公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

非情即寛容の論理

2012-07-15 11:56:08 | 日記
いつの間にか夏になっていた。人間の慌て、嘆き、悲しみを覆い隠すように季節がやってくる。

 自然の手順は極めて精緻で、かつ妥協なく季節を進める。
 ある意味自然は非情であり、それ故に非情即寛容という仕打ちを人間に対して見せる。
 自然の綾(あや)を目の前にすることに、慌て、恐れ、嘆き、悲しむ人間の所作は、驟雨に驚く虫の如く小さな抵抗である。
 この非情即寛容は最終的には大なる救済という自然の営みとなる再生確信と一如である。

 私の理想はビジネスもそうありたいということです。毎日同じように淡々と必要から供給、供給から必要の発生へと流れ続け、小さな川が大河、大海に注ぐまで、やっていることに情けをはさむ余地なく、とだえることなく与え続けてはじめて最初の小さな川に降り注がれた汗の一滴が報われる。ビジネスも一見非情で無為でありながら世界と一如でありたいと願うのです。
 ビジネスも季節の様に止まらない。いつも替りがいて気を抜けは次がやってくる。ある意味非情であり、非情の非情たるがゆえに、また寛容でもある。最近は春夏秋冬ではなく、春冬秋冬の循環となり非情さが増した。
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