あと4日でこの公開メモ3000日。無駄に時を過ごしてしまった。しかし時間が有限であるという思い込みをこの3000日で払拭することができた。つまり時間は存在でも力でもない。生命が有限であるという思い込みは死に対する精神の使い方が有限であるからだと気付いてからは、この無駄は使い方次第で無限になると達観した。来年は耳順う年になる。なんとか今やってることを周回軌道にのせたいものだ。
来年は六十歳、論語に「吾十有五にして学に志し(志学)、三十にして立ち(而立)、四十にして惑わず(不惑)、五十にして天命を知る(知命)。六十にして耳順(したが)い(耳順)、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず(従心)」などと言うが、ピンとこない。
ピンと来るように改変してみた。
「吾十有五にして女に志し(志女)、三十にして女に立ち(女而立)、四十にして女に惑わず(不惑女)、五十にして天女命を知る(知天女命)。六十にして女に耳順(したが)い(女耳順)、七十にして女の欲する所に従いて女(おんな)を踰(こ)えず(従女心)」