歩いて、歩いている

新発見!この道はいつかきた道?

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鶯の声が谷間に木霊している。

2016-06-29 16:23:54 | 日記
 
いま滋賀県近江八幡市安土町石寺の『繖山(きぬがささん)観音正寺』(西国三十三観音霊場三十二番札所)目指して登坂中。
 観音正寺は、標高433mの繖山山中に佇む、近江国随一の寺院で、1400年前に聖徳太子により開創され、寺伝には湖国らしい人魚にまつわる伝説が残っている。近江国を遍歴していた聖徳太子は琵琶湖のほとりで湖水から浮かび出てきた人魚に呼び止められ「私の前世は漁師で、殺生を生業としていた為にこの様な姿になりました。繖山にお寺を建て、どうか成仏させて下さい」と頼んだという。
 聖徳太子はこの願いを聞き入れみずから千手観音像を刻み、推古13年(605年)堂塔を建立、観音像を祀ったのが寺の創始とされている。
 
 観音正寺の本堂にお祀りしている千手観音像を想いながら参道を登坂している。
 参道とはいえ、現在では徒歩で参拝する人は極めて稀ということで完全に元の山道に返っている。一寸した登山の趣である。参道入り口には厳重な金網のフェンスが有り、施錠出来る附し戸が設けられていた。案内板には「イノシシ除け」のフェンスで有るから必ず施錠の事と書かれていた。
 初めての山道案内板には「観音正寺まで徒歩50分と書かれていた。さも有りなん、自然石や丸太を敷いた細い道に下草が覆いかぶさり時として道が塞がれている。道の周囲の樹木は伐採されており、一応整備(猪避けも)は行われている様だが、、、。参道は途中、かなりの勾配の大きい場所もあり、西国三十三ケ所中最難所の一つとして有名な寺だけに途中誰にも会う事はなかった。
 今日は天候に恵まれたので暑くてひどい汗を掻いているが、この山道で雨では散々であったろうと観音様に感謝しつつ上り続け、道半ばで漸く視界の開けた一廓があり休憩場所になっていた。視線の先に近江商人発祥の地の五箇所の家並が展望できた。

 小憩後、再び険しい参道を登る。ひたすら上る。
 木々に覆われた山道には、高く澄み切った鶯の鳴き声が私を励ますかのように声を張り上げている。口笛で答えてやると、さらに声を張り上げて鳴く、まるで鶯合わせ。鶯の声に背を押されて登坂する。途中、一本の山百合を見つけて。
 漸く七合目で寺域に届いた。山道を登り、本来の参道らしい見通しの良い場所に来た。目の前に赤い前え掛けしたお地蔵様が微笑んでいる。その後ろに標語看板があり、
 「行き詰まりは環境のせいではない 自分の心の行き詰まりである」、、、、、、?!。
 暑いなか、険しい山道を登って漸く目の前が開けた道なのに、、、、。行き詰ってもいないし、よく開けているんだけど、、、、。言葉は深い、よく思考せよ、、、、云々。
 
 『繖山観音正寺』到着。やはり参道入り口から45分掛かった。このお寺は山門を持たないので、仁王像が門固めをしている。いよいよ本堂の千手観音像にお参りする。本堂は素晴らしく綺麗だった(平成5年に焼失した本堂は平成16(1993)年に落慶した)。境内には参拝者もなく閑散としていたので、執事に本堂陣内観音様の前まで上げていただき念願の観音像にお参りできた。新たなご本尊は仏教発祥の地インドより特別に輸入した白檀で刻まれた千手洗眼観音菩薩坐像(像高6.3m)をお祀りしていた。充分にお話を伺ってから暇するころ、慶大が俄かに賑やかになってきた。執事曰く、団体さんの第一弾とのこと「JR能登川駅からタクシー利用で新しい参拝道路を経由して参拝するのだそうだ。最近は歩いて参拝は珍しいよ、、、その分、ご利益も、、、云々」
 ま、いろんな道があるのだから、今日は云々の多い日だったが、一日に感謝しながら下山した。
 歩いて、歩いていれば、、、、。
 
 
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