みなさん、きょうも、おはようございます。
▼ゆうべ、きょう1月21日に予定される日米オンライン首脳会談をめぐって、内外に電話で交渉と提案をおこないました。
その電話が終わってから、今国会に上程される予定の経済安全保障の法案について、別の電話にて意見を述べました。
今朝、いつものように未明から動いていて、昨夜の電話交渉の中身を当然、胸の中で反芻しています。
今後どうするかを考えるためですね。
そのときふと、甦った光景がありました。
政界で「加藤の乱」と呼ばれた場面です。
▼ゆうべ、きょう1月21日に予定される日米オンライン首脳会談をめぐって、内外に電話で交渉と提案をおこないました。
その電話が終わってから、今国会に上程される予定の経済安全保障の法案について、別の電話にて意見を述べました。
今朝、いつものように未明から動いていて、昨夜の電話交渉の中身を当然、胸の中で反芻しています。
今後どうするかを考えるためですね。
そのときふと、甦った光景がありました。
政界で「加藤の乱」と呼ばれた場面です。
今は亡き加藤紘一・元官房長官が、同じ自由民主党の森内閣を打倒すると宣言し、しかし具体的な動きでは迷いに迷っているとき、その派閥(宏池会、当時の加藤派)の政治家が周りに集まって口々に意見し、ふだん穏やかな幹部が加藤さんに「大将なんだから」と泣きながら何度も呼びかけます。
大将らしく、われわれと最後まで一緒に行動してください、という意味なのですが、この大将というのは、派閥の会長のことですね。
みなさんがお分かりの通りですが、ぼくはこう思いました・・・『これは国民の感覚とはズレているだろうなぁ。総理であったり自由民主党幹事長であったりすれば、大将という言葉も分からなくないけれど、派閥という私的な集まりの長を、国民が選んだ国会議員が大将と呼ぶ、ちょっと変な感じを主権者は受けるのではないかな』
そもそも派閥のトップを「会長」と呼ぶのも、国民の健全な感覚からすると、変でしょう。
▼当時のぼくは、共同通信の記者を辞してほぼ3年、シンクタンクの三菱総合研究所(三菱総研)の研究員です。
そこから、初めての独立系シンクタンクとして独立総合研究所(独研)を創建するのは、1年半後です。
国会議員になるとは、もちろん夢にも思っていない、正確に申すと当時も「選挙に出ませんか」という誘いがありましたが、断り続けていた頃です。
政治記者を10年務めましたから、多くの自由民主党の国会議員が、国民が思っているよりずっと、派閥への帰属意識が強いことは、職務として良く知っていました。
しかし「大将」という言葉を、テレビカメラが数多く撮っていると分かっている場で連発する、それもふだん温和な常識人として知られる政治家が言う、あ~、このズレが、深い部分の政治家と国民のズレなんだよと、あらためて思ったのです。
▼そのときの光景を、なぜ今朝、疲れた頭に思い浮かべたのか。
昨夜の交渉は、日米中の関係をめぐる交渉であり、まさしく国事です。派閥レベルの話ではありません。
しかし、ゆうべのように地位が高い政治家たちと協議、交渉し提案するとき、ぼくの務めとして、派閥の動きを含む党内政局を背景として良く考えながら、話します。
そうでないと、ただの評論のような提案になってしまいます。
自由民主党の内部にいる議員のひとりとして、主権者・国民の尊い負託を背負って、交渉し提案するのですから実際に事態を動かすものでなければなりません。
そのためには、政局の話などまったく出なくても、背景として知り尽くしたうえで話します。内閣総理大臣や自由民主党の首脳陣クラスであれば、何も仰らなくても、党内政局に必ず、内心で目配りなさっているからです。
▼万やむを得ず、思いがけず議員となったぼくは、民間の時代と同じ考えを貫いて、完全無派閥でいます。
しかし、自分がそうだからいいという訳にはいきません。
代表を務める、護る会(日本の尊厳と国益を護る会)も、既成派閥とはまったく違う新しい議員集団ですが、党内の全派閥から、自由意志で議員が72人も集まっておられるのです。
無派閥のかたがたを別にすると、多くの護る会メンバーは、派閥の一員と護る会メンバーをいわば兼ねているわけです。
その議員集団の代表なのですから、国民と議員のズレを、力を尽くしてじりじりと小さくしてゆくのも、不肖ながらぼくのささやかな務めのひとつだと考えています。
▼このブログには、思いがけないことを理由に掲げて、いわれなき激烈な非難がやって来ます。
おひとり、おふたりではありませぬ。少なくないのです。
いちばん理不尽なのは、誰か他人の発言、言動について、それをすべてぼくの責任として全人格も否定する勢いで一方的に非難されることです。
ぼくは青山繁晴です。
他の人物の発言、言動をすべて差配できるなど、あり得るはずもありません。そうしたことを望むことも考えることもありません。それを望んだり、考えたりしていれば、むしろ最悪最低でしょう。
他の人と議論したり、交渉したりはいつもしています。
冒頭に記した電話交渉も、たとえば、そうですね。
しかし、その他の人の発言、言動については、どうぞ、そのご当人に仰っていただけませんか。
このブログに自由にコメントをお寄せになっているのと同じく、その方に仰る手段はあります。
あと半年で、すなわち1期のみで、ほんらいの望み通りに議員を辞めれば、こうしたことからもかなり自由になります。その場合は、このブログのコメント欄は間違いなく閉鎖したでしょう。
いまは議員の義務として、この疲弊した朝にも、みなさんからのコメントをきちんと読んでいます。前述した、いわれなき非難であっても、です。
大将らしく、われわれと最後まで一緒に行動してください、という意味なのですが、この大将というのは、派閥の会長のことですね。
みなさんがお分かりの通りですが、ぼくはこう思いました・・・『これは国民の感覚とはズレているだろうなぁ。総理であったり自由民主党幹事長であったりすれば、大将という言葉も分からなくないけれど、派閥という私的な集まりの長を、国民が選んだ国会議員が大将と呼ぶ、ちょっと変な感じを主権者は受けるのではないかな』
そもそも派閥のトップを「会長」と呼ぶのも、国民の健全な感覚からすると、変でしょう。
▼当時のぼくは、共同通信の記者を辞してほぼ3年、シンクタンクの三菱総合研究所(三菱総研)の研究員です。
そこから、初めての独立系シンクタンクとして独立総合研究所(独研)を創建するのは、1年半後です。
国会議員になるとは、もちろん夢にも思っていない、正確に申すと当時も「選挙に出ませんか」という誘いがありましたが、断り続けていた頃です。
政治記者を10年務めましたから、多くの自由民主党の国会議員が、国民が思っているよりずっと、派閥への帰属意識が強いことは、職務として良く知っていました。
しかし「大将」という言葉を、テレビカメラが数多く撮っていると分かっている場で連発する、それもふだん温和な常識人として知られる政治家が言う、あ~、このズレが、深い部分の政治家と国民のズレなんだよと、あらためて思ったのです。
▼そのときの光景を、なぜ今朝、疲れた頭に思い浮かべたのか。
昨夜の交渉は、日米中の関係をめぐる交渉であり、まさしく国事です。派閥レベルの話ではありません。
しかし、ゆうべのように地位が高い政治家たちと協議、交渉し提案するとき、ぼくの務めとして、派閥の動きを含む党内政局を背景として良く考えながら、話します。
そうでないと、ただの評論のような提案になってしまいます。
自由民主党の内部にいる議員のひとりとして、主権者・国民の尊い負託を背負って、交渉し提案するのですから実際に事態を動かすものでなければなりません。
そのためには、政局の話などまったく出なくても、背景として知り尽くしたうえで話します。内閣総理大臣や自由民主党の首脳陣クラスであれば、何も仰らなくても、党内政局に必ず、内心で目配りなさっているからです。
▼万やむを得ず、思いがけず議員となったぼくは、民間の時代と同じ考えを貫いて、完全無派閥でいます。
しかし、自分がそうだからいいという訳にはいきません。
代表を務める、護る会(日本の尊厳と国益を護る会)も、既成派閥とはまったく違う新しい議員集団ですが、党内の全派閥から、自由意志で議員が72人も集まっておられるのです。
無派閥のかたがたを別にすると、多くの護る会メンバーは、派閥の一員と護る会メンバーをいわば兼ねているわけです。
その議員集団の代表なのですから、国民と議員のズレを、力を尽くしてじりじりと小さくしてゆくのも、不肖ながらぼくのささやかな務めのひとつだと考えています。
▼このブログには、思いがけないことを理由に掲げて、いわれなき激烈な非難がやって来ます。
おひとり、おふたりではありませぬ。少なくないのです。
いちばん理不尽なのは、誰か他人の発言、言動について、それをすべてぼくの責任として全人格も否定する勢いで一方的に非難されることです。
ぼくは青山繁晴です。
他の人物の発言、言動をすべて差配できるなど、あり得るはずもありません。そうしたことを望むことも考えることもありません。それを望んだり、考えたりしていれば、むしろ最悪最低でしょう。
他の人と議論したり、交渉したりはいつもしています。
冒頭に記した電話交渉も、たとえば、そうですね。
しかし、その他の人の発言、言動については、どうぞ、そのご当人に仰っていただけませんか。
このブログに自由にコメントをお寄せになっているのと同じく、その方に仰る手段はあります。
あと半年で、すなわち1期のみで、ほんらいの望み通りに議員を辞めれば、こうしたことからもかなり自由になります。その場合は、このブログのコメント欄は間違いなく閉鎖したでしょう。
いまは議員の義務として、この疲弊した朝にも、みなさんからのコメントをきちんと読んでいます。前述した、いわれなき非難であっても、です。