公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

33年前の今日、劇画界は一人の天才を失った。

2019-01-11 21:29:31 | 日記

1986年(昭和61年)1月11日、昭和の絵師 上村一夫逝去。享年45歳。

33年前の今日、天才を失った。昭和が残っているうちに。

人喰い

 


 

神奈川県横須賀市に生まれる。1964年武蔵野美術大学デザイン科を卒業。大学4年生の時に半年間アルバイトで勤務していた広告代理店宣弘社イラストレーターとして広告制作に携わる。宣弘社にてテレビの絵コンテを描いていた上村の隣のデスクに座っていたのが生涯の友人である阿久悠である。

1967年アメリカの雑誌『PLAYBOY』風のパロディ漫画『カワイコ小百合ちゃんの堕落』を『月刊タウン』創刊号に発表。これが漫画家としてのデビューとなる。1968年には、放送作家としても活動していた阿久悠と組み、『平凡パンチ』にて『パラダ』の連載を開始。本格的な漫画家活動に入る。

1985年11月、下咽頭腫瘍で入院。1986年1月11日、死去。45歳没。

2013年4月、神楽坂artdish にて上村一夫原画展「花の輪廻」開催。トークイベント 『科学の子とエロスの子〜愛娘トークナイト〜神楽坂の夜は更けて』が行われた。科学の子とは手塚治虫の長女の手塚るみ子、エロスの子は上村の長女、上村汀である。

2014年6月〜7月、京都嵯峨芸術大学にて『漫画家 上村一夫の世界 〜昭和の絵師と呼ばれた男〜』展開催[1]

2016年1月〜3月、弥生美術館にて『わが青春の「同棲時代」上村一夫×美女解体新書展』開催[2]

2017年1月、アングレーム国際漫画祭にて「離婚倶楽部」が遺産賞を受賞。

2017年8月、日本テレビ系「24時間テレビ40「愛は地球を救う」ドラマスペシャル、 時代をつくった男 阿久悠物語」内にてその人生の一部も紹介された。

 

宣弘社時代の同僚であった阿久悠は、上村を「生まれて初めて出会った天才」と評している[3]

阿久は宣弘社時代にCMの絵コンテなどを手がけていたが、上村のうまい絵を見てからは恥ずかしくなり絵が描けなくなったと述べている[4]

ギターが得意で、東京で5番目にうまいと自称していた[4]。宣弘社時代には阿久が書いた詩に上村が曲をつけたこともあったという[4]

 


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