アッ!こんな所に豪傑がお祀りされていたとは、、、
大坂・四天王寺西門から谷町筋を北に800メートル程い歩くと生玉寺町に至る。大きな通りを少し西に入ると、
周囲は町名の通り寺町である。此処に「増福寺」があり、このお寺にも大坂夏の陣で活躍した「薄田隼人」
(すすきだはやと)」がこの地で亡くなり、その墓が建立されていた。
薄田隼人は「岩見重太郎(いわみじゅうたろう)」の別名で知られている。伝説的な剣豪豪傑で、筑前小早川家
の臣で諸国を周遊して勇名を挙げ、天橋立で父の仇広瀬軍蔵らを討ち、豊臣秀吉に仕えて薄田隼人となったと伝
えられる。今も京都府宮津市文殊天橋立公園内に「仇討の場」として石碑や観光協会の案内板等が残っている。
生玉寺町から谷町九丁目交差点手前西側に生国魂神社(いくくにたまじんじゃ)がある。大阪では「いくたま
さん」と親しみを込めて呼ばれている。
神武天皇が生島神、足島神を現在の大阪城付近に祀ったのが起源とされています。1583年に豊臣秀吉が大阪城
築城のため、社領を寄進し社殿を造営し、1585年に現在の地に還った伝えられている。上方落語の祖・米沢彦八、
近松門左衛門(浄瑠璃「曽根崎心中」などが有名作品)、浮世草子の創始者・俳諧師として知られる井原西鶴の
石像・顕彰碑が祀られ建立されている。
こんもりとした境内の樹々の騒めきに包まれて、天才たちが言の葉をおもいながら、、、、歩いて、歩いてる、、、。
大坂・四天王寺西門から谷町筋を北に800メートル程い歩くと生玉寺町に至る。大きな通りを少し西に入ると、
周囲は町名の通り寺町である。此処に「増福寺」があり、このお寺にも大坂夏の陣で活躍した「薄田隼人」
(すすきだはやと)」がこの地で亡くなり、その墓が建立されていた。
薄田隼人は「岩見重太郎(いわみじゅうたろう)」の別名で知られている。伝説的な剣豪豪傑で、筑前小早川家
の臣で諸国を周遊して勇名を挙げ、天橋立で父の仇広瀬軍蔵らを討ち、豊臣秀吉に仕えて薄田隼人となったと伝
えられる。今も京都府宮津市文殊天橋立公園内に「仇討の場」として石碑や観光協会の案内板等が残っている。
生玉寺町から谷町九丁目交差点手前西側に生国魂神社(いくくにたまじんじゃ)がある。大阪では「いくたま
さん」と親しみを込めて呼ばれている。
神武天皇が生島神、足島神を現在の大阪城付近に祀ったのが起源とされています。1583年に豊臣秀吉が大阪城
築城のため、社領を寄進し社殿を造営し、1585年に現在の地に還った伝えられている。上方落語の祖・米沢彦八、
近松門左衛門(浄瑠璃「曽根崎心中」などが有名作品)、浮世草子の創始者・俳諧師として知られる井原西鶴の
石像・顕彰碑が祀られ建立されている。
こんもりとした境内の樹々の騒めきに包まれて、天才たちが言の葉をおもいながら、、、、歩いて、歩いてる、、、。