公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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時代に即した皇室の在り方by秋篠宮皇嗣殿下

2021-12-16 07:08:00 | 皇室関連

これからの皇室は自由で機械的伝統維持はしないよというこれまでの秋篠宮皇嗣殿下の発言は、反省必至です。この度新しい皇室のアイディアが国民の納得、理解祝福と一致しない場合があるということに気づいたはずです。そればかりか国民の納得、理解祝福と一致しないことが国民側の誹謗中傷によるものと一括りにしている現状理解も甚だ幼稚です。

更に、結婚は許容したが国民の理解が得られない長文説明のために公的にできなくなったと秋篠宮皇嗣殿下の言葉による責任転嫁はあり得ない皇嗣の「綸言」でしょう。自己矛盾の旧弊「皇室親族令」準拠解釈と運用によって今後の皇室のヨスガを曲げてしまった。
 
誕生日代表コミュニケ一部を引用
秋篠宮さまの記者会見全文です。

「皇室への影響」とは

【記者】
長女の眞子さんと小室圭さんの結婚は、皇室の儀式が行われず、一時金が支給されない極めて異例な形となりました。

殿下は感想で、「皇室としては類例を見ない結婚となりました」、「皇室への影響も少なからずありました」とつづられました。

「皇室への影響」とはどのようなことを指し、今回の結婚が今後の皇室にどのような影響があると思われますか。

皇族としての「公」と一個人としての「私」など皇室そのもののあるべき姿が議論されましたが、殿下はどのようにお考えでしょうか。

複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された眞子さんの体調に影響を与えたと考えられる週刊誌報道やインターネット上の書き込みについて、どのように受け止めておられますか。

【秋篠宮さま】


それでは最初に、私たちが10月26日に出しました感想に記した皇室への影響ということからお話をしたいと思います。
いろいろあったと思いますけれども、私が感じるのは、主に二つです。

その一つは、今回の長女の結婚が公になって以降、様々な媒体で、私たちの家、秋篠宮家以外の皇室にも影響が出たということを感じたからです。

例えばそのことによって、天皇皇后両陛下がどういうふうに感じているとか、細かいことは私も記憶しておりませんけれどもありましたし、それからもっとはっきりしているのは、この娘の結婚に対して、上皇后陛下がいろいろ言われたとか、こういう考えを持っているというのが週刊誌に出たりもしました。

このことは宮内庁のホームページでも二度か三度にわたってそういうことはなかった、実際に私もそういうことを聞いたことは一度もないわけですが、なかったということを説明しているのですけれども、それでもその後も続いたということがあり、やはり負担になったことには間違いないと考えています。

それが、一つです。

もう一つは、結婚に当たって普通であれば行われている三つの行事ですね。

納采の儀と告期の儀と入第の儀、この三つの行事を行わなかったことで、これは私の判断で行わなかったわけですけれども、これは元々は、皇室親族令にあるものです。

今はもうそれはありませんので、絶対にしなければいけないというものではないわけですけれども、慣習的に行われているものであり、私は本来であればそれは行うのが適当であると考えています。

しかし、それを行わなかったそのことによって皇室の行事、そういう儀式というものが非常に軽いものだという印象を与えたということが考えられます。

本来であれば、その三つを行うのが繰り返しますけれども良かったと思っております。

それが、あそこに書いた影響ということであり、その後に迷惑をかけた方々に対して申し訳なく思っているというのもそこにつながります。

その次は何でしたか。

【記者】
公と私。

【秋篠宮さま】
公と私ですね。

公と私、そして皇室の。

【記者】
はい、あるべき姿。

【秋篠宮さま】
あるべき姿。

【記者】
はい。

【秋篠宮さま】
皇室のあるべき姿、これは上皇陛下が言われていた国民と苦楽を共にし、そして国民の幸せを願いつつ務めを果たしていく、これが基本にあると私は思います。

そして、それとともにやはりこう時代というのは変わっていきますので、その変化にも即した皇室であることが大切ではないかと思っております。

そのうえで、公と私を考えますと、これは私は公は常に私に優先されるべきものだと思います。

もちろん、例外は存在すると考えますけれども、公は私に優先されるべきものでありましょう。

一方、それでは今の一連の御質問にあった、娘の結婚のことと、この公と私のことを合わせて考えてみますと、これはどうなんでしょう、公と私というものにうまく当てはまるものなのか、どうかという気もいたします。

彼女は結婚するまでの間、皇族でいる間、公的なものと私的なものとの場合には、常に公的なものを優先してきていると私は思います。

これは海外の訪問も含めてですね。

論調の中の一部に娘が公よりも私を優先させたというのがありましたけれども、仮に、もし結婚するという、これは私的なことだとは思いますけれども、これを優先させたとしても結婚することを公にしてから既に4年経っているわけですね。

もし、それを優先させた、優先させているということになれば、10年経っても20年経っても結婚はできないということになるかと思います。

そのようなことから直接的に公と私という二つの概念に当てはまるのかというのは少し疑問に思いました。
参考に
「互いに素直な心寄せをし、時の恩寵の中で、その思いを確かなものにして行った経緯は、それぞれの自由意志を尊重されたおふたりの御両親の理解の有りようとともに、まことに自然で、すがすがしい。…それもこれも、明仁天皇が朝見の儀に、主権在民の平和憲法の順守を誓われた平成の時代にふさわしいと私には思える。新しい天皇家、川嶋家のご家族すべてが、戦後の民主主義教育の中で人と成られたことの意義を、私は今回の慶事と重ね合わせて考えている。自由な民衆の自然な支持があってこそ、新しい皇室の将来もあるだろう」
かつてご所属の学習院、自然文化研究会は、パリピの隠れ蓑だったことぐらいバレています。

 

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