公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

エルサレムに雪

2019-01-15 05:01:45 | イランおよびトルコ シリア

エルサレムに雪

エルサレムのような丘陵地には時々雪が降るらしい。


旧約聖書のマナ

露が乾いたあとに残る薄い鱗もしくは霜のような外見であり、コエンドロの実のように白く、を入れたせんべいのように甘いとされる。早朝に各自一定量ずつ採って食べねばならず、気温が上がると溶けてしまう。また余分に採取することも許されず、食べずに置くとすぐに腐敗して悪臭を放つ。ただし安息日には降ってこないのでその前日には二倍集めることが許されている。カナンの地に着くまでの四十年間、イスラエルの民の食料だった。



Spoke w/ President Erdogan of Turkey to advise where we stand on all matters including our last two weeks of success in fighting the remnants of ISIS, and 20 mile safe zone. Also spoke about economic development between the U.S. & Turkey - great potential to substantially expand!


あの恵はどうなった?FT


「命のビザ」植林が消失=杉原千畝記念碑も所在不明-イスラエル 2019/2/13(水) 7:12 19《85年、当時病床にあった杉原千畝に代わり、ベトシェメシュでの植林記念式典に参加した四男伸生さん(70)=ベルギー在住=は「植林には人間の命がこもった木を皆で植えたという意味があった。後世への希望が刈り取られ、記念碑が捨てられてしまったのが悲しい」と落胆している。イスラエル国内外のユダヤ人社会からも、木や記念碑を守れなかったことに強い批判の声が出そうだ。 》

 


この記事のその後はわからないが、今日ユダヤ人が自尊心を回復することなど無いが、18世紀のユダヤ人はそうではなかった。

メンデルスゾーン

貧しいソーフェル(聖書筆写師)の子としてドイツのデッサウに生まれた。母語は西方イディッシュ語であった。父は名をメンデル・ハイマン (Mendel Heymann) といい、「デッサウのメンデル」という意味でメンデル・デッサウと呼ばれていた。モーゼスもモーゼス・メンデル・デッサウなどと呼ばれていたが、後に「メンデルの息子」という意味でドイツ語風にメンデルスゾーン姓を名乗るようになった。メンデルスゾーンを覚えておこう古代ヘブライ語の復活がなければ、ユダヤ人の集団的自己意識はなくなっていたかもしれないのだ。

モーゼス・メンデルスゾーンMoses Mendelssohn1729年9月6日 - 1786年1月4日)は、ドイツユダヤ人哲学者啓蒙思想家である。

 

ロマン派作曲家フェリクス・メンデルスゾーンの祖父に当たる。感覚と信仰の上に立つ哲学を説き、当時の哲学者カント批判哲学を論難した人物の一人でもある。晩年には、友人のレッシングスピノチストであるか否かをめぐって哲学者ヤコービら当時の知識人と論争を起こした(いわゆる汎神論論争)。

 


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