公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

4000投稿目は「明鏡止水」と約束していたので

2020-11-23 16:28:00 | モナドの呪縛
明鏡止水の明鏡は磨かれた鏡ということだが、止水は澱みない静謐を止まった水(行雲流水の逆)のイメージと結合することで、明晰で冷静な心の状態を指すと解釈されている。
Weblio では

明鏡止水とは、邪念ややましさがなく、落ち着き払っているという意味のこと。明鏡止水の語源は、「明鏡」と「止水」の二つの言葉が組み合わさってできた四字熟語であり、中国古典「荘子」の「徳充符篇」に由来した言葉である。

明鏡止水の「明鏡」は、よく磨かれた鏡には汚れも垢も付かないが、汚れていれば塵や垢が付いて曇ってしまい、物事がはっきりと見えなくなってしまう、という意味の文章からきている。「止水」は、人は流水を鏡として使わず、止まった水を鏡にする。不動の心を得た者だけが、心の安らぎを求める人にそれを与えることができる、という意味の文章からきている。
とされている。
武道にも通じる心境という。ここまでは知識であらかじめ描ける。この先は知識によらない創造の世界(イマジネーションを信じる世界)を述べる。

魂を湖沼の大小 心を水と流れに喩えてみると
秋の瞬きする間に散った木の葉のような生身は魂の全貌さえわからないままに、ただこっちの善なる岸とあっちの不善なる岸があるように感じて、その間で折り合いをつけようともがいています。
生身から見ると普段の心はただぐるぐる虚しく回っているだけのように感じています。やがて必ずこの心に運動の終わりがやってきます。この水の流れのような心の流れが魂の全貌全霊とピシャリ一致する《とき》に水のような心は突然明鏡止水となって生身の私が全体の中で消えます。
これが私の入らない心の状態、完備した無の円環のイメージです。

これまで何度か時間や空間について論じてきたが、時間については時間軸は実在しないことを証明した。さらに自発的過程(不可逆過程)も、系の外にいる観察者がいることを前提に、状態に関する二点を選択すること。自発的時間過程も状態量を変化させるパラメータを使った作用の知的推論(エントロピーの増大)であって実在とは異なる情報の解釈であることを述べた。

さらに推論を進めてエントロピーの極大を考えた先人は熱的死や圧力の死、と名付けたが熱力学上はそれで済まされたが、統計力学ではまた違う。つまり結論は出ていない。

しかし思考実験はいくらでもできる。それが私が明鏡止水という思考実験だ。
任意の状態量のどこを選択しても差が出ない。そういうエントロピー極大の状態に時間は無意味である。重力などは対象物に対して作用は続くかもしれないが、区別できない運動量に時間積分は意味を持たない。この状態が物理世界の明鏡止水である。古来の明鏡止水はこのことが意識の上に写されてくること。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 赤い紐を手首にしている意味は | トップ | STATEMENT FROM SIDNEY POWEL... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。