公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

萩原なのか荻原なのか ショーケンは別世界へ

2019-03-29 06:44:35 | 日本人

追補
白石冬美まであの世に⤴︎
萩原なのか荻原なのかわからないうちにショーケンと呼ばれていた時代の寵児が別世界に行った⤴︎。享年68歳(満年齢)。ちょっと早い。テンプターズのドラマーで真行寺君枝の旦那さんだったメンバーも似たような人生だったがもっと早く去っていた。

83年には大麻で逮捕されると、裁判でテンプターズ時代から大麻を常用していたことを証言。「ずっと大麻とコカインを吸っていた。あの時、捕まらなかったら死んでたかも」と語っている。

GS 〜PYG(1966〜せいぜい1971年)ドラマ ファッションなど時代の所々に現れては、鮮烈に印象を残した省エネルギー人生だったから、何もしてない時が多い。それでもいいんじゃないかな。TV芸能なんだから。


Wiki
大口 広司(おおぐち ひろし、1950年11月28日 - 2009年1月25日)は、埼玉県出身で1960年代を代表するグループ・サウンズ『ザ・テンプターズ』、又ウォッカ・コリンズのドラマー。その後は俳優業へ転身する傍ら、服飾デザイナーとしても一時活動していた。埼玉県川口市出身。早稲田実業在学中の1967年、ザ・テンプターズのドラマーとして16歳でデビュー、高校を中退。1970年に解散後、井上堯之、大野克夫、萩原健一、岸部修三、沢田研二というそうそうたるメンバーと1971年伝説の「PYG」というグループに籍を置きドラムスを担当する。



萩原 健一(はぎわら けんいち、1950年7月26日 - 2019年3月26日)は、日本の俳優、歌手。ニックネームは「ショーケン」。由来はデビュー前の不良仲間、ダイケン、チューケン、ショーケンから。元ザ・テンプターズ、PYGのリード・ボーカル (PYGは沢田研二とのツイン・ボーカル)。血液型はO型。所属事務所はKR株式会社(2016年8月よりオスカープロモーションと業務提携)。埼玉県北足立郡与野町(現:さいたま市中央区)出身。



PYG(ピッグ)は、1970年代初頭に、グループ・サウンズの「ザ・タイガース」「ザ・テンプターズ」「ザ・スパイダース」のメンバーが集結した、日本のスーパーグループ。沢田研二・萩原健一のツインボーカルを擁したロックサウンドを特徴としていたが、メンバーのソロ活動、俳優活動などが重なり、自然消滅となった。井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2018年5月2日)も大口も萩原も今はこの世にいない。冨士夫(やまぐち ふじお、1949年8月10日 - 2013年8月14日)もいない。反抗的破壊的であることが飯の種にならない時代となった。GSブームも当局による解散圧があったのだろう。街頭のゲバとデモが消える時代と同調している。同調圧の強かった時代は大きく変化しやすかった。ロックマンは大麻を吹かすのが関の山となった。


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