公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

内田魯庵 苦痛を忍びつゝ交通の便利の恩恵を謝ス

2019-02-15 10:39:34 | 今読んでる本

大正二年五月の内田魯庵の文章にはこういうのがある。



 ▲近頃は巣鴨や大塚、中野や渋谷あたりから中央の市街へ毎日通う人は珍らしく無い。逗子や鎌倉から通う人さえある。便利だと云えば便利だが、茲に不便があると云えば又云われん事は無い。電車や自働車の発達したお庇に、金のあるものが市街を離れた郊外に広大なる邸宅を構えるは贅沢だが、金の無いものが家賃の安い処へと段々引込まざるを得なくなるのは悲惨である。同じ交通の便利の恩恵を受けるにも両様の意味がある。
 ▲戸川秋骨君が曾て大久保を高等裏店(うらだなだ)と云ったのは適切の名言である。
 ▲其上に我々は市外に駆逐されるばかりじゃない。毎日々々高価な電車税を払わねばならない。交通税共に往復九銭というのは決して高くは無かろうが、月に積ると莫大になる。我々の知人中には一家の電車代に毎月十円乃至十五円を支払う者は珍らしく無い。之だけの電車税を払うのは中産者に取っては相当な苦痛であるが、此苦痛を忍びつゝ交通の便利の恩恵を謝さねばならんのだ。




大正二年といえば1913年ウッドロウ・ウィルソンが米国で大統領になった1期目。徳川慶喜が死去した年。明治維新も遠い昔となって世紀も元号変わり東京は戦争の合間でのんびりとしていた。大塚や渋谷あたりが勤め通勤にとって遠いとはよい時代だった。なんだか、今の東京もそうなのかなと思う。60年安保も遠い昔のこととなり、トランプ大統領の一期目の半ば、生き残ってきた当時の若者もそろそろ死んであの世に行く頃に当たる。今も内田魯庵と同じく、インターネットの苦痛を忍びつゝ交通の便利の恩恵を謝さねばならんのだ。世紀が変わって20で書き始めるのに手も耳も慣れた頃、なぜかのんびりしている。またしても。大きな戦争と世界の破壊が始まろうとしているのか?

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