公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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文学者は口籠もっている方がいいだろう

2013-04-01 17:04:11 | 日本人
「考えるヒント」小林秀雄より
「文学者は口籠もっている方がいいだろう」

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この意味は、戦後とか戦前とか分けて論じることの無意味さを言っているのだが、サルトルが「シチュアシオン」とも違うのであって、フランス文学とアメリカ文学とを比較するにあたりサルトル自身が戸惑う(あるいは憧れる)両者の違いは、日本にだってあるということを小林秀雄はこれを面白がっている。日本人にとって状況は風土の肌触りような具体的なものである。振り返って戦後派の小林が書いていたなんてことは無いのは当たり前であるという諧謔。

小林秀雄は戦前とか戦後とか新人とか語るまいと言っている。小林秀雄は小説という文学形態のが見かけが同じだからどこも同じだろうという雑な思考はしてなかった。

小林秀雄は日本人の批評家の中では論理的な方で、まやかしの情報、まやかしの専門家、まやかしの符牒を信じず、常識にしたがって地頭で考えた。という意味で1950年台ころの彼は飛び抜けていた。
小林秀雄は日本で文学と言ってるものと、その急激な言語変貌をつぶさに見てきた世代に位置し、井伏鱒二や川端康成、果ては中谷宇吉郎までリアルタイムで知る人であり、かつ外来思想の根本的なとこを思考から追体験することに手を抜かなかった無二の批評家だ。それでいながら文藝春秋などという”いかがわしい”大衆雑誌に寄稿するざっくばらんなスタンスは、風貌と言い、物言いといい、どこか明治維新を前後して生きた勝海舟に似ている。と、かねてから思っていた。岡潔の「春宵十話」からも影響を受け、非常に深い情緒の考察をしている文庫本で対話を読んだ記憶がある。

戦争が終わり、施政権が日本に帰された1952年から本当の日本人としての自分、戦争を前後する自分の信条変化について検閲なく語ることが出来るようになり、にわかに戦後主体性論争などという新しい符牒をひっさげた学者ら、例えば竹内良知や梅本克己を見て、小林秀雄は馬鹿は放っておくのが良いが、その馬鹿たちに影響されないように日本という「シチュアシオン」に咲いた文学者たちを守ってやらなければならないと感じていたのだろう。それが「文学者は口籠もっている方がいい」という絶妙の批評になった。私の趣味ではないが実に絶妙な物言いが勝海舟の維新後の姿に似ていると思う。

もしかしたら戦争について戦前の文学者が語らない時代が生まれた責任の一端はシチュアシオンを衛った小林秀雄にもあるかもしれない。川端康成も彼の援護批評に救われたのだろう。彼ら徴兵されずに生き残った世代は2つにわかれた。心に留めることを放棄し沈黙した群と心の傷を仕事に昇華させた群。いずれの人々もあらゆる批評から距離を置いていた。やがて批評といえばどこかの思想やカテゴリーに属するという軽薄な思考法が標準となってからは、本当に批評の資格を持つ者達には声も出せなくなった。

本当の批評家は自由の創作性、嘘を知っている。創作、つまりは、自由さえ一つの構成概念であるからして、文学者の作品と自由意志は対等の関係存在である。いかなる思想にも服従しないがゆえに自由であり、作品の嘘である。

この軽薄な思考法にまみれた、出版文化という桎梏が作り上げた偏見の吹き溜まりが知識を職業とする専門家たちの自由を押しつぶしている。猥褻という概念一つとっても可罰的違法性の基準概念に押し込められた自由意志に矮小化されている。法哲学上の価値だけが自由ではない。知識を職業とする専門家は、窒息するか全体主義になるかどちらかしかない小我と因果論、初期世界の絶対化しか選択できない。これは文明の行き詰まりです。
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