公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

蓮始開 はすはじめてひらく

2022-07-12 17:24:00 | 日記
七十二候/蓮始開 はすはじめてひらく 





ほんと常世の国下総は宝の山 

景行天皇行幸の歴史がある浮島

景行天皇53年のことか?

景行天皇(けいこうてんのう、垂仁天皇17年 - 景行天皇60年11月7日)は、日本の第12代天皇(在位:景行天皇元年7月11日 - 同60年11月7日)。『日本書紀』での名は大足彦忍代別天皇日本武尊(ヤマトタケル)の父[1]。考古学上、実在したとすれば4世紀前期から中期の大王と推定されるが、定かではない。


景行天皇行在所跡(浮島宮伝承地)
https://goo.gl/maps/ProA1YXgwfX99Dsz5




《文献》

                         し だ             くわはらのをか なめかた            たぎまのさと  
常陸国風土記に見える倭武天皇の巡狩記事は、常陸国総記・信太郡乗浜・茨城郡桑原岳・行方郡総記・行方郡当麻里・
   きつ     はずむの    あふかのさと    つのみや    つのをれ     あふか    あきた     めしま 

行方郡芸都里・行方郡波須武野・行方郡相鹿里・香島郡津宮・那賀郡角折浜・久慈郡遇鹿・多珂郡飽田村・多珂郡藻島
などに散見する。殆ど各地に跨がっていると言って好い。しかしこれらは、あくまでも古代伝承としての叙述であって、 歴史的人物としての景行天皇であったり倭建命であったりする根拠は殆ど無いのである。ただ我々は倭武天皇の名から 倭建命を考え、その父親とされる景行天皇のことを連想するに過ぎない。』

であれば、どちらかわからない。

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