吉香神社(山口県岩国市)をフォトギャラリー(山口、本州)に掲載しました。
吉香神社(きっこうじんじゃ)
【鎮座地】〒741-0081 山口県岩国市横山2丁目8-10 旧周防国 玖珂郡
【御祭神】吉川元春 吉川元春 吉川經義 吉川友兼 吉川經基 吉川興經 吉川元長 吉川廣家 吉川經幹 吉川廣嘉
【御由緒】
当社は、岩国藩主の祖先吉川元春公が、天文年間安芸国山県郡新庄村日の山城主の時、一祠を建て祖霊を奉祀したことに始まる。
慶長5年吉川広家公は、関ケ原役後雲州から岩国に移封されたが、このとき当地横山に居館を構え築城、のち正徳年間本社をこの地へ奉遷し、居館の西、城山のふもとに社殿を造営した。明治4年廃藩置県の令があり、同年5月経健公は東京に帰住後、有志数百人と相はかり同7年本社を後世に残すべく認可をうけ、8神を合祀して吉香神社(きっこう)と称した。
(平成祭データ)
岩国市の錦帯橋の近く岩国城の真下の吉香公園に鎮座されています。
吉香公園内の参道
堀に架かる橋を渡り南一の鳥居(明治39年)をくぐると正面に神門から拝殿が見えます。参道脇には茶店もあります。
田中穂積銅像
参道脇に歌碑とならんであります、前に立つと「美しき天然」の演奏が始まります。
田中穂積先生略伝
安政2年11月4日、岩国市横山3丁目(千石原)に誕生、慶応3年(1867)13才の時日新隊の太鼓手となり、更に明治6年、海軍軍楽隊に入り、終生軍楽隊に籍をおき明治32年海軍軍楽隊長に累進その発展に多大の貢献をした。
明治37年12月31日、佐世保海軍病院にて逝去、享年50歳であった。
明治33年(1900年)の不朽の名作「美しき天然」を始め「黄海海戦記念行進曲」「南洋航路行進曲」など作曲したが、世界的に高名を馳せている「軍艦マーチ」もその原曲は先生の手になるものと言われている。
(案内板より抜粋)
南二の鳥居脇の狛犬?
拝殿
拝殿は、切石積壇上に建ち、入母屋造で背面に幣殿が張り出しています。
拝殿から本殿
本殿は切石積二重基壇上に建つ三間社流造で、正面に軒唐破風、千鳥破風が付されています。
現社殿は、享保13年(1728)横山の白山神社境内に造営され、明治18 年(1855)に現在地に移築されたものです。
末社 褒忠社(ほうちゅうしゃ)
吉香神社の末社で、吉川広家が初代岩国藩主が寺谷(紅葉谷)にある竜門寺境内に節臣廟(せっしんびょう)を建て吉川家の死節の臣をまつり回向所としていたが廃藩後これを神社に改めたのが褒忠社である。
なお、神前の石碑は節臣廟時代のもので、1865年に藩の参政山田青門が選んだものである。
(社前案内板より)
県指定天然記念物「エンジュの木」
中国原産の木で止血や血圧降下に用いられた、高さ約25m、幹廻り3.3m。
社殿全景
右から神門、小型の四脚門で冠木中央に吉川家家紋があります。拝殿、本殿。
東一の鳥居
右上に岩国城が見えます。
吉香神社(きっこうじんじゃ)
【鎮座地】〒741-0081 山口県岩国市横山2丁目8-10 旧周防国 玖珂郡
【御祭神】吉川元春 吉川元春 吉川經義 吉川友兼 吉川經基 吉川興經 吉川元長 吉川廣家 吉川經幹 吉川廣嘉
【御由緒】
当社は、岩国藩主の祖先吉川元春公が、天文年間安芸国山県郡新庄村日の山城主の時、一祠を建て祖霊を奉祀したことに始まる。
慶長5年吉川広家公は、関ケ原役後雲州から岩国に移封されたが、このとき当地横山に居館を構え築城、のち正徳年間本社をこの地へ奉遷し、居館の西、城山のふもとに社殿を造営した。明治4年廃藩置県の令があり、同年5月経健公は東京に帰住後、有志数百人と相はかり同7年本社を後世に残すべく認可をうけ、8神を合祀して吉香神社(きっこう)と称した。
(平成祭データ)
岩国市の錦帯橋の近く岩国城の真下の吉香公園に鎮座されています。
吉香公園内の参道
堀に架かる橋を渡り南一の鳥居(明治39年)をくぐると正面に神門から拝殿が見えます。参道脇には茶店もあります。
田中穂積銅像
参道脇に歌碑とならんであります、前に立つと「美しき天然」の演奏が始まります。
田中穂積先生略伝
安政2年11月4日、岩国市横山3丁目(千石原)に誕生、慶応3年(1867)13才の時日新隊の太鼓手となり、更に明治6年、海軍軍楽隊に入り、終生軍楽隊に籍をおき明治32年海軍軍楽隊長に累進その発展に多大の貢献をした。
明治37年12月31日、佐世保海軍病院にて逝去、享年50歳であった。
明治33年(1900年)の不朽の名作「美しき天然」を始め「黄海海戦記念行進曲」「南洋航路行進曲」など作曲したが、世界的に高名を馳せている「軍艦マーチ」もその原曲は先生の手になるものと言われている。
(案内板より抜粋)
南二の鳥居脇の狛犬?
拝殿
拝殿は、切石積壇上に建ち、入母屋造で背面に幣殿が張り出しています。
拝殿から本殿
本殿は切石積二重基壇上に建つ三間社流造で、正面に軒唐破風、千鳥破風が付されています。
現社殿は、享保13年(1728)横山の白山神社境内に造営され、明治18 年(1855)に現在地に移築されたものです。
末社 褒忠社(ほうちゅうしゃ)
吉香神社の末社で、吉川広家が初代岩国藩主が寺谷(紅葉谷)にある竜門寺境内に節臣廟(せっしんびょう)を建て吉川家の死節の臣をまつり回向所としていたが廃藩後これを神社に改めたのが褒忠社である。
なお、神前の石碑は節臣廟時代のもので、1865年に藩の参政山田青門が選んだものである。
(社前案内板より)
県指定天然記念物「エンジュの木」
中国原産の木で止血や血圧降下に用いられた、高さ約25m、幹廻り3.3m。
社殿全景
右から神門、小型の四脚門で冠木中央に吉川家家紋があります。拝殿、本殿。
東一の鳥居
右上に岩国城が見えます。
友達が来た時に、吉川公園周辺を案内してますが、
こんどはこのブログの記事に従って案内したいほど
よく書かれていますね。
素晴らしいブログですね。
ご覧のとおり、個人の参拝記録です。各神社の現状の記録を主体に考えていまして、なるべく主観を入れず、現地案内板等を忠実に掲載するようにしています。
今後とも宜しくお願いいたします。