功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

きょう6月2日は、父の命日です (2022/06/02)

2022-06-02 22:10:54 | On the Road
( 京都の嵐山に立つ、当時の繊維会社の役員です。左からふたりめが、代表取締役社長だった、父です。そして右端は、社長車の運転手さんです。役員の記念写真に、運転手さんに入ってもらうのが、父らしいと思いますから、好きな写真です。ぼくはこの頃、小学生だと思います )
(写真と若干の言葉を足しました)  きょう6月2日は、父の命日です

(写真と若干の言葉を足しました)  きょう6月2日は、父の命日です

青山繁晴の道すがらエッセイ/On the Road

青山繁晴の道すがらエッセイ/On the Road

▼父は、繊維会社の現職社長のまま、医療過誤で、窒息死を遂げました。

 父と母はそれぞれ、ぼくが国会議員となる前に亡くなりました。
 母が政治家嫌いだったのとは対照的に、父は、建設大臣の後援会長を務めたり、政治に関心が強かったです。
 国会議員となっても政治献金を受け取らず、パーティ券も売らず、団体支持お断りという生き方を、もしも亡き両親が知ったならば、母は、政治家に対するイメージがすこしは変わったなぁとか言ってすこし喜び、父はいつものようになにも言わず、たぶん心配しただろうと思います。
『おまえ、そんな変わったことをやって、大丈夫なのか』、と口には出さずに、ぼくの顔をちらりと見たでしょうね。

▼父を突然、喪ったのは、いまも痛恨の極み、諦めきれない気持ちが残っています。
 ぼくは共同通信で、大阪支社の経済部記者から東京本社の政治記者になったばかり。
 夜回り先で、小雨のなか、父のまさかの急死を知ったときの悲痛は、いまも消えることがありません。


きょうは実は父の命日です

きょうは実は父の命日です

青山繁晴の道すがらエッセイ/On the Road

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