国際交流のススメ

舞台芸術・海外公演に関する情報をニューヨークから発信します。

箕面市特命大使制度第1号“シニア演劇大使”って

2010年05月05日 | 海外公演
 


先日、大阪府・箕面市のシニア劇団「すずしろ」のNY公演について書きましたが、
4月25日に同市内のメイプルホールにて壮行公演を実施したそうなのですが、その公演後になんと!
箕面市特命大使制度の第1号として同市の倉田市長から
「箕面シニア演劇大使」なる称号が授与されたそうなんです!!




上写真左は任命証とでも呼ぶのでしょうか?
ご丁寧に日本語バージョン以外に英語バージョンも授与されています。
さらに、写真右は市が用意した“箕面シニア演劇大使”の名刺です。
これまた日英両バージョンあります。
表を日本語、裏を英語で良いのじゃないか・・・という突っ込みもなんのその!!

いやいや、そもそも「箕面市特命大使制度」ってなんやねん?
と思い検索してみると、“部長ブログ@箕面市役所”なるブログにたどり着きました。
このブログ、箕面市の各部局の部長たちが市民への情報サービスとして行っているものなんですね。
劇団「すずしろ」の“シニア演劇大使”については、
同市の生涯学習部長併人権文化部長の浅井さんという方が書いておられます。
へー。なるほどねー。様々な市民サービスもあるものです。

って、いやいや、特命大使制度ね。
どうやら、箕面市のイメージアップや発展に寄与してもらうために、
同市でさまざまな分野で活動する個人または団体に“箕面市特命大使”なる称号を授与し、
さらに活動を発展させて箕面市を盛り上げていただこう!という制度のようです。

そして、今回“箕面シニア演劇大使”となった劇団「すずしろ」のメンバーたちは
この証書を額に入れてロビーに飾り、NYで出会う様々な人たちに名刺を配り
自身らの活動だけでなく、箕面市の懐の深さもアピールすることになる訳ですね。
うーん、いいですね!
楽しそうですね!

下写真は公演後に行われた授与式の様子。




ちなみに写真に写っている“みかん”のようなキャラクターは、実は“みかん”ではなく、
箕面の特産品“箕面柚子”のキャラクターです。
さすが!ゆるいっすね。

さらにキャラクターの名前が素晴らしいです。
“滝の道ゆずる”君だそうです!!
ゆるキャラで苗字と名前を持つキャラっていましたっけ?
うーん、オリジナルですね!


          

                       滝の道ゆずる





大阪のシニア劇団のNY公演って(1)

2010年05月04日 | 海外公演



世間ではあまり知られていませんが、日本は世界有数の劇団大国なんです。
こんなに多数の劇団が存在し、それぞれに活動を展開している国はそうないんじゃないかしら?
ある意味演劇大国とも言えます。
質の点では様々意見もあるでしょうが、量という意味では間違いなく大国です。
でまあ、当然の帰結と言えるのですが、現在、シニアによる劇団が急増中なのです。
最も有名なのは、彩の国さいたま芸術劇場芸術監督・蜷川幸雄が主催するさいたまゴールド・シアターですが
文学座がプラチナクラスとの呼称で、明治座が明治座アカデミーでシニア向けクラスを運営。
さらに、シニア演劇Webなるシニア演劇に関するウェブまで登場。
一説によると全国のシニア劇団は100以上あると言われています。 
まさにシニア演劇は活況の中にあります。

そんな中、とうとうNY・ブロードウェー公演まで達成してしまおうという劇団が登場しました!!
大阪府箕面市に本拠地を置く劇団「すずしろ」です。
彼らは上述したような大きな組織の後ろ盾がある訳ではなく、
シニア世代の方たちが自主的に集まって始まったアマチュアの劇団です。
構成メンバーは現在22名で最年少は60歳、最年長はなんと84歳なんだそうです。
うーん、すごいパワー!
しかも英語(一部日本語)での上演を目指しているそうです。

   劇団「すずしろ」
       “Smoke Gets In Your Eyes - 煙が目にしみる –”
        2010年6月12日(土) 午後7時 開演
              6月13日(日) 午後2時 開演

       The Abingdon Theatre Arts Complex
       312 West 36 Street, 1st Floor, off 8th Avenue
       (Subway: A, C, E, 1, 2, 3 to 34th Street-Penn Station)



私も公演のお手伝いをさせていただくことになっていますので、
また、随時報告したいと思います!!







大蔵流狂言・山本家の北米ツアーって(5:トロント)

2010年04月27日 | 海外公演
 


にゃーーーー!
なんと、1ヶ月ぶりのブログ更新となってしまいました・・・。
駄目ですにゃ。こんなことでは・・・。
しかし、間隔が空くほどに億劫になるものなんですね。
反省です。

さて、久々ブログは・・・大蔵流狂言・山本家の北米ツアー第5弾です。
山本狂言ツアーはNYのストーニーブルック、フィラデルフィア、ニューヨークとツアーした後、
カナダのトロントに行きました。
トロントでの受け入れ先は日系文化会館(Japanese Canadian Cultural Center)でした。
NYのジャパン・ソサエティなどと同様に、日系文化会館でも日本文化の紹介、
日本とカナダの交流と相互理解の促進のためのプログラムも開催していますが、
ここの大きな特徴は日系カナダ人のコミュニティサービスとその歴史の保存と紹介にあります。





太平洋戦争の頃には、カナダでも日系カナダ人に対する強制収容が行われました。
開戦後すぐに日系カナダ人と在加日本人の財産は没収され、
ブリティッシュコロンビア州の内陸部にあるタシュミ強制収容所に移された後、
ベイ・ファームスとレモン・クリークにある強制収容所への移動を余儀なくされたそうです。

戦後、日系カナダ人の財産、不動産は没収され、
連邦政府はロッキー山脈以東の地域への移住、又は日本帰国を命じました。
その後1970年代後半から1980年代、日系カナダ人抑留に関する記録が公開され、
損害賠償が請求され、1986年、日系カナダ人は抑留時に4億4,300万ドルの損失があったことが訴えられました。
(上記ウィキペディアからの参照)

当時の移民政策は当然ながら国策であったにも関わらず、
戦時中だけでなく、その移民政策の当初から大変な苦労があったようです。
南米などでは、開墾不可能な土地に強制的に住まわされたりといったことがありながら
日本政府はなんら救済措置を取らなかったとの話もあります。
さらには、そういった歴史教育も日本国内でさえ不十分な状況にあります。


 


ということで、日系移民の方たちの証言や歴史を保存し、紹介していくことも
日系文化会館の重要な役割の1つとなっています。
そして、その上で日本文化の紹介や交流事業にも尽力しています。
写真左上は日本の小物などを扱うショップ、右上はマーシャル・アーツの道場で、
柔道や剣道などのクラスもあります。


 


そして日系文化会館の重要な施設が劇場(小林ホール)です。
北米で、いわゆる日米・日加会館と名乗る組織で劇場を持っているのは
ロサンジェルスのJACCCとNYのジャパン・ソサエティだけだと思っていたので
劇場があると聞いたときは驚きました。
そして、実際に訪ねてみて再度、驚きました。
いや、その立派さに・・・。キャパが400席もあるんです。
多目的ホールですから、劇場のような昇降バトンなどはありませんが、
代わりに能舞台を持っています!!
いや、本当に驚きですが、能舞台を自前で持ってるんです。


 


いや、まあ、それがもう立派で。
サイズ的にも丁度良い大きさなんですね。
映画上映も行われているそうですが、ダンスや音楽の公演にも向いているなと感じました。


  


ここでちょっとした事件、というか、まあ個人的な事件なんですが、ありまして、
なんと、カナダのTV局にインタビューされました!
あのねえ・・・私、こういうの苦手なんですね。
しかし、逃げることができず、前夜から原稿を作って必死に覚えました。
結果は・・・・惨敗・・・・
まあ、でもね、僕に頼む側が悪いんだーということでー・・・。
下写真はロビーに展示されている過去の公演のポスターと
同じくTV局のインタビューを受ける館長のジェームズさん。
ああ、あのぐらい上手くインタビューをこなせていれば・・・。

 


そして公演は満員御礼の大盛況でした。
右からとっても左からとっても満席ですね。

  


会館の皆さんの受け入れ体制もばっちりで、非常にやりやすかったです。
トロントが山本狂言ツアーの最終地だったのですが、ここが最後で良かったなと思いました。
また、別演目でも帰って来たいと思えるべニューでした。
最後に日系文化会館スタッフの皆さんと記念撮影でパチリ!!








 

大蔵流狂言・山本家の北米ツアーって(4:ピッツバーグ)

2010年03月22日 | 海外公演
 


昨日は大蔵流狂言・山本家のピッツバーグ公演でした!
写真左は客席後方から舞台を撮ったもの。
舞台の左右にあるのが字幕です。
今回のツアーはボストンーピッツバーグーロングアイランドーフィラデルフィアーNYC-トロントの順ですが
字幕映写用のプラズマを含むセットはNYCで準備し、まずはボストンに送りました。
ただ、ピッツバーグが地理的に遠かったことと、現地に柱などのセットがあったことから、
NYCからのセットはボストン後、ロングアイランドに送ることとし、
ここピッツバーグでは現地でプロジェクターを準備してもらって字幕を映写することにしました。
そうすることで輸送費の軽減を図りました。
ということで、舞台の左右に出ているのが字幕です。
右の写真は、字幕の操作位置である、バルコニー席上手端から舞台を取ったものです。
つまり字幕をオペレートする私の視線で撮ったもの。
もっと、言えば字幕操作の合間に撮った写真です。


 


写真左上は舞台奥から客席と撮ったもの。
右はバルコニー席最上部から舞台を撮ったものです。
右側バルコニー席で光っているのが字幕オペ用のラップトップです。
キャパはバルコニー入れて、ざっと500席。7割から8割の入りでした。


 


写真左上は橋掛かりから舞台を撮ったもの。
右は劇場スタッフ。真ん中がテクニカルディレクターのクリス・ハワード。
ピッツバーグ在住のクリスは奥さんが日本人で日本語がペラペラです。
その上、ピッツバーグの様々な劇場でTDを勤め、数年前から芸術専門公立高校で舞台を教えています。
付き合いは古く、クナウカ、燐光群、青年団の公演でもお世話になりました。
手前のセクシー系は照明のミランダ(だったかな・・・ごめん)です。
いつもセクシータンクトップで作業しています。


 


ということで・・・ピッツバーグ公演も無事終了。
写真左上はロビーと公演告知のチラシ。
右は公演後のレセプションでの記念撮影。
明日はNY州ロングアイランドのあるNY州立大学・ストーブルック校にて公演ですー
最後におまけでピッツバーグの街の写真です。







大蔵流狂言・山本家の北米ツアーって(3:ピッツバーグ編)

2010年03月20日 | 海外公演
 


今日はピッツバーグの劇場でワークショップです。
ピッツバーグが一番日程にゆとりがあって、1日目は移動と下見、2日目がワークショップ、
そして明日3日目が公演という予定です。

ピッツバーグでの主催は名門ピッツバーグ大学のアジア研究センター。
日本文化の紹介にも熱心で、過去には燐光群が「屋根裏」を、青年団が「東京ノート」を
そしてク・ナウカが「天守物語」を同センターの招聘で公演しています。
今回のワークショップはピッツバーグ市内にある芸術専門の公立高校の学生たちです。
アメリカには公立高校で芸術専門の学校というのがあります。
立派な劇場も持っていて、燐光群はそこで公演しました。

上写真は山本則俊さんと通訳の江口さん。
まずは狂言のデモンストレーションを見てもらうための解説中です。
右写真は学生たちですが、120名ほどが参加し、非常に熱心に聴いてくれました。





恒例の正座と挨拶のあと、早速摺り足の練習。
これがね、上手くできる子もいるのですが、できない子は面白いほど上手くできないのです。
摺り足しただけで転んだりしますか?正座しようとしてひっくりかえったりしますか?
でもね、床に座りなれていないアメリカの子供たちはそういうことでひっくり返ったするんです。
面白いですよねー。

今回のワークショップのフォーマットは以下の通りです。

1、演者紹介 2分
2、デモンストレーション演目の解説 5分
3、デモ演目“柿山伏”抜粋上演 8分
4、狂言解説 5分
5、体験ワークショップ 1 基本姿勢や摺り足 10分
6、体験ワークショップ 2 独特な表現(笑い、泣き、動物) 10分
7、体験ワークショップ 3 謡いの練習 10分
8、装束の紹介と実際の着付け体験 10分
9、質疑応答 10分


 


上写真は泣きの練習ですね。
舞台上の子供たちだけでなく、客席の生徒たちも参加。
こういうところ、日本の高校生なんかよりも乗りが良いというか、素直ですよね。
結構、まじめに楽しんでいます。
あの狂言の高笑いが、かなり高校生たちに受けていました。
デモの“柿山伏”でも主人が高笑いする場面があるのですが、そのたびに場内は大爆笑となりました。
ワークショップでも、大きな声で参加してくれました。


 


狂言の面白い特徴のひとつに動物が登場するところがあります。
劇中では当然、狂言師たちが動物に扮装したり、“柿山伏”の中の山伏のように形態模写も出てきます。
ワークショップでは生徒たちに、狂言師たちが演じる動物の鳴き声を当てさせたり
また鶏のような動きの面白いものでは、一緒に演じてみたり。
上左写真は鶏を演じる生徒たち。客席の生徒たちも舞や模写にどんどん参加してきます。


 


そして最後はこれまた大好評の装束の着付けと解説です。
生徒の中から代表者1名に上がってもらって装束を着けながら解説していきます。
こういう機会は当然ながらめったにありませんからね。
なかなか一人を選ぶのも大変です。
選ばれたのは、なかなか可愛らしい顔の男の子・・・と思いきや女の子でした。
よく見れば、鶏の模写で飛び跳ねていた子でした。


 


うーん、なかなか決まってますね。