照國神社(鹿児島県鹿児島市)を掲載しました。
照國神社(てるくにじんじゃ)
【鎮座地】〒892-0841 鹿児島県鹿児島市照国町19-35 旧薩摩国 鹿児島郡
【御祭神】照國大明神
【例祭】 10月28日 例祭
【旧社格等】別格官幣社(現別表神社)
【御由緒】
照國神社の御由緒
御祭神 照國大明神(薩摩藩主島津家二十八代島津齊彬公)
御祭神は文化六年(一八〇九)薩摩藩主島津齊興公の御嫡男として江戸で御誕生になりました。幼少の頃曽祖父重豪公や母賢章院の薫陶を受けられ、学問を好まれ、広く世界に眼を向けた開明的な考え方と科学的な知識を身につけられました。公は嘉永四年(一八五一)四三歳で藩主に就任されるや、幕末の内外多事多難な状況に対応して国事に奔走、欧米諸国のアジア進出の情勢を踏まえて、日本を強く豊かな国にするため、積極的に西洋の科学技術の導入に努められました。さらに、その核となった日本初の西洋式工場群「集成館」を鹿児島に設置され、「富国強兵」「殖産興業」という理念のもとに近代日本の礎をお築きになったのです。
また、公の発案による日章旗(日の丸)の制定は、まさに日本が国際社会にその第一歩をしるした象徴であります。
公は安政五年(一八五八)五十歳で薨去されました。御治世僅か七年でありましたが、この間、明治維新に活躍した多くの人材を育成しておられます。文久三年(一八六三)には御生前の幾多の御事蹟を称えて、勅命により照國大明神の御神号が授けれました。そして、一社を南泉院の郭内に創建し、翌元始元年照國神社と称しました。
当社は明治六年県社、同十五年別格官幣社に列格せられ、今日鹿児島県の総守護神・氏神様として尊崇されております。
(社頭由緒掲示板より)
鹿児島市の中心街、天文館のすぐ南、城山の麓にあります。NHK大河ドラマで放映され、昨年ブームとなった天璋院篤姫の養父、島津家28代・島津斉彬を祭神とする社です。
斉鶴鳥居をくぐって一番最初に眼に入ります。
昭和37年氏子の方により奉納、島津斉彬公(1809~1858)時代に植栽された「イヌマキ」(樹齢約170年、幹周り1.82m、高さ3.0m)です。
「斉鶴」とは斉彬公の斉にあやかり、神域にふさわしい斉しく均衡のとれた鶴の形状を意味したものです。市民の公募により名付けられました。
手水舎斉鶴を過ぎて右にあります。
左は御祭神ゆかりの資料を収蔵・展示する照國記念館(照國文庫)です。
参道から神門
社殿のある境内へは階段を上ると神門です。
神門社殿は神門から回廊で囲まれています。
神門の扁額照國神社とあります。
神紋はおなじみの丸に十の字、昭和45年再建されました。
拝殿
現在の社殿は明治42年改築された旧社殿が昭和20年8月戦災により焼失したため、昭和33年本殿、昭和38年拝殿が再建されました。
御祭神は薩摩藩28代藩主島津斉彬公、文久3年(1863)5月11日勅命により照國大明神の神号を授かり、創建されました。
拝殿前の神橋拝殿前に太鼓橋が架けられています。
西郷隆盛と大久保利通の肖像画
拝殿右、授与所から続く回廊に展示されています。この外にも幕末期に活躍した薩摩藩士などがあります。
拝殿から神門
拝殿の左右に昭和62・63年に建設された授与所があります。
神門から参道
境内から大鳥居
当社前の照国神社前交差点は門司を起点とする国道3号線と国道10号線の交わる終点です。東に行くと10号線、西は3号線、南は指宿方面への225号線です。
照國神社(てるくにじんじゃ)
【鎮座地】〒892-0841 鹿児島県鹿児島市照国町19-35 旧薩摩国 鹿児島郡
【御祭神】照國大明神
【例祭】 10月28日 例祭
【旧社格等】別格官幣社(現別表神社)
【御由緒】
照國神社の御由緒
御祭神 照國大明神(薩摩藩主島津家二十八代島津齊彬公)
御祭神は文化六年(一八〇九)薩摩藩主島津齊興公の御嫡男として江戸で御誕生になりました。幼少の頃曽祖父重豪公や母賢章院の薫陶を受けられ、学問を好まれ、広く世界に眼を向けた開明的な考え方と科学的な知識を身につけられました。公は嘉永四年(一八五一)四三歳で藩主に就任されるや、幕末の内外多事多難な状況に対応して国事に奔走、欧米諸国のアジア進出の情勢を踏まえて、日本を強く豊かな国にするため、積極的に西洋の科学技術の導入に努められました。さらに、その核となった日本初の西洋式工場群「集成館」を鹿児島に設置され、「富国強兵」「殖産興業」という理念のもとに近代日本の礎をお築きになったのです。
また、公の発案による日章旗(日の丸)の制定は、まさに日本が国際社会にその第一歩をしるした象徴であります。
公は安政五年(一八五八)五十歳で薨去されました。御治世僅か七年でありましたが、この間、明治維新に活躍した多くの人材を育成しておられます。文久三年(一八六三)には御生前の幾多の御事蹟を称えて、勅命により照國大明神の御神号が授けれました。そして、一社を南泉院の郭内に創建し、翌元始元年照國神社と称しました。
当社は明治六年県社、同十五年別格官幣社に列格せられ、今日鹿児島県の総守護神・氏神様として尊崇されております。
(社頭由緒掲示板より)
鹿児島市の中心街、天文館のすぐ南、城山の麓にあります。NHK大河ドラマで放映され、昨年ブームとなった天璋院篤姫の養父、島津家28代・島津斉彬を祭神とする社です。
斉鶴鳥居をくぐって一番最初に眼に入ります。
昭和37年氏子の方により奉納、島津斉彬公(1809~1858)時代に植栽された「イヌマキ」(樹齢約170年、幹周り1.82m、高さ3.0m)です。
「斉鶴」とは斉彬公の斉にあやかり、神域にふさわしい斉しく均衡のとれた鶴の形状を意味したものです。市民の公募により名付けられました。
手水舎斉鶴を過ぎて右にあります。
左は御祭神ゆかりの資料を収蔵・展示する照國記念館(照國文庫)です。
参道から神門
社殿のある境内へは階段を上ると神門です。
神門社殿は神門から回廊で囲まれています。
神門の扁額照國神社とあります。
神紋はおなじみの丸に十の字、昭和45年再建されました。
拝殿
現在の社殿は明治42年改築された旧社殿が昭和20年8月戦災により焼失したため、昭和33年本殿、昭和38年拝殿が再建されました。
御祭神は薩摩藩28代藩主島津斉彬公、文久3年(1863)5月11日勅命により照國大明神の神号を授かり、創建されました。
拝殿前の神橋拝殿前に太鼓橋が架けられています。
西郷隆盛と大久保利通の肖像画
拝殿右、授与所から続く回廊に展示されています。この外にも幕末期に活躍した薩摩藩士などがあります。
拝殿から神門
拝殿の左右に昭和62・63年に建設された授与所があります。
神門から参道
境内から大鳥居
当社前の照国神社前交差点は門司を起点とする国道3号線と国道10号線の交わる終点です。東に行くと10号線、西は3号線、南は指宿方面への225号線です。
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