公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

滝田ゆう 作品展を見る

2018-01-16 16:07:10 | 日記




暖かいので弥生を歩いてきた。


滝田ゆうといえば恰幅の良い着流しと下駄のスタイル。五十代で亡くなった。

玉の井という私娼窟の思い出がベースで全く個人の幻想と経験だけで絵にしている。夢の世界に住んでいるような人と思っていた。

玉の井(たまのい)は、戦前から1958年(昭和33年)の売春防止法施行まで、旧東京市向島区寺島町(現在の東京都墨田区東向島五丁目、東向島六丁目、墨田三丁目)に存在した私娼街である。永井荷風の小説『濹東綺譚』、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』の舞台として知られる。



わたくしはお雪が永く溝際の家にいて、極めて廉価に其媚こびを売るものでない事は、何のいわれもなく早くから之を予想していた。若い頃、わたくしは遊里の消息に通暁した老人から、こんな話をきかされたことがあった。これほど気に入った女はない。早く話をつけないと、外のお客に身受けをされてしまいはせぬかと思うような気がすると、其女はきっと病気で死ぬか、そうでなければ突然厭いやな男に身受をされて遠い国へ行ってしまう。何の訳もない気病みというものは不思議に当るものだと云う話である。』

そんな遊里の玉の井を想像してみた。



 雷門かみなりもんといっても門はない。門は慶応元年に焼けたなり建てられないのだという。門のない門の前を、吾妻橋あずまばしの方へ少し行くと、左側の路端みちばたに乗合自動車の駐とまる知らせの棒が立っている。浅草郵便局の前で、細い横町よこちょうへの曲角で、人の込合こみあう中でもその最も烈しく込合うところである。
 ここに亀戸かめいど、押上おしあげ、玉たまの井い、堀切ほりきり、鐘かねヶ淵ふち、四木よつぎから新宿にいじゅく、金町かなまちなどへ行く乗合自動車が駐る。
 暫く立って見ていると、玉の井へ行く車には二種あるらしい。一は市営乗合自動車、一は京成けいせい乗合自動車と、各おのおのその車の横腹よこはらに書いてある。市営の車は藍色、京成は黄いろく塗ってある。案内の女車掌も各一人ずつ、腕にしるしを付けて、路端に立ち、雷門の方から車が来るたびたびその行く方角をきいろい声で知らせている。
(略)
呼ばれるがまま、わたくしは窓の傍に立ち、勧められるがまま開戸ひらきどの中に這入はいって見た。
 家一軒について窓は二ツ。出入でいりの戸もまた二ツある。女一人について窓と戸が一ツずつあるわけである。窓の戸はその内側が鏡になっていて、羽目はめの高い処に小さな縁起棚えんぎだなが設けてある。壁際につッた別の棚には化粧道具や絵葉書、人形などが置かれ、一輪ざしの花瓶はないけには花がさしてある。わたくしは円タクの窓にもしばしば同じような花のさしてあるのを思い合せ、こういう人たちの間には何やら共通な趣味があるような気がした。
 上框あがりかまちの板の間に上ると、中仕切なかしきりの障子しょうじに、赤い布片きれ紐ひものように細く切り、その先へ重りの鈴をつけた納簾のれんのようなものが一面にさげてある。女はスリッパアを揃え直して、わたくしを迎え、納簾の紐を分けて二階へ案内する。わたくしは梯子段はしごだんを上りかけた時、そっと奥の間をのぞいて見ると、箪笥たんす茶ちゃ台だい、鏡台、長火鉢、三味線掛などの据置かれた様子。さほど貧苦の家とも見えず、またそれほど取散らされてもいない。二階は三畳の間が二間、四畳半が一間、それから八畳か十畳ほどの広い座敷には、寝台ねだい椅子いす卓子テーブルを据え、壁には壁紙、窓には窓掛、畳には敷物を敷き、天井の電燈にも装飾を施し、テーブルの上にはマッチ灰皿の外ほかに、『スタア』という雑誌のよごれたのが一冊載せてあった。
 女は下から黒塗の蓋ふたのついた湯飲茶碗を持って来て、テーブルの上に置いた。わたくしは啣くわえていた巻煙草を灰皿に入れ、
「今日は見物に来たんだからね。お茶代だけでかんべんしてもらうよ。」といって祝儀しゅうぎを出すと、女は、
「こんなに貰わなくッていいよ。お湯ぶだけなら。」
「じゃ、こん度来る時まで預けて置こう。ここの家は何ていうんだ。」
「高山ッていうの。」
「町の名はやっぱり寺嶋町てらじままちか。」
「そう。七丁目だよ。一部に二部はみんな七丁目だよ。」
「何だい。一部だの二部だのッていうのは。何かちがう処があるのか。」
「同じさ。だけれどそういうのよ。改正道路の向へ行くと四部も五部もあるよ。」
「六部も七部もあるのか。」
「そんなにはない。」
「昼間は何をしている。」
「四時から店を張るよ。昼間は静だから入らっしゃいよ。」
「休む日はないのか。」
「月に二度公休しるわ。」
「どこへ遊びに行く。浅草だろう。大抵。」
「そう。能よく行くわ。だけれど、大抵近所の活動にするわ。同おんなじだもの。」
「お前、家うちは北海道じゃないか。」
「あら。どうして知ってなさる。小樽だ。」
「それはわかるよ。もう長くいるのか。」
「ここはこの春から。」
「じゃ、その前はどこにいた。」
亀戸かめいどにいたんだけど、母かアさんが病気で、お金が入いるからね。こっちへ変った。」
「どの位借りてるんだ。」
「千円で四年だよ。」
「これから四年かい。大変だな。」
「もう一人の人なんか、もっと長くいるよ。」
「そうか。」
 下で呼鈴よびりんを鳴す音がしたので、わたくしは椅子を立ち、バスへ乗る近道をききながら下へ降りた。
 外へ出ると、人の往来ゆききは漸く稠しげくなり、チョイトチョイトの呼声も反響するように、路地の四方から聞えて来る。安全通路と高く掲げた灯の下に、人だかりがしているので、喧嘩かと思うと、そうではなかった。ヴィヨロンの音と共に、流行唄はやりうたが聞え出す。蜜豆屋みつまめやがガラス皿を窓へ運んでいる。茄玉子ゆでたまご林檎りんごバナナを手車に載せ、後うしろから押してくるものもある。物売や車の通るところは、この別天地では目貫きの大通であるらしい。こういう処には、衝立ついたてのような板が立ててあって、さし向いの家の窓と窓とが、互に見えないようにしてある。
 。。








浅草寺




滝田 ゆう(たきた ゆう、1931年(昭和6年)12月26日 - 1990年(平成2年)8月25日)は、日本の漫画家、エッセイスト。本名・滝田祐作。國學院大學文学部中退。
























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