乱よりもITC 革命や金融革命がどれほど世界の諸関係を変えたか、それを観察できる21世紀の者であれば、歴史は二十世紀の若者が信じたような発展的自動運転ではなく人間の欲望によって運転(資産収奪と戦争の正当化)されている事に気づいているはずである。共同幻想論の下部構造のおッパずし=残滓の発見を指摘する前に、観念が何のために歴史的に生まれてきたのかを整序するべきだろう。



























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