公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

浜田幸一

2016-09-05 07:10:00 | 日本人

ハマコーこと浜田幸一。生きていれば今日が誕生日だそうだ。

浜田 幸一(はまだ こういち、1928年(昭和3年)9月5日 - 2012年(平成24年)8月5日)は、日本の政治家、タレント。株式会社YAMATO名誉顧問。

自由民主党の衆議院議員として通算7回の当選に及び、衆議院予算委員長、自由民主党広報委員長、自由民主党副幹事長などを歴任したが、閣僚経験は得られないまま1993年(平成5年)に政界を引退。

この写真は自民党の一部の議員が作った両院議員総会前バリケードを個人(CIAエージェント)の資格で強制解除(おかたずけ:1979年(昭和54年)に、自民党史上最大の危機と言われた四十日抗争で、党内の反主流派が築いたバリケードを強行突破。両院議員総会の開催を導いた。 )している場面であり、ハマコー先生が暴れている絵ではない。

 

 

暴れているのは大平正義を引きずり下ろしたいCIA系(当時の反田中角栄勢力=勝共連合の影響下)(福田派・中曽根派・三木派・中川グループ:晴嵐会の流れ石原慎太郎 長谷川四郎など)反主流派すなわち現在の清和会の原型(CIAエージェント天川勇と米国の許可のもとに福田も石原も清和会も政治をやれていた)、勝共連合(敗戦利得者、民団系含む)と冷戦利権者(被支配利得者=敗戦利得者、民団系含む)の野合である。この時はさすがにCIAのやりすぎだったので自ら手下を使って火を消した。

とりあえず、この写真お騒ぎの中心、1年余で大平 正芳(おおひら まさよし、1910年(明治43年)3月12日 - 1980年(昭和55年)6月 12日)は選挙中に死ぬ。死因は心筋梗塞による不整脈だった。CIAに逆らうと政治家は死ぬ。そういう年齢でもあった。


そして、その後東京地検の手によって何が起きたかというと。

***

(田中派)田中角栄 逮捕 ロッキード事件(←東京地検特捜部)
(経世会)竹下登 失脚 リクルート事件(←東京地検特捜部)竹下登は病院じゃなくアラスカで厚顔潰されて死んだって本当のことかね?下手人は400をベンチプレスであげる隠れ家という名前の元軍人、ってどうよYoutubeみた人いる?確かに今にして思えば竹下登が北里研究所病院という臨床では二流の病院に入院していたのも当時直感的違和感を感じた。橋本龍太郎に面会しなくなった1998年時点で隔離あるいは死んでいたためか、公式死亡2000年6月19日まで時間稼ぎのために大きな冷凍庫のある病院として北里研究所病院が選ばれたのかもしれない。米軍厚木基地→ハワイで暗殺後冷凍という説もある。明確な最期を残していないという事実はいずれまた明きらかになる。
2000年(平成12年)5月1日、病床で録音した竹下の引退宣言のテープを、当時の小渕派の最高幹部たちが本人不在のなかで記者会見において発表した事が死後の発表を匂わせている。


(経世会)金丸信失脚逮捕 佐川急便献金・脱税(←東京地検特捜部&国税)
(経世会)中村喜四郎 逮捕 ゼネコン汚職 (←東京地検特捜部)
(経世会)小渕恵三 (急死)(←ミステリー*中丸薫『泥棒国家日本と闇の権力構造』参照)
(経世会)小渕優子 有罪判決 政治資金規正法違反 (←東京地検特捜部)

(経世会)鈴木宗男 逮捕 斡旋収賄 (←東京地検特捜部)
(経世会)橋本龍太郎 議員辞職 日歯連贈賄事件(←東京地検特捜部)腸の急激な病気?
(経世会)小沢一郎 西松不正献金事件・土地取得疑惑 (←東京地検特捜部)
(経世会)二階俊博 西松不正献金事件 (←東京地検特捜部)
 (経世会=平成研究会:反小沢羽田)村岡兼造 日歯連事件 (←東京地検特捜部)
何故か二階俊博と小沢一郎だけがCIAに許されて復権(ここに今日の政治の秘密がある。)
自民が下野自社さで復活した時も、戦後五十年決議に抵抗した村上邦正議員も怪しげな、「も大学」設置を有利にする質疑の半年後の受け取り収賄で有罪にされて参議院の元締めが葬られた。このころに一番「活躍」したのが、故加藤紘一だったかな。


竹下は金屏風事件でも取り調べを受けたが、政界に流れたという40億円は結局八重洲画廊の口座で資金繰りに使われた。「なんてことはない 。実は 4 0億円はすべて 、借り入れの返済と大口定期の運用に使われていた 。要するに 、真部氏は 4 0億円を単に自分の金繰りのために使っていたのだ 。当時はこれが政界に渡ったと言われ 、東京地検が捜査までしたが 、結局は尻尾を摑めなかったのも当然である 。」住友銀行幹部の証言。本当か?

思い起こせば、70年代この時代は国民的な中国友好ムードにあり、特に田中角榮の支持率の高さから、米国の手を離れた陸側に行きそうになった日本。

その米軍の日本統治に対する危機意識から、CIA工作はやり放題で、脅しまくり、やややりすぎた時代。左翼学生も左翼労組も幹部が次々殺された時代を憶えているかな。

四十日抗争の二年前にベレンコ中尉亡命事件が起きて(冷戦時代の1976年9月6日、ソビエト連邦軍現役将校ヴィクトル・ベレンコが、MiG-25(ミグ25: 現在も世界最速マッハ2.8の記録を持つ当時の最新軍事機密戦闘機)迎撃戦闘機で北海道の函館空港に着陸し、




米国亡命を求めた事件:日本への亡命を希望するものの、「日本はあなたが思っているほど自由な国じゃない」と言う麗子の助言により、結局はソ連へと帰っていく」と書いたのがこち亀40年前のこと。)、


工作がピークにあった結果、当時の✖️William Egan Colby George H. W. Bush ✖️両CIA長官の日本破壊のやり過ぎで、米ソの安定冷戦構造が極東で危くなりかかった。急きょブレーキ役の仕事をしたのが同じくCIAエージェントの手駒のひとりハマコー先生だったわけ。

もう一つ実は大きな事件が1976年に起こった。ほとんどの人が司法の歴史を忘れているのでロッキード事件との関係づけることを忘れているが、ある朝日新聞記者と今も時々TVに出てくる元検事のことを思い出しておこう。

わずか入社3年目の記者が、後の出世と執行役員を経てテレビ朝日社長になるきっかけ:1978年度の日本新聞協会賞を受賞なんておかしいでしょう。なにか裏がある、現在HD会長 
吉田慎一よしだ しんいち、1950年1月9日
- )1974年、東京大学法学部卒業後4月、朝日新聞社に入社。福島支局に配属、県政担当記者。この時に木村守江福島県知事の土地開発に絡む収賄汚職事件を取材。1978年度の日本新聞協会賞を受賞(対象 福島県知事収賄事件)
この契機は誰が作ったのか。贈収賄の内部情報が素人ぺいぺい記者にとれるわけがない。リークの背後にいたのはのは当事者首謀者、銀座の虎と言われた通称 町井久之 こと、鄭建永(チョン・ゴニョン1923年 - 2002年9月18日)

東声会:1963年2月10日神戸市須磨区の料亭「寿楼」で、田岡一雄と町井久之の兄弟盃が執り行われ山口組の傘下に入った。出典は、飯干晃一『山口組三代目 2 怒涛篇』徳間書店<徳間文庫>、1982年、ISBN 4-19-597345-7のP.114:

そして1963年11月9日午後6時9分ごろ、右翼活動家・田中清玄が、東京會舘の前の路上で、暴力団東声会組員・木下陸男に銃撃された事件を起こす。町井の関与は明白だが、逮捕されず(当時はまだ田中清玄も相対的に民族派だった、日本の右翼はCIA工作資金の強烈な磁石に吸い寄せられるように間接的に敗戦利得者たちに吸収されてCIAの支配下におかれてしまう。)

つまり今は常識だが山口組の親方もCIAということだ(その後の分裂は親方への工作資金の流れが変わったということ)。

予定通り町井は昭和41年(1966年)9月1日、町井は東声会の解散声明を発表)

きっかけは側近のリークによるものだろう。CIA国内工作の手先の手先のそのまた手先となっていた町井の手法背景は明らかにマフィアの行う独饅頭の手法であった。

若き功労者吉田慎一はワシントン派遣後、政治部次長へ昇進する。

 

1976年は現職を立件するなという司法の不文律の壁を壊す外部勢力(CIAを含む)による日本操縦の突破口が生まれた年、70年代マイルストーンになった。これに協力した検事が宗像紀夫だ。宗像検事は福島地検時代の木村守江知事汚職を突破口に、リクルート、ゼネコン汚職、二信組事件等、特捜部に摘発された事件の主役で、藤波孝生氏、江副浩正氏(元リクルート会長)、竹内藤男氏(元茨城県知事)、中村喜四郎氏、高橋治則氏(元東京協和信用組合理事長)現職立件に関わることになる。

検察はもちろん戦後まもなくからの元祖CIAの前身の手先であるから、その後の田中派包囲網の構築にこの事件は大いに役立った。そういう意味で宗像紀夫と朝日新聞記者吉田慎一のロッキード事件(つまりその後のCIAによる日本政治操縦)への貢献は大きかった。その功績で吉田慎一は出世できたわけだ。

1976年が戦後の最も大きな政治変動の結節点となる。この視点は他のその後のロッキード事件解説には無いだろう。


代表的な日本の政治家の死を一覧で眺めると、

『清和会に対立した経世会の末路』

 

(田中派)田中角栄 逮捕 ロッキード事件 (←東京地検特捜部)


(経世会)竹下登 失脚 リクルート事件 (←東京地検特捜部)


(経世会)金丸信  失脚逮捕 佐川急便献金・脱税 (←東京地検特捜部& 国税) 

(経世会)中村喜四郎 逮捕 ゼネコン汚職 (←東京地検特捜部)

(経世会)小渕恵三 (急死) (←ミステリー)


(経世会)鈴木宗男 逮捕 斡旋収賄 (←東京地検特捜部)


(経世会)橋本龍太郎 議員辞職 日歯連贈賄事件 (←東京地検特捜部)


(経世会)小沢一郎 西松不正献金事件 (←東京地検特捜部)


(経世会)二階俊博 西松不正献金事件 (←東京地検特捜部)

 

(清和会)岸信介 安泰


(清和会)福田赳夫 安泰


(清和会)安倍晋太郎 安泰


(清和会)森 喜朗 安泰


(清和会)三塚 博 安泰


(清和会)塩川正十郎 安泰


(清和会)小泉純一郎 安泰


(清和会)尾身幸次 安泰



中川昭一の父親である中川一郎氏も、日本の近隣大国であるロシアからの、
「米国石油メジャーとは別口ルートでの」原油輸入を画策し、入浴中、絞殺された。

清和会でも安倍晋三はウクライナとロシアを公平に並べ評価したために殺された。

以下は本当と思えないが、
「いうことをきかない政治家を、たとえば竹下さん(元首相)も、お金のことでいろんなことがあったときに、MPが横田に連れていったそうです。飛行機に乗せて、太平洋の真ん中まで行って、「ここから落とす」といわれて、「イエスかノーか」と脅迫されたと聞きました。
  今だって、お金のことでいろんな問題があると、MPが連れていって、ヘリコプターで宙づりにして、顔を海に何回も浸けるそうです。そうすると、海水が入って頭がおかしくなる。これはすごく秘密の世界です。
  今、横田とか座間に米軍基地の本拠地が来ている。日本がますます危ない状況です。中国包囲網で、朝鮮問題を片づけたら、あるタイミングを見て中台戦争も起こさせようとしているから、潜水艦なども中国を取り囲む状態になっている。そうしたら日本が戦場になってしまいます。深刻な事態です。
  日本は敗戦によって、マッカーサーが幕府の将軍みたいなものになりました。アメリカが将軍になって、自民党は委任されて政治をしてきたけれども、その自民党自身が完全に取り込まれてしまっている。独自性を全くなくしてしまった状態なのです。
                 ―― 『泥棒国家日本と闇の権力構造』(徳間書店)」

嘘か本当か、総理大臣にはこういうこともありうるということだ。
浜田の
児玉誉士夫との縁は所属組事務所が稲川会に吸収された後、稲川角二の紹介で「児玉邸に2、3年住み込み下働きを務め、その後約10年間小佐野の経営する国際興業で不動産取引の勉強をした。」「児玉とかつて所属していた組に援助され、富津町議会議員から千葉県議会議員になった。公費では運転手は付かないため、そのあいだ浜田は移動用の車と運転手の面倒をみてもらった。この運転手が後のバーニングプロダクション社長・周防郁雄である。」との経緯がwikiに書かれている。児玉誉士夫を師と仰いでいたことも本人の著書『YUIGON もはや最期だ。すべてを明かそう。』著者: 浜田幸一にかかれている。この自著で通訳の福田太郎の急死についてもハマコーは何かを匂わせている。
1976年二月十四日
ロツキード事件の取材をしていた日本経済新聞記者の高松康雄が自宅で急死。
1976年六月 九日
児玉誉士夫の元秘書で、裏金の流通経路に深く関与していた日系二世福田太郎急死
1976年八月 二日
田中角栄が丸紅から五億円を受け取ったことを供述した田中の運転手笠原正則が、取調べ翌日車中で排ガスを吸って死亡

ルポライターの鎌田慧は「地元のヤクザ組織である石崎一家(稲川会系)の舎弟で、傷害罪で逮捕歴のある浜幸は、富津町町議から、1963年に県議、69年に代議士と『男の階段』を登りつめてきた。開発から湧き出るアブク銭が浜幸を大きくしたのである。彼の頭の回転の早さと度胸は賭場の下足番から計算係としての『中盆』程度の出世でけっして終わらせるものではなく、造成地払い下げの仲介、君津地区後背地の『地揚げ』(転売)、埋立て入札での『談合』の根まわし、など、開発利益をむさぼらせたのだった」と書いているが、ハマコーには傷害罪で逮捕歴はあるが一家が収集されたので舎弟ではなかった。度胸がどれほどのものであったか疑わしい。

7回も当選し、ハマコーがただの下っ端ヤクザではないのは、バックエンドがCIAだから。やれと言われれば、指定のラスベガスのATMカジノに行ってマネロンもする。IEが高く晩年は道化の愛嬌があったが、「子供たちの将来のため」に、ご主人に反旗を揚げる度胸はなかったようだ。ルポライターが開発利権のことは書いても、鎌田慧”ほど”辣腕がそこを書かないのは何か自分自身に理(テーマ選択)由しがあるのだろう。(鎌田はかつて、成田空港反対運動に加わっていたこともある[伝聞]など、社会運動にも深くかかわり、新日本文学会の解散のときに編集長もつとめていた。脱原発は、大江健三郎、坂本龍一、内橋克人、澤地久枝、瀬戸内寂聴、鶴見俊輔、落合恵子、辻井喬などと「さようなら原発」運動を呼びかけ、1000万人署名、17万人集会(2012年7月)を実施した人物)単なる高齢ルポライターでないことは胸に手を当てて聞いてみるがよし。


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