公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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今読んでる『青春の忘れ物』 池波正太郎

2017-12-12 08:39:00 | 今読んでる本
今読んでるとタイトルになっているが薄い本なのでもう読み終えたのだが、池波正太郎は老年の楽しみに残しておこうと思い、読み始めると止まらないので、意識的に読まずに過ごしてきた。
これまでも剣客商売 鬼平犯科帳 ぐらいは読んだが、本当に池波正太郎を知ろうとしたら、昭和44年に毎日新聞社に連載されたこの本は避けて通れない。あとがきの川野黎子氏の言葉にあるように、昭和43年~昭和44年にかけて、ヒットキャラの小説執筆に猛烈に進んでゆく池波正太郎の節目の年齢でもあった。そういう意味でもエネルギーの出処の秘密が見える。

例えば鬼平こと長谷川平蔵という名で登場する人物も同じ長谷川の長谷川伸の洞察力と観察力、人間の包容力が組み込まれて創造している。海兵団時代の敬礼の小さなエピソードにも人間の備えるべき徳と優しさに支えられていることが見て取れる。自分の父親より7つ上だからほとんどの同輩男子あるいは上にいた世代は戦争で死んでいる世代と思う。今描こうとしてもそこに生きていた世代でなければ絶対に描けない息遣いというものがある。たぶん浅田次郎の<天切り松 闇がたり>シリーズも黄不動栄治なんかは池波正太郎の祖父の回想から、吉原のエピソードなどは時代着想を得ているものと思われる。池波正太郎を老盗賊に仕立てたという絵が、読者の勘働きに浮かんでくる。

この先もこれ以上は池波正太郎は読まずに人生を過ごそうと思う。40歳半ばで半生記を無理に書かされた池波正太郎は長生きできなかった。人間は自分の命の道のりを早く振り返るべきではない。そのような癖をつけてしまうとこの時に対する執着が薄れてしまう。今の幸せに溺れる後期高齢者諸氏は気を張って生きてもらいたい。自分はまだそんな年ではない。ちなみに川野黎子氏はもうNHKの朝ドラ主人公にしてもいいくらいの小説文筆業界隈のヒロイン。向田邦子とダブルヒロインで、飛行機事故で死ぬのは川野氏にして、もしかしての架空のドラマ脚本を書いても面白いかもしれない。残されたものはどう生きるべきかというテーマは現代の日本に必要なモデル。アイディア盗んでもいいよ。

江戸っ子風情豊かに「数ヶ月して長谷川先生が手紙を下すった。」この一文に池波正太郎の人生が凝縮している。
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