九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

揖宿神社(鹿児島県指宿市)

2009-02-25 17:05:03 | 神社参拝ー九州
 揖宿神社(鹿児島県指宿市)を掲載しました。

 揖宿神社(いぶすきじんじゃ)
<通称>新宮さん・新宮どん(しんぐうさん・しんぐうどん)
【鎮座地】〒891-0304 鹿児島県指宿市東方宮733 旧薩摩国 揖宿郡
【御祭神】大日靈貴命
(配祀)天之忍穗耳命 天之穗日命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命
多紀理毘賣命 狹依日賣命 多岐津比賣命
(合祀)健御名方命
【例祭】 3月21日 例大祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
 揖宿神社案内
御鎮座地
 指宿市東方733番地
御祭神 
 神社由緒記に大日霊貴命(天照大御神)を正祀とし、他に皇祖神九柱及び境内末社に天智天皇他七柱の皇祖神を併せ祀るとある。
御沿革 
 当神社は慶雲三年丙午二月十日(西暦706年)人皇第三十九代天命開別命(天智天皇)を奉斎した葛城宮が創建されておりましたが、貞観十六年甲午七月(西暦874年)開聞岳噴火の際、今の開聞町十町に鎮座の枚聞神社(開聞九社大明神)の御神託によって此処に御避難遷宮され、『開聞新宮九社大明神』と称えて爾来壱千百余年指宿の総氏神「お神宮様」の称号でしたしまれ、地方開拓の祖神、交通航海安全の守護神として崇敬せられ、殊に代々島津藩主の尊崇厚く、沿革記によると社殿の改修等総て藩費を以って施工されたとあり、現社殿は弘化四年丁巳十二月十八日(西暦1847年)時の藩主斎興公の建造されたものであります。明治維新に際し揖宿神社と改称し郷社に列せられた古社である。
 (平成祭データ)

 薩摩半島の南端、鹿児島県指宿市にあります。指宿市役所から西に1Km、東方の樹齢1000年の大楠など鬱蒼とした社叢に鎮座しています。

  社号標と石灯篭
 社号標は裏に神宮大宮司 徳川宗敬書とあります。すぐ後ろの石灯篭は元禄8年(1695年)の奉納。鳥居は嘉永元年(1848年)建立です。

   随神門
 鳥居をくぐると朱の柱と白壁のコントラストが美しい随神門です。左は社務所です。

  随神門から勅使殿
 正面に鹿児島地方独特の建築様式で極彩色の勅使殿です。

 勅使殿 
 中央に勅使殿、拝殿・舞殿・幣殿・本殿が連結して一体となっています。右は手水舎、その奥に参集殿、左は宝物殿になっています。
 右手前の手水鉢は弘化4年(1847年)現社殿改築の際、薩摩藩家老の調所笑左衛門廣郷翁により寄進されたものです。
 参拝したのは9時過ぎ、朝日が差し込んで清々しい気分に浸れました。

 勅使殿の彫刻 

  本殿 
 現社殿は弘化4年(1847年)時の藩主斎興公により造営されました。本殿は板で覆われて保護されています。
 天智天皇御滞興の由緒の地として、慶雲3年(706年)に創建されました。交通航海安全、諸業繁栄の守護神として崇敬されています。
 御祭神は大日霎貴命(天照大御神の御別名)、境内摂社に日向にゆかりの彦火火出見命、豊玉姫命、玉依姫命などが祀られています。

 天智天皇及皇后御陵境内奥にあります。
 此所は天智天皇及皇后(大宮姫命)御陵(お墓)と伝えられる所で、社記に「開聞本社の右脇に石瑞籬の内に平石二あり、天智天皇及皇后の陵なりと言う。依って当神社も亦彼に擬して是を此所に設けたるものならんか、別に考拠を得ず」とあります。
 (案内板より)

 境内摂社本殿左(東側)にあります。
左から、東之宮ー彦火火出見命、二龍宮ー和田都美命、聖宮ー塩土翁命・懐殿宮ー昭美日月命です。

 庭園(石庭)本殿右にあります。
平成19年3月21日、寄進されたようです。
 奥に見える社は境内摂社、左から天井宮ー玉依姫宮・姉姫宮ー豊玉姫命、西之宮ー天命開別命(人王第38代天智天皇)、荒仁宮ー大己貴命です。

  境内摂社随神門右にあります。
 山之宮ー大山積命(当社社家であった賀茂懸主堀内氏、指宿氏の祖神)です。

  御神木の大楠
 境内周囲に樹齢約1000年と言われる大楠が数本ずつ群生しています。鹿児島県天然記念物に指定されています。

 随神門から鳥居
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
不勉強でした (下川幹男)
2010-02-04 12:05:29
小生、指宿開聞川尻の生まれですが、この神社を知りませんでした。枚聞神社との関連がもう一つわかりませんが、毎年、枚聞には詣でておりました。今年は、この神社にも詣でるつもりです。
有りがとうございました。
返信する
ご来訪ありがとうございます。 (noyama)
2010-02-05 06:50:26
下川幹男 様
 当社参拝時、カーナビのガイドが悪く若干苦労しました。

>枚聞神社との関連がもう一つわかりませんが、
 当社由緒に
 「---貞観16年甲午(西暦874年)7月、長主山(現在の開聞岳)の大噴火があり、開聞九杜大明神(現在の枚聞神社)の葛城宮にご避難されたいとのご神託により同年11月遷宮され、当杜を[開聞新宮九杜大明神]と称されーーー」

 とありますので、枚聞神社が一時的に避難され、その後当地の総氏神とされたようです。
御祭神も大日靈貴命以下、ほとんど同じです。
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