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伊豆山神社(静岡県熱海市)を掲載しました。
伊豆山神社(いずさんじんじゃ)
【鎮座地】〒413-0002 静岡県熱海市伊豆山708-1 旧伊豆国 賀茂郡
【御祭神】伊豆山神(火牟須比命・伊邪那岐命・伊邪那美命)
【例祭】 4月14日 例大祭
【旧社格等】国幣小社(現別表神社)
式内社 伊豆國田方郡 火牟須比命神社
【御由緒】
関八州総鎮護
伊豆山神社
御祭神 伊豆山大神
例祭日 四月十五日
鎮座地
境内は古来歌枕に名高い伊豆の御山、子恋いの森の一部で約四万坪、海抜百七十メートル
御由緒
当社は古来伊豆大権現、走湯大権現、又は伊豆御宮、走湯山とも呼ばれていましたが、明治の神仏分離令により現在の社名に改称されました。
又、伊豆の地名の発祥地は当社であります。
社伝によると当社は最初、日金山(万葉集にいう伊豆の高嶺)に鎮まり、次いで本宮山に移り、さらに三遷して現在の地に御鎮座になりました。
源頼朝は平治の乱の後、平家の手により伊豆の蛭ヶ小島に配流の身となっていたが、源家再興のことを当社に祈願し、後に鎌倉に幕府を開くに及んで、篤く当社を崇敬し、幕府最高の崇敬社として、関八州総鎮護とされ、社領四里四方、海上見渡す限りの外に、鎌倉、室町期を通して武州、相州、上州、豆州、駿州、越州に二十三ヵ所の社領を所有していたことが室町時代の文書「寺領知行地注文」に記され、その所領範囲の広大であったことが当社の最隆昌期における状況を示しております。
鎌倉、室町の時代を経て徳川家康は江戸に幕府を開くに先立ち二百石を寄進し、次いで慶長になって百石と、併せて三百石の朱印料を寄進して崇敬の誠を示しており、歴代の将軍もこれに習い、当社を崇敬いたしておりました。
又、天皇家にあっては、第十六代仁徳天皇が勅願所となされてより、二十二代清寧、三十代敏達、三十三代推古、三十六代孝徳、百五代後奈良と六朝の天皇の勅願所となり、殊に、御奈良天皇は御宸筆の般若心経一巻(国指定重要文化財)を御奉納になられ国土安穏と万民の和楽を御祈願なされております。
大正三年一月十三日、皇太子であられた 昭和天皇御参拝の折親しく、若松一株をお手植え賜り、現在緑の葉も繁く栄えております。また、昭和五十五年九月十二日には皇太子浩宮徳仁親王以下の御参拝をいただいております。
なお、当社は明治以前においては神仏習合が盛んに行われた社で、役小角をはじめ 弘法大師、多くの山岳仏教徒や修験者が入峰して修行を積んだ霊場で御白河法皇の御撰による梁塵秘抄に「四方の霊験所は、伊豆の走湯(伊豆山神社を指す)信濃の戸隠、駿河の富士山、伯耆の大山」と著され、東国 東海における第一の霊場として聞こえていたことがしられます。
御神徳
火の神、国生みの大親神として、国を護り、生命の充実・発展、縁結び、家内安全、産業・事業・経営の護り、火防鎮火、温泉守護の御神徳があります。
宝 物
後奈良天皇御宸筆般若心経一巻・古剣一振・男神立像(日本最大)以上、国指定重要文化財、外多数の宝物を所蔵しております。
金槐和歌集 源実朝
ちはやぶる伊豆のお山の玉椿
八百万代も色はかはらし。
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や
沖の小島に波のよるみゆ。
伊豆の国や山の南に出づる湯の
速きは神の験なりけり。
(社前案内板より)
静岡県熱海市にあります。JR熱海駅から北東におよそ1.5kmの伊豆山の相模灘を見下ろす丘に鎮座しています。
境内入口の鳥居直前がバス停「伊豆山神社前」です。
参道の鳥居
入口の鳥居をくぐり、石段を上るとすぐに銅製の鳥居があります。左下に相模灘の景観を楽しみながら、数10m上ると社殿のある境内です。
末社・結明神社
参道左にあります。
御祭神は結明神(日精・月精)、「伊豆権現氏人之祖」となった夫婦神で、縁結びの神とされています。
末社 結(むすぶ) 明神社
御祭神 結明神(日精・月精)
御由緒
結明神の本社は、子恋いの森公園上(七尾)むすぶ平に鎮座す、その里宮として是の所に祀る、走湯山縁起によれば、景行天皇の三十一年、久地良山(日金山)に大杉有り、その中より一女一男が出生した、時に初島・初木神社の御祭神初木姫が二子をとりて養い育てたが、時を経ずしてたちまちに成長し、一女を日精と号し、一男を月精と号した、後に2人は夫婦となり日金山に仕えて「伊豆権現氏人之祖」となったと云う。
日精・月精その終没を不知(富士山)から神上がったと記されのちの人たちにより結明神として仰がれ祀られたと伝える。
御祭神は男女の縁結びを叶えて下さる神様で、古くは一名恋祭りと云う神事があり、各地から集まった若い男女の参列を得て行われていたことが伝えられている。
(社前案内板より)
参道から拝殿![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/0b/e953f8ff68f80231b7c374dfa5a63a7a.jpg)
参道左に手水舎、右は社務所、中央石畳の参道の一段上に朱の社殿です。
手水の赤白二龍![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/fb/20433eee3e866bdd35d07ecfbd47c759.jpg)
当伊豆山の地下に棲むと伝わる赤白の龍です、赤は母親、白は父親を表し、夫婦和合、家内安泰、縁結びの象徴と成っています。
赤白二龍の由来
伊豆山神社の縁起「走湯山縁起」(平安期に成立)に拠れば、当 伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。
其の尾を箱根の湖水(芦ノ湖)に漬け、その頭は日金嶺(伊豆山)地底に在り。温泉の沸く所は此の二龍の両眼二耳並びに鼻穴口中なり(走り湯)。
二龍精気を吐き、赤白海水に交わる。二色浦(熱海錦ヶ浦の名の由来)は此を謂ふなり。
赤は母親、白は父親を表し、夫婦和合、家内安泰、縁結びの象徴と成っております。
(案内板より)
拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/00/de551e6c2a9deeed002302201d3f7893.jpg)
現在の社殿は昭和6年より同11年に亘り、内務省によって本殿、拝殿、階殿、神饌所、手水舎、雷電社等の修造、並びに整備が行われました。
建物は総朱漆塗、一部極彩色ですが豪華絢爛でなくしっとりとした感じです。
拝殿の彫刻
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/19/8042aab439de41ceedfc2103425e3e8c.jpg)
細部にわたり随所にみごとな彫刻が施されています。かなり老朽化して一部色あせて見えますが、往時が偲ばれる見事な龍などの彫刻です。現在修復のための寄金を募っています。
本殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/83/52bf8150dcbc63ee0c64b0adfc712b01.jpg)
珍しい朱漆総塗りの流造りの本殿です。「走り湯」と呼ばれた麓の伊豆山温泉の守り神として鎮座したものと考えられています。
御祭神は伊豆山神、創立は人皇御五代孝昭天皇の御代と伝えられ、延喜式神名帳に所載の火牟須比命神社は、当社とされています。
古来伊豆大権現、又は走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山又は走湯山と呼ばれていましたが、明治になって現在の社名に改称されました。
社殿全景![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/dc/15aef1d86ba5e67ef388cae2e701327b.jpg)
箱根神社とともに二所権現と並び称され、特に源頼朝の崇敬が篤く、以後歴代将軍の二所詣は恒例となっています。
摂社・雷電社(若宮)
参道左にあります。
御祭神は伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)、吾妻鏡に「光の宮」記された神社で、創始年代は不詳ですが、鎌倉幕府三代将軍源実朝により再興されました。
摂社 雷電社(若宮)
御祭神 伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)
例祭日 三月十五日
御由緒
創立年代は不詳ですが、吾妻鏡に「光の宮」と別名があり、鎌倉幕府三代将軍源実朝が再興しそののち、暦応四年足利氏が、慶長十七年に徳川二代将軍秀忠が改築、現社殿は昭和十年に内務省によって改築。
政治を司り導く神として、源実朝を始め歴代の将軍家の崇敬が篤く、室町時代には多数の社領を有しておりました。
御神徳
事業、経営、商売繁昌・心願成就・良縁成就・家内安全、夫婦円満、子孫繁栄など、その御神威、弥高くまします。
(社前案内板より)
末社・白山神社遥拝所
境内右にあります。
ここから山道を500m余り登ったところに鎮座の白山神社の遥拝所です。
末社 白山神社
御祭神 伊豆大神奇魂・菊理媛命
例祭日 八月七日
御由緒
伊豆山記、走湯山記によれば、聖武天皇天平元年夏、東国北条の祭主、伊豆権現に祈願したところ、
「悪行のなす所、救いに術なし、これ白山の神威を頼むべし」との神託があった、時に猛暑の頃であったが、一夜のうちに石蔵谷(白山神社鎮座地)雪が降り積もり、幾日たっても消えず、病にある者これをとってなめたところ、病苦たちどころに平癒、よって社を創立せり。
古来、病気平癒・厄難消除の神としての庶民の信仰が厚い。
なお、社殿はこれより奥、山道を登って五百メートル余り(徒歩約二十分)石蔵谷の岩上に社殿が鎮座する。
(社前案内板より)
昭和天皇御手植の松
拝殿右にあります。
大正3年1月13日、当時皇太子であった昭和天皇が御手植えになられた松です。
頼朝・政子腰掛け岩
社殿左にあります。
伊豆の蛭ケ小島に配流されていた源頼朝が政子と恋を語らったとされる、ベンチ(腰掛けの岩)です。
頼朝・政子腰掛け岩
伊豆の蛭ケ小島に配流されていた源頼朝公は、当伊豆山神社を崇敬した。
当時、頼朝と政子が恋を語らったのがこの境内であり、当社で二人はむすばれ、伊豆山の神様の力により鎌倉に幕府を開き篤い崇敬を当社に寄せました。
伊豆山神社
(案内板より)
拝殿から参道![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/38/76c3d3c53b337ea79e6f2549c3a74edb.jpg)
社殿前左右に神木の梛の木があります。境内は広くゆったりとして綺麗に整備されています。名物?の枝垂桜の開花はまだのようです。
境内から相模灘の景観![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/2d/0ed02814c251cf0c85d77b074befc92a.jpg)
境内から眼下に相模灘から伊豆半島の景観が楽しめます。写真左は初島から大島?、右は伊豆半島です。
初島
当社の沖合い10数kmに浮かぶ、静岡県唯一の有人島です。
当社御祭神とのロマンスなどが伝えられている、初木姫を祀る初木神社があります。
伊豆山神社(いずさんじんじゃ)
【鎮座地】〒413-0002 静岡県熱海市伊豆山708-1 旧伊豆国 賀茂郡
【御祭神】伊豆山神(火牟須比命・伊邪那岐命・伊邪那美命)
【例祭】 4月14日 例大祭
【旧社格等】国幣小社(現別表神社)
式内社 伊豆國田方郡 火牟須比命神社
【御由緒】
関八州総鎮護
伊豆山神社
御祭神 伊豆山大神
例祭日 四月十五日
鎮座地
境内は古来歌枕に名高い伊豆の御山、子恋いの森の一部で約四万坪、海抜百七十メートル
御由緒
当社は古来伊豆大権現、走湯大権現、又は伊豆御宮、走湯山とも呼ばれていましたが、明治の神仏分離令により現在の社名に改称されました。
又、伊豆の地名の発祥地は当社であります。
社伝によると当社は最初、日金山(万葉集にいう伊豆の高嶺)に鎮まり、次いで本宮山に移り、さらに三遷して現在の地に御鎮座になりました。
源頼朝は平治の乱の後、平家の手により伊豆の蛭ヶ小島に配流の身となっていたが、源家再興のことを当社に祈願し、後に鎌倉に幕府を開くに及んで、篤く当社を崇敬し、幕府最高の崇敬社として、関八州総鎮護とされ、社領四里四方、海上見渡す限りの外に、鎌倉、室町期を通して武州、相州、上州、豆州、駿州、越州に二十三ヵ所の社領を所有していたことが室町時代の文書「寺領知行地注文」に記され、その所領範囲の広大であったことが当社の最隆昌期における状況を示しております。
鎌倉、室町の時代を経て徳川家康は江戸に幕府を開くに先立ち二百石を寄進し、次いで慶長になって百石と、併せて三百石の朱印料を寄進して崇敬の誠を示しており、歴代の将軍もこれに習い、当社を崇敬いたしておりました。
又、天皇家にあっては、第十六代仁徳天皇が勅願所となされてより、二十二代清寧、三十代敏達、三十三代推古、三十六代孝徳、百五代後奈良と六朝の天皇の勅願所となり、殊に、御奈良天皇は御宸筆の般若心経一巻(国指定重要文化財)を御奉納になられ国土安穏と万民の和楽を御祈願なされております。
大正三年一月十三日、皇太子であられた 昭和天皇御参拝の折親しく、若松一株をお手植え賜り、現在緑の葉も繁く栄えております。また、昭和五十五年九月十二日には皇太子浩宮徳仁親王以下の御参拝をいただいております。
なお、当社は明治以前においては神仏習合が盛んに行われた社で、役小角をはじめ 弘法大師、多くの山岳仏教徒や修験者が入峰して修行を積んだ霊場で御白河法皇の御撰による梁塵秘抄に「四方の霊験所は、伊豆の走湯(伊豆山神社を指す)信濃の戸隠、駿河の富士山、伯耆の大山」と著され、東国 東海における第一の霊場として聞こえていたことがしられます。
御神徳
火の神、国生みの大親神として、国を護り、生命の充実・発展、縁結び、家内安全、産業・事業・経営の護り、火防鎮火、温泉守護の御神徳があります。
宝 物
後奈良天皇御宸筆般若心経一巻・古剣一振・男神立像(日本最大)以上、国指定重要文化財、外多数の宝物を所蔵しております。
金槐和歌集 源実朝
ちはやぶる伊豆のお山の玉椿
八百万代も色はかはらし。
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や
沖の小島に波のよるみゆ。
伊豆の国や山の南に出づる湯の
速きは神の験なりけり。
(社前案内板より)
静岡県熱海市にあります。JR熱海駅から北東におよそ1.5kmの伊豆山の相模灘を見下ろす丘に鎮座しています。
境内入口の鳥居直前がバス停「伊豆山神社前」です。
参道の鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/8b/07a5415df7fc35b47206715428f37213.jpg)
入口の鳥居をくぐり、石段を上るとすぐに銅製の鳥居があります。左下に相模灘の景観を楽しみながら、数10m上ると社殿のある境内です。
末社・結明神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/39/983a23cf3abcd48a31a9350dd18afb7f.jpg)
御祭神は結明神(日精・月精)、「伊豆権現氏人之祖」となった夫婦神で、縁結びの神とされています。
末社 結(むすぶ) 明神社
御祭神 結明神(日精・月精)
御由緒
結明神の本社は、子恋いの森公園上(七尾)むすぶ平に鎮座す、その里宮として是の所に祀る、走湯山縁起によれば、景行天皇の三十一年、久地良山(日金山)に大杉有り、その中より一女一男が出生した、時に初島・初木神社の御祭神初木姫が二子をとりて養い育てたが、時を経ずしてたちまちに成長し、一女を日精と号し、一男を月精と号した、後に2人は夫婦となり日金山に仕えて「伊豆権現氏人之祖」となったと云う。
日精・月精その終没を不知(富士山)から神上がったと記されのちの人たちにより結明神として仰がれ祀られたと伝える。
御祭神は男女の縁結びを叶えて下さる神様で、古くは一名恋祭りと云う神事があり、各地から集まった若い男女の参列を得て行われていたことが伝えられている。
(社前案内板より)
参道から拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/0b/e953f8ff68f80231b7c374dfa5a63a7a.jpg)
参道左に手水舎、右は社務所、中央石畳の参道の一段上に朱の社殿です。
手水の赤白二龍
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/fb/20433eee3e866bdd35d07ecfbd47c759.jpg)
当伊豆山の地下に棲むと伝わる赤白の龍です、赤は母親、白は父親を表し、夫婦和合、家内安泰、縁結びの象徴と成っています。
赤白二龍の由来
伊豆山神社の縁起「走湯山縁起」(平安期に成立)に拠れば、当 伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。
其の尾を箱根の湖水(芦ノ湖)に漬け、その頭は日金嶺(伊豆山)地底に在り。温泉の沸く所は此の二龍の両眼二耳並びに鼻穴口中なり(走り湯)。
二龍精気を吐き、赤白海水に交わる。二色浦(熱海錦ヶ浦の名の由来)は此を謂ふなり。
赤は母親、白は父親を表し、夫婦和合、家内安泰、縁結びの象徴と成っております。
(案内板より)
拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/0d/4f8958b75a4e7b0c65528d83216d2106.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/00/de551e6c2a9deeed002302201d3f7893.jpg)
現在の社殿は昭和6年より同11年に亘り、内務省によって本殿、拝殿、階殿、神饌所、手水舎、雷電社等の修造、並びに整備が行われました。
建物は総朱漆塗、一部極彩色ですが豪華絢爛でなくしっとりとした感じです。
拝殿の彫刻
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/64/18aacf2dec4293c8067b4ef206940c14.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/19/8042aab439de41ceedfc2103425e3e8c.jpg)
細部にわたり随所にみごとな彫刻が施されています。かなり老朽化して一部色あせて見えますが、往時が偲ばれる見事な龍などの彫刻です。現在修復のための寄金を募っています。
本殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/f3/2db34990548b285e2c29a2e08edaf609.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/83/52bf8150dcbc63ee0c64b0adfc712b01.jpg)
珍しい朱漆総塗りの流造りの本殿です。「走り湯」と呼ばれた麓の伊豆山温泉の守り神として鎮座したものと考えられています。
御祭神は伊豆山神、創立は人皇御五代孝昭天皇の御代と伝えられ、延喜式神名帳に所載の火牟須比命神社は、当社とされています。
古来伊豆大権現、又は走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称され、略して伊豆山又は走湯山と呼ばれていましたが、明治になって現在の社名に改称されました。
社殿全景
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/dc/15aef1d86ba5e67ef388cae2e701327b.jpg)
箱根神社とともに二所権現と並び称され、特に源頼朝の崇敬が篤く、以後歴代将軍の二所詣は恒例となっています。
摂社・雷電社(若宮)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/c7/dda45fa0e513f6d91b93fc55c1ebcfe0.jpg)
御祭神は伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)、吾妻鏡に「光の宮」記された神社で、創始年代は不詳ですが、鎌倉幕府三代将軍源実朝により再興されました。
摂社 雷電社(若宮)
御祭神 伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)
例祭日 三月十五日
御由緒
創立年代は不詳ですが、吾妻鏡に「光の宮」と別名があり、鎌倉幕府三代将軍源実朝が再興しそののち、暦応四年足利氏が、慶長十七年に徳川二代将軍秀忠が改築、現社殿は昭和十年に内務省によって改築。
政治を司り導く神として、源実朝を始め歴代の将軍家の崇敬が篤く、室町時代には多数の社領を有しておりました。
御神徳
事業、経営、商売繁昌・心願成就・良縁成就・家内安全、夫婦円満、子孫繁栄など、その御神威、弥高くまします。
(社前案内板より)
末社・白山神社遥拝所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/8e/b69f5309f6ec96ddf7f338c3f5be30dd.jpg)
ここから山道を500m余り登ったところに鎮座の白山神社の遥拝所です。
末社 白山神社
御祭神 伊豆大神奇魂・菊理媛命
例祭日 八月七日
御由緒
伊豆山記、走湯山記によれば、聖武天皇天平元年夏、東国北条の祭主、伊豆権現に祈願したところ、
「悪行のなす所、救いに術なし、これ白山の神威を頼むべし」との神託があった、時に猛暑の頃であったが、一夜のうちに石蔵谷(白山神社鎮座地)雪が降り積もり、幾日たっても消えず、病にある者これをとってなめたところ、病苦たちどころに平癒、よって社を創立せり。
古来、病気平癒・厄難消除の神としての庶民の信仰が厚い。
なお、社殿はこれより奥、山道を登って五百メートル余り(徒歩約二十分)石蔵谷の岩上に社殿が鎮座する。
(社前案内板より)
昭和天皇御手植の松
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/20/664b691c2e2c34444e9bb37c633073d6.jpg)
大正3年1月13日、当時皇太子であった昭和天皇が御手植えになられた松です。
頼朝・政子腰掛け岩
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/e0/4fff09cc2a213c734603ac900200fcad.jpg)
伊豆の蛭ケ小島に配流されていた源頼朝が政子と恋を語らったとされる、ベンチ(腰掛けの岩)です。
頼朝・政子腰掛け岩
伊豆の蛭ケ小島に配流されていた源頼朝公は、当伊豆山神社を崇敬した。
当時、頼朝と政子が恋を語らったのがこの境内であり、当社で二人はむすばれ、伊豆山の神様の力により鎌倉に幕府を開き篤い崇敬を当社に寄せました。
伊豆山神社
(案内板より)
拝殿から参道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/38/76c3d3c53b337ea79e6f2549c3a74edb.jpg)
社殿前左右に神木の梛の木があります。境内は広くゆったりとして綺麗に整備されています。名物?の枝垂桜の開花はまだのようです。
境内から相模灘の景観
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/2d/0ed02814c251cf0c85d77b074befc92a.jpg)
境内から眼下に相模灘から伊豆半島の景観が楽しめます。写真左は初島から大島?、右は伊豆半島です。
初島
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/f8/74f688ab11833d8981f23d652bbc89fe.jpg)
当社御祭神とのロマンスなどが伝えられている、初木姫を祀る初木神社があります。
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