公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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書評 「勘定奉行 萩原秀重の生涯ー新井白石が嫉妬した天才経済官僚ー」村井淳志 (著)

2015-02-02 22:19:33 | 今読んでる本
タイトルの通りの内容本である。しかし面白いのは、これを歴史小説執筆の下調べとして始めたというところにある。時代小説などでも萩原秀重はそれほど引用されることがないのだが、本当の姿は私も勉強不足でよく知らなかった。

もう一つ面白いのは、萩原秀重が戊戌の生まれだということに著者自身も早く気づいている点だ。ここは歴史を計る物差しを持つと言う意味で共感が持てる。
私も同じ年齢で戊戌1958年の生まれだからね。

生まれ年の600年前の戊戌に足利尊氏が死んで、義満が生まれている。

300年前の1658年戊戌に彦次郎(秀重)、尾形光琳が生まれ、

240年前の1718年、享保三年、木喰(もくじき 1718年(享保3年)- 1810年7月6日(文化7年6月5日)は、江戸時代後期の仏教行者が生まれる。享保四年、田沼意次が生まれる。
13年前に始まる大掛かりなお陰参り、1708年宝永通宝を鋳造するも流通に失敗、翌年富士が宝永の大噴火を起こし、浅間山も鎮静せず、お陰参りが再び流行、翌年経済訴訟が増えて民事は相済ましへ、18世紀初頭の江戸幕府は政治、天与ともに大混乱を起こす。14年後に享保の大飢饉がやってくる。

180年前の1778年、安永七年の戊戌にはロシア人が交易を求めて松前藩箱館に連絡をつけ(ポルトガル以外の異国との最初の外交)、折り返し3年目目のアメリカ独立戦争はフランス参戦により内乱から国際戦争に発展する。

120年前の戊戌は蛮社の獄で高野長英が囚われることの原因になる『戊戌夢物語』が出回る。

60年前の1898年は日清戦争敗戦後、清國で戊戌の変法がおこり、13年後の亥年の辛亥革命へとつながってゆく。

100年スパンで見ると、

1958年の500年前、1458年戊寅 長禄2年 、古河公方の享徳7年、前年からの長禄の変が終結、赤松家遺臣が南朝より神璽の奪還に成功。6代将軍足利義教暗殺の主犯赤松家に約15年もの間京都から持ち去られていた神璽の奪還成功の功績を認め再興を許す。このへんから室町幕府は中央集権(諸国干渉)ができなくなり急激におかしくなってゆく。

1958年の400年前、1558年永禄元年戊午 (従って戊午の密勅の300年前)前年甲斐国の武田晴信(信玄)と越後国の長尾景虎(上杉謙信)の軍勢が衝突(第三次川中島の戦い)尾張国で木下藤吉郎(豊臣秀吉)、織田信長に仕え、戦国が最盛期に入る。永禄十一年には信長は上洛して天下を視野に収める。

1958年の300年前、1658年戊戌 彦次郎(秀重)、尾形光琳が生まれる。生産力は実物経済の規模を越えて名目貨幣経済が始まっていたが、社会制度が原始的なまま許容できていなかったため新井白石の政治に潰される。

200年前は宝暦八年1758年、幕府最初の尊王派弾圧<宝暦事件:天皇近習7名(徳大寺・正親町三条・烏丸・坊城・中院・西洞院・高野)の追放>(宝暦八年:1758年)が発生、山崎闇斎の神学の影響。

米国ではフレンチ・インディアン戦争の真っ最中、4月28日誕生日の同じ後の第五代大統領ジェームズ・モンローが生まれる。

さらに1958年の100年前、1858年戊午 9月14日(安政5年8月8日) - 戊午の密勅 西郷隆盛が尊王運動に破れ月照と入水している。なんと言う偶然だろう。
The Jews Relief Act 1858, also called the Jewish Disabilities Bill, is an Act of the Parliament of the United Kingdom which removed previous barriers to Jews entering Parliament.

Following the Roman Catholic Relief Act 1829 there had been an unsuccessful attempt in 1830 to also allow Jews to sit in Parliament.[2] The 1858 measure was the result of a long process which began with a bill introduced by the Whig leader Lord John Russell following the election of Lionel de Rothschild to the City of London constituency in 1847. Rothschild could not take the seat without taking the Christian oath. The bill was supported by the future Conservative Prime Minister Benjamin Disraeli but not by his party.



こういう自分と干支を結びつけた歴史教育は方法として面白い。



父子の墓は、谷中長明寺にあるというから、千駄木で降りて、一度お参りに行ってみようと思う。

以下は心に止まった一部の引用(ただし、これは本文ではない、あとがきの部分)

『亀井勝一郎の歴史学批判は当然のことながら、歴史学者には評判が悪い。『昭和史』論争で亀井は”私達が歴史を勉強しようと思うときの欲求”として、次の二つを挙げた。
・自己の生の源泉を、民族性や時代の流れのうちに確認したいという欲求
・史上において典型的人物と思われる人と邂逅し、新しい倫理的背景を形成する上での根拠を発見しようという欲求
若いころの私も。「民族性」だの「邂逅」だのといった用語に右翼的なイメージや科学軽視の匂いをかぎ、反発を感じたものだ。たぶん歴史学者も同じだろう。しかし吉村昭氏の歴史小説を次々と読み続けている自分を顧みて、何に夢中になっているのか自問自答してみると、結局亀井が挙げた二つ以外に思いつくことはない。』


亀井勝一郎なんてなつかしいね。僕らの世代の正統派知識人といえば、生きているいないに関わらず、亀井勝一郎か小林秀雄が基準だった、神と仰ぐ岡潔も小林秀雄を通じて知った。ちょっと左翼がかった同輩は梅本克己だったりした。わたしたちの世代は実にひねくれた教育をされて育ってきた。特に歴史に関しては間違えだらけの上に、有名な作家の描いた幕末や明治が本当の姿であるかのような思い込みに染め上がっている。ここにきてやっと矯正コルセットが外れてきた感じさえする。
戊戌生まれの同輩が宗旨をかえてくれて嬉しく思った。
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