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鹿児島神社(鹿児島県鹿児島市)を掲載しました。
鹿児島神社(かごしまじんじゃ)
【鎮座地】〒890-0014 鹿児島県鹿児島市草牟田2丁目58-3 旧薩摩国 鹿児島郡
【御祭神】天津日高彦火火出見命 豐玉彦命 豐玉姫命 (合祀)豐受大神
【例祭】
【旧社格等】県社
【御由緒】
由緒
鹿児島神社は、鹿児島一円の地主神と伝え、広くまた海の神様であると言われております。
遠く神代より、鹿児島と言うこの地の言霊とともに今に来たりました、歴史のお社です。
国史、『日本三代実録』は、清和夫皇の貞観二年三月(平安時代)、朝廷が当社の神位を上げられたことを記しています。
御祭神は彦火火出見命、豊玉姓命、そして豊玉彦命。また、かつての当社の神田より今は豊受大神を合祀しております。
当社の別名を宇治瀬神社と申し上げ、土地では『宇治瀬様』を薩摩弁で『ウッテサァ』と呼んで親しまれて参りました。宇治瀬とは、当社鎮座の故地、錦江湾の神瀬の小島にかかる瀬のいと早く渦巻く様とも、また、以前は当社下を流れていたという甲突川のその早瀬の逆巻く様とも言われております。
古来里ではこの『宇治瀬』を、当社の春祭の二月十八日より、秋祭(ホゼ祭)の十月十八日までの期間は『うじせ』と、それ以降の半年を『うずさ』と言い分けて呼び慣わし、またその二月と十月の祭礼月を俗に『神月』、殊に十八日のお祭りを迎えるまでを『紫内』と呼んで、ことごとく忌み慎みました。この『神月』が、甲突川の名の起こりだそうです。
けだし、当社の祭礼とともに、あまねくこの里人の暮らしがありました。古習まことに床しく思われます。
鹿児島神社
(境内由緒掲示板より)
鹿児島市草牟田にあります。JR鹿児島中央駅から北に3km、甲突川に沿って走る国道3号線護国神社交差点の東数百mに鎮座。
参道
鳥居をくぐると一対の石灯篭、境内は一段高く階段を上ります。
門守社
階段の両側に同じ造りの門守社です。
拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/55/cdf5e594b36983c153d69ea75fd79656.jpg)
階段を上ると右に手水舎、左は社務所、正面に朱の丸い柱と白壁の社殿です。扁額には「宇治瀬大明神」とあります。
現在の社殿は藩主島津斉興の造営で、安政5年(1858)竣工しました。
旧扁額?![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/99/313eee597138862c42a8e5d1071b6943.jpg)
一部欠けた年代を感じされる扁額が拝殿前の台の上に置いてあります。「宇治瀬大明神」とあります。
本殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/d2/9b88a068a075931834497dffdf496b3b.jpg)
往古は錦江湾に浮かぶ「神瀬の小島」に鹿児島一円の氏神、又海の神として奉斎されていましたが、後に原良村に遷座、さらに現在地に遷座されています。
島津氏の氏祖・島津忠久が正月の三社詣りをされた、一之宮神社、川上天満宮 とともに鹿児島三社の一つです。
社殿全景![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/6a/e75efd6b89ecd9f3426df33a46002d0c.jpg)
御祭神は彦火火出見尊(山幸彦)、豊玉姫命、豊玉彦命(豊玉姫命の父君)、豊受大神の四柱、鵜草葺不合命が父君彦火火出見尊(山幸彦)がお妃豊玉姫命父君豊玉彦命のご恩に感謝して、創祀されたとも伝えられています。
拝殿から境内![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/19/23c6df8730d55a447d8916d3475e8807.jpg)
境内から参道![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d3/c01f8649d67c7c5843a0c614506b92a5.jpg)
社叢全景
鹿児島神社(かごしまじんじゃ)
【鎮座地】〒890-0014 鹿児島県鹿児島市草牟田2丁目58-3 旧薩摩国 鹿児島郡
【御祭神】天津日高彦火火出見命 豐玉彦命 豐玉姫命 (合祀)豐受大神
【例祭】
【旧社格等】県社
【御由緒】
由緒
鹿児島神社は、鹿児島一円の地主神と伝え、広くまた海の神様であると言われております。
遠く神代より、鹿児島と言うこの地の言霊とともに今に来たりました、歴史のお社です。
国史、『日本三代実録』は、清和夫皇の貞観二年三月(平安時代)、朝廷が当社の神位を上げられたことを記しています。
御祭神は彦火火出見命、豊玉姓命、そして豊玉彦命。また、かつての当社の神田より今は豊受大神を合祀しております。
当社の別名を宇治瀬神社と申し上げ、土地では『宇治瀬様』を薩摩弁で『ウッテサァ』と呼んで親しまれて参りました。宇治瀬とは、当社鎮座の故地、錦江湾の神瀬の小島にかかる瀬のいと早く渦巻く様とも、また、以前は当社下を流れていたという甲突川のその早瀬の逆巻く様とも言われております。
古来里ではこの『宇治瀬』を、当社の春祭の二月十八日より、秋祭(ホゼ祭)の十月十八日までの期間は『うじせ』と、それ以降の半年を『うずさ』と言い分けて呼び慣わし、またその二月と十月の祭礼月を俗に『神月』、殊に十八日のお祭りを迎えるまでを『紫内』と呼んで、ことごとく忌み慎みました。この『神月』が、甲突川の名の起こりだそうです。
けだし、当社の祭礼とともに、あまねくこの里人の暮らしがありました。古習まことに床しく思われます。
鹿児島神社
(境内由緒掲示板より)
鹿児島市草牟田にあります。JR鹿児島中央駅から北に3km、甲突川に沿って走る国道3号線護国神社交差点の東数百mに鎮座。
参道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/aa/c81bf6c569e2b0bb5107952cb87916d9.jpg)
門守社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/b1/79fcdb8b179d81052a4db3fb63be4804.jpg)
拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/f0/bc704e3452ee01997f3c01867f009538.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/55/cdf5e594b36983c153d69ea75fd79656.jpg)
階段を上ると右に手水舎、左は社務所、正面に朱の丸い柱と白壁の社殿です。扁額には「宇治瀬大明神」とあります。
現在の社殿は藩主島津斉興の造営で、安政5年(1858)竣工しました。
旧扁額?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/99/313eee597138862c42a8e5d1071b6943.jpg)
一部欠けた年代を感じされる扁額が拝殿前の台の上に置いてあります。「宇治瀬大明神」とあります。
本殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/a1/c95be3d79848aa43038a2725d55c4131.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/d2/9b88a068a075931834497dffdf496b3b.jpg)
往古は錦江湾に浮かぶ「神瀬の小島」に鹿児島一円の氏神、又海の神として奉斎されていましたが、後に原良村に遷座、さらに現在地に遷座されています。
島津氏の氏祖・島津忠久が正月の三社詣りをされた、一之宮神社、川上天満宮 とともに鹿児島三社の一つです。
社殿全景
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/6a/e75efd6b89ecd9f3426df33a46002d0c.jpg)
御祭神は彦火火出見尊(山幸彦)、豊玉姫命、豊玉彦命(豊玉姫命の父君)、豊受大神の四柱、鵜草葺不合命が父君彦火火出見尊(山幸彦)がお妃豊玉姫命父君豊玉彦命のご恩に感謝して、創祀されたとも伝えられています。
拝殿から境内
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/19/23c6df8730d55a447d8916d3475e8807.jpg)
境内から参道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d3/c01f8649d67c7c5843a0c614506b92a5.jpg)
社叢全景
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/49/47ce62167be9b75b096d23e66180a26e.jpg)
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