評価 ★★★☆☆
※映画の核心に触れていますので、これから鑑賞する方は読まないで下さい。
少年が生まれかわりなのか否かは映画の見方次第でどちらにも解釈できます。私は、以下のように生まれかわりじゃない方の説をとりました。
ジョギングをしていた男がトンネルに入り突然倒れると、子供が生まれるシーンに変わる。トンネルは胎内を暗示し、観客を生まれかわりを信じるようにミスリードしていきます。
10年後、ニコール・キッドマンは亡き夫を今も愛しています。2人の秘密を偶然手にした少年は夫の生まれかわりになりすまします。
少年にとって、高級マンションに住む彼女は深窓の佳人ならぬ高層の佳人みたいなもの。彼女を本気で好きになってしまった少年は異常な行動に出てしまったのです。しかし、年齢差を乗り越えて彼女の愛を獲得するためには彼にとっては合理的な行動だったのかもしれません。
少年に亡き夫を投影してしまい本気で愛してしまうキッドマンが哀しい。しかし、亡き夫は彼女を裏切っていたのは残酷でした。
少年が写真用の笑顔を浮かべて卒業写真を撮影する場面、これと再婚相手との結婚式での写真撮影をだぶらせた構成は、嘘の笑顔→偽りの愛という意味を感じました。そしてラスト、どんより曇った海辺を歩いていくキッドマンと再婚相手の姿が行く末を暗示しているようでした。結局、全て愛は一方の思い込みであるということなんでしょうか。見終わって索漠とした気持ちになってしまいました。
初めて検索して このブログを知りました。
感想を読ませて頂きました。
なるほど。一方の思い込み!!
的を得ているかもしれません。
私は「生まれ変わり」のままで いてほしかったな~とキッドマンがあまりにも美しかったから(笑)
TBさせていただきます。宜しくお願い致します。
TBとコメントありがとうございます!
記憶の棘みたいに、見た後いろいろ考えさせられる映画は好きです。
オペラ座のキッドマンは本当にきれいでしたね。
私もTBさせていただきました。
今後ともよろしくお願いします。