歩いて、歩いている

新発見!この道はいつかきた道?

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モジャモジャ?

2015-11-24 21:47:53 | 日記
 大阪市内に古くからある緑化建築物(実験集合住宅)である。時は経っていると思うが今も緑豊かな景観を残している。隣接するマンション

(集合住宅棟)群もそれに倣うように落ち着いた街並みに寄与している。


某TV局の「雲じい」ではないが、ほれぼれするモジャモジャの外観である。住み心地のほどは不明だがあのテラスからCoffeeを誘っているような、先人の

こころ優しい豊かな想像力に今日もまた、おいしいひと時をいただいた。感謝!

 微笑み合えば 極楽 ・・・・ 。歩いて、歩いている、、、、。 
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豊臣秀頼公とガラシャ(細川忠興夫人)にお会いした!!

2015-11-18 17:01:34 | 日記


JR玉造駅とJR森ノ宮駅の中ほどから上町台への坂道を西に上がると間もなく、北側に旧な石段のうえに「玉造稲荷神社」がある。

祭神は「稲倉魂命(うかのみたまのみこと)」ほかを祭っている。古い歴史を持つが度々の兵火で記録が少ない。慶長8年(1603年)「豊臣秀頼」に

より社殿が再建されたが、豊臣家最後の決戦大坂の陣で焼失、しかし現在残る石鳥居は当時のものといわれる。境内には意外なほどにぽっちゃりした

ゆるキャラタイプの「豊臣秀頼公」の銅像が建立されている。



玉造神社の前をさらに西に上っていくと、白く大きな建物が「聖マリア大聖堂」がある。青い秋空に映える白亜の大聖堂の正面中央にマリア像が、その

左側に高山右近(キリシタン大名として有名)、右側に細川ガラシャ像がやはり白く輝いている。細川ガラシャ(玉子)は、明智光秀の三女として生れ

天正6年(1578年)織田信長の薦めで同じ16歳だった細川忠興と結婚。玉子は美女で和歌などをよくした才媛であったといわれている。二人の運命が

変わるのは天正10年、玉子の父・明智光秀が織田信長を襲った本能寺の変と、その後山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れてから。

実父の謀反のとばっちりで、玉子は丹後へ幽閉される。この時の夫の仕置に不信感や、精神的苦痛から徐々にキリスト教にのめりこんでいった。天正

15年に正式に洗礼を受け「ガラシャ」と称するようになった。やがて、亡き豊臣秀吉に取って代わろうととする徳川家康に不満を抱いた豊臣秀吉の

家臣・石田三成が豊臣家恩顧の大名らを集結して蜂起した。いわゆる天下分け目の戦である。家康に同行している忠興の妻であるガラシャは三成に人

質として大阪城に入城の命令が下されたが、夫の負担にならないよう死を選んだガラシャは娘二人をオルガンチノ神父に預け、息子の嫁は宇喜多家へ

預けて難を逃れ、自身はキリスト教信者である為に自死できず、留守居の家臣の手によってその生涯を閉じた(37歳)。彼女の白い立像に手を合わせ、

大聖堂の北側の「越中井」へ。この辺りは細川忠興の邸跡で越中井はその邸内にあった井戸で、慶長5年(1600年)ガラシャは、ここで最期を迎えた。

今日は少し辛く悲しい気分になった。秀頼も、ガラシャも時代に翻弄されながら生き、歴史に名を遺したが、、、、、考えさせられる、、。



 『ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 』(細川ガラシャ 辞世の句)
 う~む、洒々とは往かぬか、、、。

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歩道に素敵な落書きが、、、?!

2015-11-03 18:45:08 | 日記

 



 落書きではりません!!大阪市の消火栓/manhole.でした。小学生や幼稚園児にも人気があります。

 出来ればピンバッチにしたいぐらいに可愛いデザインです。消防車もちゃんと収まっており、いうことなしです。

 なんか今日は得した気分で今話題の、真田山まで歩いてみました。

 
 上町台から真田山公園に向かう緩やかな石畳の坂道をくだる。街路樹、公園、学校などの落ち着いた景観が気持ちいい。真田山公園は、

 昭和14年(1939年)に開設された公園で、天王寺スポーツセンター、真田山プール、野球場、テニスコートが整備されている市内有数の

 スポーツ公園として親しまれています。この公園から北へほんの数分のところに「宰相山公園」があり三光神社が鎮座していますが、この

 場所こそが慶長19年(1614年9の大坂冬の陣の際に、大阪城の出城として塁を築いた場所と言われています。その塁の上に祀られている

 のが三光神社であり大坂の陣で有名な「真田丸」なのです。

 境内には、家中を北真田幸村立像があり多くの人が訪れています。その中でも「真田の抜け穴跡」は、幸村が大坂の陣の際に大阪城まで掘

 らせたと言われており、年に一度の一般開放には歴史フアンをはじめ多くの人でにぎあう。もちろんただの野次馬も、、、、。

 「抜け穴跡」の入り口(出口)?が境内にあるが、何度もその真実を確かめるために実際に潜り込んだり、様々な検証をしたがいまだ、真
 

 相は明らかならずというところらしい。

 いずれ本当のことは明らかになるのだろうが、不明のままでも良いのではないかな?何でもわかってしまうと面白くない事もある、、、、。

 東の方でにぎやかな音がする、何が有るのかな、、、。歩いて、あるいて、、、、。

 



 
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歩いて、歩いている

2015-11-02 18:33:34 | 日記
      オッと!これはまた凄ましい!!


      空堀商店街の東、谷町通りをさらに東に坂道を玉造に向けて下る途中に「円珠庵(鎌八幡)」がある。

      この円珠庵はやはり、真田幸村とかかわりがある。大坂冬の陣の際、真田幸村が戦勝を祈願して神木に鎌を

      打ち込んだところ、真田丸で大勝利をおさめることができ、必勝祈願の神木として評判になったと言われている。

      境内全域撮影禁止なので大量の鎌が神木に打ち込まれている様子をお見せできないのが残念。

      念ずれば通じるものなのだなぁ、、、、、、、。歩いて、歩いて、、、、。     
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